僕がCGを始めた理由。

こんばんわ。ちゃにーです。

noteの登録してみたものの、全然記事を書いていなかったので
今日はなにか書こうと思います。

僕は家で3DCGを制作し、TwitterやArtStationに作品を載せています。
今日は僕がCGを始めたきっかけを話したいと思います。

きっかけ

僕がCGを始めたのは小学4年生ごろ。
親父に「CGってどうやって作っているの?」と聞いたのがきっかけでした。

親父は広告制作会社のディレクターで
CGを制作していましたが
当時僕はそれを知らず、ただ好奇心で聞きました。

親父は「Google SketchUp」(現在はSketchUp)というソフトウェアを見せながらCGをどうやって作るか教えてくれました。
ただ線を3D空間に引っ張って
面を作り
それを押し出すことで立体的な3Dオブジェクトを制作する単純なものでした。

しかし、僕はそのソフトを触ってみると
思いのほか楽しくハマりました。
それから休日は親父のMacBookを独占し
スケッチアップでCGを作っていました。

SketchUpだけでは飽き足りず
今度は「Cheater3D」というCGソフトを購入。


そしていつか、
ピクサーみたいな短編を作りたいと思い
短編アニメ作るため
絵コンテを描き始めました。

小さころから家にピクサー作品のDVDがあったせいか
(多分、親父がCGの参考に買っていたと思う。)
僕はピクサー映画が大好きでした
そしてピクサーに対する愛は冷めず、現在も続いています。

あの頃は、とにかく車が大好きで
幼稚園の時にみた「カーズ」のスピード感あふれるレースシーンに心を奪われ、DVDがすり減るほど見ました。
アニメなのに車の表面の反射や背景の自然がリアルさにも心を奪われました。

小学4年生の時に「カーズ2」が公開された時、
日本が舞台になったこともあってか
興奮が頂点に達し、学校で手描きのポスターを描いて壁に貼り
没収されたこともありました。

CGに出会った時
これでカーズみたいな映画ができると思い
興奮しながら、短編制作に没頭しました。

しかし、一本も作ることができなかった。
なぜならこだわりが強すぎて完成しなかったからです。

僕が尊敬するアニメ監督ジョン・ラセター氏の
Story is King
という名言があります。

これは、アニメ制作で最も重要なのはストーリーであるという意味です。
いくら迫力あるアクションを盛り込み
リアルな映像を撮影しても
ストーリーがつまらなかったら、観客の記憶の残りません。
だからピクサーはストーリーを何より大切にしていました。

僕のその教えに影響を受け
何度も何度もストーリーを書き直し
気がついたら小学校を卒業してました。

このときすでに、将来の職業を「ピクサーのアニメーター」と決め
卒業式で大声で
僕の将来の夢は、ピクサーのアニメーターになることです
と発表し、周りがどよめいていたのを覚えています。(今となっては超恥ずかしい)

Mayaを使い始める

その後中学生に上がると、「Autodesk Maya」というソフトを使い始めました。

Mayaは、ピクサーやディズニーなどプロフェッショナルで使われるCGソフトウェアです。
通常は50万円くらいするシロモノですが
学生は無料で使えるのでそれをダウンロード。

Mayaの使い方は
糸数弘樹先生のオンライン授業「ハリウッドCGクラブ」で学びました。


ロサンゼルスと日本の時差の関係で
夜の9時から11時くらいまでやってめちゃくちゃ疲れたけど
プロから直接質問したり
ディズニーで制作した3Dモデルを見せてもらったりと
めちゃくちゃ楽しかった。

糸数先生はディズニーアニメーションスタジオで
3Dモデラー(CGで立体的に造形をする職業)として勤務しており、
「塔の上のラプンツェル」ではラプンツェルの長い髪の毛を
「アナと雪の女王」では王国の城をモデリングしました。
現在はディズニーを辞めて、専門学校などでCGの講師をされています。

そんなある日、衝撃的な動画に出会います。
それが、38912Digitalさんが制作した「2045」という作品です。
当時中学3年生(僕より1年先輩)の投稿者が一人で制作したCGアニメでした。

クッソー!!!
中学3年生でここまで作れているのに、
俺は一体何をやっているんだ!

