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『ジョニーぶらり旅』グアム編⑦完

 最終日の夜。やはりもう一度騒ぎたくなった。
 そこで、ホテルの近くのバーを探し、歩いていくことにした。眼鏡をかけなければ踏み外してしまうほど暗い夜道を歩き続けた。
 マップでは、左方向となっている。しかし、左には茂みの道しかない。こんなところに本当にバーがあるのだろうか。進んでいくと、狼男が出てきそうな雰囲気の街灯のない一本道で、両脇には茂み。食われそうだ。

 「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」
 突然地響きと共に、爆音がした。びっくりして首をすくめると、頭すれすれのところを飛行機が飛んでいった。凄まじい爆音だったので、幼稚園児のように怖がってしまった。
 人気のいない茂みに囲まれた道で、こんなに恐ろしいことはない。早くそこを抜け出したかったので、先を急いだ。
 目的地という文字が、スマホに表示される。しかし、目の前に広がっているのは、真っ暗で信じられないくらい広い滑走路だった。遠くの方に管制塔や建物が見える。なぜか空港にたどり着いてしまった。真っ暗な中で、ドでかい飛行機が頭上を飛んでいくのが、とても恐ろしくて、すぐにホテルに引き返すことにした。

 ホテルに戻って、さらに悲しさが増大した。
 ここで眠ってしまうと、あとはただ帰国するだけになってしまう。
 子供の頃に友達の家に遊びに行って、門限が刻一刻と迫っているあの感じと似ている。

 ホテルの照明といえば、なぜか暗めなものが多い。この時に泊まっているホテルも例外ではなく、全ての照明をつけても足りなかった。
 そんなうす暗さが余計に悲しさを演出し、一人でベッドに座りこんでしまった。
 テレビをつけると、アメリカのテレビが流れている。もうこの環境ともお別れか。

 沈んでいても、やることがないので、結局眠りに落ちてしまった。

 翌朝。朝日と共に目覚め、帰国の準備をした。
 空はとても青く、沈んでいた気持ちが洗われるようだった。
 四泊五日生活したこのホテルは、すでに私の居場所となっている。ここから再び寝床を変えることは、できればあまりしたくない。

帰国前最後の写真



 到着した時に使ったタクシードライバーに電話をして、すぐに空港に送ってもらえることになった。

 荷物をまとめ、部屋からみえる景色に別れを告げた。部屋を出て、グアム独特の蒸すような空気に包まれながら、チェックアウトを済ませた。とても快適なホテルだったので、チップも払った。
 再び綺麗なお辞儀で感謝を伝えて、タクシーに乗り込んだ。

 空港には、15分足らずで着いてしまった。タクシードライバーにもチップを払うと、とっても喜ばれた。
 「Come back to Guam again. Next time, i will take you to the shooting range」
 タクシードライバーととても仲良くなれて嬉しかった。

 空港でお土産をたらふく買い、ペプシコーラを飲み、フライトを待った。
 12時ごろ。遂にフライトの時間が訪れ、兵隊たちが先に飛行機に乗り込んだ。
 「Thank you for all your services」とアナウンスを直に聞くことができて、アメリカの好きな文化を感じることができた。
 その後、アメリカ国籍の人達が優先的にゲートを通され、やっと私たちの番になり、離陸のアナウンスが流れた。

 飛行機の窓から見えるグアムはだんだんと遠くなり、ついには雲に隠れてしまった。
 夢にまで見た、英語で生活する環境が終わってしまった。初めての海外だったので右も左も分からず、あまり観光はしなかったが、それでも最高の体験となった。

 約4時間のフライトを終えて、日本に到着した。この瞬間に、心のそこから興奮し、自己肯定感が上がった。
 一人で海外に行くという夢を叶え、帰還したのだ。この経験は、一生忘れられないものとなる。


 頭の中でAC/DCの『HELLS BELLS 』が流れながら、サングラスをかけ、帽子をかぶり、リュックを背負って、日本の国土を踏んだ。


 そして今、グアムを去ってから、1年が経とうとしている。
 あの頃の記憶が夢になるくらい時間が経ち、私がいない間もグアムでは日常生活が送られていることに、虚しさを感じる。
 あのアメリカンで、南国なグアムがとても恋しい。

 生まれて初めて行った外国がグアムで、心の底からよかったと感じる。

 また海外旅行をするために、頑張って貯金をしよう。そしていつか、アメリカ本土に足を踏み入れよう。
 私はそう決心した。


予告 『ジョニーぶらり旅』フィリピン編2023





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