【書評コラム】誰が正しくて、誰が悪いのか。また僕たちは伊坂幸太郎に騙される。
また騙された。
伊坂幸太郎の作品を読むたびにいつもそう思う。今回もダメだったか、と残念がりながらも、またやってくれたな、と称賛することになる。
ぼくは毎回、伊坂作品の1ページ目をめくる時、覚悟を決める。
「じっくり読み込んで、物語に隠された謎を解き明かすんだ!」と意気込む。そうやって人物の行動、セリフ、周りの状況、すべてに気を止めて読んでいるのだが、気づいた時にはもう遅い。すでに彼の術中にはまっている。
そしてそこからはもう再起不能だ。
体の重力に身を任せ、水の中に沈み込むように、彼の作品に溺れる。もう騙されてしまったのなら仕方ないと、心地よくその後の展開を追い、自ら結末まで手のひらで踊らされることを選んでしまうのだ。
現実では騙されたくない。
しかし、伊坂作品には騙される心地よさがある。
それはユニークさのある文体や点在した伏線、徐々に明かされる謎に起因している。
それは今回、文庫化された『ホワイトラビット』でも健在だ。
物語の舞台は仙台。これも伊坂幸太郎の作品の中にはよく登場する。その仙台の住宅街、ノースタウンで起きた人質立てこもり事件を中心に物語は進んでいく。
事件は様々な人の目線で語られていくのだが、物語を動かしていくのは主に3人だ。
伊坂作品ではよく登場する泥棒の黒澤、
人質立てこもり事件の犯人、そして事件を解決するべく動く警察官、夏乃目課長。
3人ともうまくキャラ立ちしており、全員が主人公の気配さえしてくる。
また視点だけでなく、時間軸も切り替わっていくのが面白いところだ。えっ?と読者が思った段階でなぜそうなったのか伏線を回収するように過去のシーンへ戻る。読者は気持ち良さに陶酔し、いつのまにか謎を読み解くことすら忘れてしまう。
中盤、まさかここで繋がるとは、と星と星が線を結ぶように、伏線が連鎖的に絡み合って、一つ一つの出来事が少しずつ結びついていく。そして結末に向かうにつれて綺麗な星座を浮かび上がらせるのだ。
毎回のごとく、綿密に仕組まれた罠にたやすくハマってしまうのだが、今回もまた妥協の余地を許さない。やはり伊坂幸太郎は侮れない。
そして僕が好きな登場人物が黒澤だ。
無責任でぶっきらぼう、かと思えば常に冷静沈着で頭がキれるこの男。
『重力ピエロ』や『ラッシュライフ』など様々な作品に登場し、物語にいい味を出す黒澤は今作でも変わらない。
「人は変わらない。同じことを繰り返すだけだからな」p34
相変わらず痺れる台詞を吐く彼に惚れてしまう。僕が伊坂作品を読む理由の一つなのかもしれない。
また、伊坂幸太郎の描くミステリーは目に見えるものが全てじゃないと教えてくれる。
一方的に受け取った事件が、別の視点から見ることによって、全く違った感覚を得られる。
作中にあるこのセリフ、
「誰が正しくて、誰が悪いのか、訳が分からなくなってくるよな」p344
読んでいるとまさにそんな気持ちになる。
そして今現在も同じ状況だ。
蔓延するウイルスに対する様々な情報。
正しいと言われたことが時間が経てば嘘になったり、実は正しかったなんてことがインターネット上で語られる。
正しさと間違いは常に行ったり来たりしながら、その時代に合った形で我々の前に現れるのだ。
伊坂作品を読むたびに騙された、と思う。
しかし、本当は我々が一元的にしか物語を見ていなかったのだ、と自責の念を抱く。
伊坂幸太郎は善と悪の曖昧さを物語の中で問いかける。
平面的に受け取ったことだけが事実ではない。全てを疑うわけではないが、常に多方向に視点を動かす力を養いたい。
その力を、心地よい読書体験と共に養える伊坂幸太郎の『ホワイトラビット』を是非手にとってみてはいかがだろうか。
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