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【短編小説】最高の出会い
十二月の後半、目に見える眩しさを放っている渋谷は街全体が幸せを噛み締めている。
年末に向けて残った仕事をせわしなく片付けて、「お先に失礼します」と何が失礼なのか入社時からよく分かっていない常套句を伝え、いつもより1時間ほど遅くオフィスを後にした。
ビルの自動ドアが開いた瞬間、冷たい風がほほに当たる。こんなことならマフラーを持ってくればよかった。
街の模様替えに反抗して、まだタンスから冬物を全部出し切っていないことに後悔した。
恋をしていない時の冬の街に、私はどうも馴染めない。どうにも隣に相手がいないと、街は私を無視して通り過ぎていくように思えてしまう。
冬は誰しも平等にやってくるのに、なぜ恋人がいないとこんなにも寂しくなるのだろう。
こんな気持ちのまま帰るなんて家が暗くなる。少し飲んでから帰ろうか。
そう思い、青く立ち並ぶ木々達と恋人達を横目に井の頭通りを下り、道玄坂の方まで足を伸ばした。
***
行きつけにしているバーはなんの変哲もない雑居ビルの中にある。
店内に入り、促されるまま奥のカウンター席に腰を落ち着けると、仕事で気を張っていた肩の荷がおり、足元まで気怠さが降りてきた。
バーにしては少し明るめのこの店は女性でも一人で入りやすく、仕事を始めてからよく通っているお気に入りの場所だ。
私以外には男と女の組み合わせが2組、どこにいても幸せそうな人たちがいるのはもう仕方ないと諦めをつけ、気持ちを落ち着けるようにタバコに火をつける。
頼んだのはキール。甘酸っぱいカシスに、さっぱりとした白ワインの味わいが口の中に広がるカクテルを私は1番はじめに口にすることにしている。なにかが始まる、そんなことを思わせる味わいが私は好きだ。
けれどキールを飲むといつもあの男のことを思い出す。
彼に振られて、飲まずにはいられなかったあの夜のことを。
彼と出会ったのは1年ほど前、出会いの中ではよくあるいわゆる友人の紹介だった。
その日、友人と飲みに行く私は仕事を手早く片付け、そそくさとセンター街の居酒屋へ向かった。店員に待ち合わせと伝えて、店内をぐるりと回ると見覚えのある茶髪のストレートの髪をした後ろ姿と、やけに小綺麗な格好をした男性が座っていた。
彼と目が合うと目の前の女性が振り返り、私の名を呼んだ。
「久しぶり〜」と変わらぬ高めの声色で私を隣に座らせる。
「あ、こいつ私の友人でたまたま渋谷にいたから呼んじゃった」
「はじめまして」
それは最高の出会いだった。
私は声で恋に落ちた。本当に、すとん、と。
耳を通り、私の胸まで響いてくる低い声はまるでヘッドフォンをつけている時のような、私を音だけの世界に導いてくれるものだった。そしてその声は仕事で疲れている私を安心させ、そして跳ね上がるように心臓がドクンと脈打たせるのだった。
恋というのは気づくと始まっているとはよく言うが、たまに嘘をつくことがある。
恋はきちんと気づく時がある。
それを私は彼と出会って知った。
そこから私は彼を幾度となくデートに誘った。とはいっても好意を見せないように、アパレル店員である彼の立場を利用して、私に似合う服を探して欲しいなんて言い訳をつけて連れ出した。夢中だった。
そんなことを繰り返すある日、「渡したいものがあります」と誘いがあった。浮き足立つ心を感じながら、その日、思いを伝えようと決めた。
彼からのプレゼントは淡い赤色をしたマフラーだった。
「なんか似合う気がしてさ」
そういって照れながら笑う彼がとても愛おしかった。大げさなわけでもなく私がこの世界で一番幸せなんじゃないかと思えた。
「どこで見つけたのこれ?」
「彼女とデートしてたらさ、見つけたんだ」
幸せが崩れるのも一瞬だった。
恋人がいないと思い込んでいた自分を恥じた。勝手に盛り上がって、もしかしたらと期待していた過去の自分をぶん殴りたくなる。
結局その冬、彼からもらったマフラーを使うことはなかった。
今日もマフラーを巻いてこなかったのは、彼からもらった一つしか持っていないからでもあり、少し抵抗を持ってしまっているからでもある。あのマフラーには彼を思い出させる虚しさが残り、きっと見てしまったら、触れてしまったら、同じ気持ちになってしまう。だから記憶が正しければ、なるべく取り出すのに苦労するように何枚もの衣類の下へ追いやったはずだ。
あれは確かに最高の出会いだった。
けどそれは同時に、心の中に決して動くことなく居座りつづけてしまっていた。
***
気づくとタバコの灰がすでに人差し指まで近づいていた。店内の客も入れ替わり、先程とは違って、男女と入っても長年連れ添ったような老夫婦がテーブルについている。
白ワインにカシス、相性の良い組み合わせのキールを飲み終え、これで最後にしようとカカオフィズを頼んだ。
私ももう大人だ。たぶん恋は終わりを見据えていた方がうまくいく。終わりが見えていれば、少しずつ気持ちを整えてその日を迎えられる。
もう吸えなくなったタバコを丁寧に灰皿に押し付けて、冷たいグラスを口元に寄せる。
甘く香ばしいカカオと刺激の強い炭酸が混じり合ったカクテルと、混じることのなかった出会いの思い出を、グッと閉じ込めるように、一息で体の奥へ流しこんだ。
彼と出会って以来、あの時と同じような気持ちになる出会いを探してしまっている私はたぶん、この冬を越せそうにない。
キール:最高の出会い
カカオフィズ:恋する胸の痛み
著 じょん
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