と彼に対する憎しみと感情と自分に対する劣等感が湧き出てきて
いつか奴を超える作品を作ろうと
短編制作を急ぎました。

しかし、短編は完成できず。そうこうしているうちに、中学を卒業。

制作に参加する

高校に上がると、入学祝いに自分専用のパソコンをもらい、
そのパソコンでCG制作を進めていきました。

高校2年のとき、Twitterを始めました。
Twitterで自分と同じ年代の人たちがCG制作に励んでいることを知って
今までにない親近感を覚えました。

なんせ、学校で僕以外にCGを作っています
アニメを作っていますと言ってる奴がいなかったため、
あまり友達ができなかった。

Twitterを初めて数日のとき
僕よりもひとつ年上のCGアーティスト「MIZUNO CABAGE」さんが
Twitter場で
短編制作のためにボランティアでCGアーティストを募集していました。
プロジェクトには憎しみを抱いていた
あの「38912Digital」も参加していました。

すぐさま、僕はそれに応募。

当時、自分ひとりで短編を作るのは無理だと感じ
まずは、短編の制作に参加してから、技術を磨こうと考え参加しました。
また、他人に憎しみを抱いても無駄であると気づいたのも理由でした。

そのプロジェクトの特徴は、直接会わず、
それぞれの持っているソフトで制作し
リモートでフィードバックをもらうところでした。
それにより、全国各地からCGアーティストを募集することができ
ソフトウェアに依存せずに制作できるため画期的でした。

僕はそのプロジェクトにおいて、背景のモデリングをいくつか担当しました。

自分よりもCGが上手い先輩クリエイターからフィードバックをもらい、参加してよかったなと思えた。

そして、自分が参加した作品が世に出のを想像しながら今か今かと待っていました。

しかし、いくら待っても完成しません。
ミズノさんにメールで聞いてみると、短編の制作は事実上中止になったと聞かされました。
原因は主役の子が出演できなくなったことと
撮影中に事故が起きたことでした。

まあ、仕方がないなと諦め
僕はそのプロジェクトを忘れ
自分の作品制作に戻りました。

その後、ミズノや38912を含む一部のメンバーは
「UNDEFIND」というグループを結成し、
「第六感」で人気になったReolのミュージックビデオを制作するまでに出世。

またしても劣等感を覚える。

現在

現在は、大学に通いながらCGの勉強をしています。

小学校の卒業式のとき、「ピクサーのアニメーターになる」と言ったけど
最近はそれ以外の道も模索している。

プログラムと数学と物理を学んだことにより
アニメーターじゃなくてエフェクトアーティストもありじゃないか
と思ったり
CGアーティストではなく
落合さんみたいなメディアアーティストになるのもいいんじゃないか
と思ったり。

はたまた、脚本家やコント師など
物語を書く職業もいいんじゃないかと考えたり。

モンスターズユニバーシティのマイクみたいに他の道を探しているのか
はたまた自分にできない言い訳を探しているのか
自分にもわからない。

もしかしたら
自分はCGではなく
本当は物語を作りたかったのではないかと思ったりもする。

できれば全部やりたい。
しかし、時間は限られている。全部できる余裕はあまりない。
そして気がついたら大学1年が終わっていた。

いろんな思いを抱いているが、今の段階では答えは出せない。

CG制作をしたり
物語を書いたり
プログラミングを書いたりしながら
これから自分の答えを出していきたいと思います。

とりあえず、CGのアルバイトでもしてみよ。

どうでもいい他人の自分語りを最後まで読んでくださりありがとうございます。

m(_ _)m

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