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転職 冒険手帖【ほんとうのはじまり】


内定が…出たよ!!!! 


人生で初めて第一志望の会社から内定をもらえた。
振り返ると9月下旬から11月上旬まで、2か月もなかったんだな。体感時間はめちゃくちゃ長い転職活動だった。

地獄だったな〜〜。

私の転職は、新しい仕事に前向きな気持ち100%ではない。むしろ、生活に寄ったものだ。
もしかしたら他人から見たらしょうもないものかもしれないけれど、どこかの誰かが私の文章を見つけて、自分を肯定してあげられたら良いな〜なんて傲慢なことを願って、記録としてここに残しておく。


【本音ver.】どうして転職を考えたのですか?

〜住む場所編〜


転職のきっかけのひとつは、縁もゆかりもない地方への転勤だった。

これまで、ほぼ1年周期で福岡→大阪→現在の地方と転居してきた。
福岡は、永住したい人が多い土地だ。街がコンパクトで暮らしやすく、新幹線も飛行機もすぐ乗れる。美味しいものも多かったし、楽しかった。友達も多く住んでいたし、周りの人に恵まれたのもある。

大阪も、めちゃくちゃ楽しかった。
友達もいたし、福岡以上にエンタメがあって、お笑いや演劇、ミュージカルなど年間100公演以上行ってた。
どんなに仕事が嫌でも、劇場に行って携帯の電源を切って笑えば乗り切れた。
やっぱり映像で見るのと生は全然違うんだなと実感した1年だった。

そして、今年の夏に縁もゆかりもない地方に転居してきた。
実家に帰るのにも東京に行くのにも往復3万以上かかるし、お笑いも演劇もないし、ふらっとご飯に行ったりオタ活して騒ぐ友達がいないのも寂しい。
大阪から転勤するのがすっっっっっっっごい嫌で、転勤を言い渡された数時間後に発狂しながら転職サイトに登録したこともある。そのときは本格的に動くのは思いとどまったけど、実際に縁もゆかりもない土地に住んでみて実感した。 


いや〜〜〜私って都会暮らしが好きなんだな!!!


どうにか前向きになろうとこんなnoteを書いたりもしたけど、何度考えても私にとって大切なことは、「どんな仕事をするか」以上に「どこで暮らすか」ということだった。

エンタメが大好きで、ずっと東京で暮らしてみたかった。
このこだわりは、他人よりかなり強いと思う。

もちろん、別に東京に住まなくたってエンタメには触れられるということも理解している。
実際に今も結構な頻度で観に行ってるし。

ただ、毎日のように観たいもので溢れているのだ。ちょっと気になったライブがあっても、これに往復3万と有給を使うわけにはいかないな〜と我慢したことが何回もある。

もし職場から1時間以内で往復1000円以内で行ければ行くのになって思うことが多い。
そういう小さなフラストレーションがちくちくと私を攻撃するのだ。

大阪に住んでいた頃に、エンタメは一生分観たな〜もうどこに転勤しても悔いはないぞ〜って思ってたけど、離れて分かる。
全然足りてない。

死ぬ前に後悔しないように生きるには、観たいもの触れたいもの行きたい場所がまだまだごまんとある。

大阪時代に、なぜ辞めることを踏みとどまっていたかと言えば、都会暮らしがめちゃくちゃ楽しかったからだった。

入社当初からこの仕事は好きじゃなかったし、周りの愛社精神に反吐が出そうなときもあった。
クソみたいな仕事だ、みんな消えちまえと思いながら働いていても、仕事終わりにお笑いライブやミュージカルに行ければ何だってよかった。

ただ、せっかく新卒で入社した仕事だから、少なくとも3年は続けようと思っていた。

実際に今の土地に来てからも、夏から9月中旬までOJTの期間はすぐに辞める気はなかった。

都会で暮らしたい気持ちは一切揺るがなかったけど、どこにいても次の仕事に向き合うべきだという気持ちの方がちょっぴり強かった。
2〜3年やってからでもまだ20代だし、もしかしたら勤務地が変わるかもしれないし、そのとき考えて辞めようかなとか思っていた。

そんな私が9月末に突然転職活動に踏み切った理由は、OJT終了に伴い、職種と職場が変わったことにある。

〜職種編〜


私は、9月中旬にうちの会社ではほぼ必ず通らなければならない職種に就いた。
入社前から、あんまりやりたくないな〜と思っていた仕事だった。
でもやってみたら楽しいかもしれないと思ったから、この仕事をやるまで辞めるのをやめていた(マ◯ナビ転職の広告みたい)。

実際にやってみた。

すぐに『これ長年やるの無理だ!!!!!!』となった。

何が無理だったのかというと、まず業務時間外であろうと携帯が鳴ることが多々あり、心が完全に休まらないこと。

そして取引先が基本「変な人」ベースなこと。たまにめっちゃ良い人がいるんだけど、そっちが珍しい。私はまだライトな取引先だけを持っているからマシな方で、先輩のオジさんたちは気が狂いそうな人を相手にしていたりする。
(ライトと言いつつ、定時後や早朝に取引先から難解な"ご意見"が来る時は発狂しそうになる)

こないだ先輩から、「この仕事に必要なこと何か分かる?あのね、"忍耐"。大体みんな心を病んでいくんだよ」と死んだ目で言われたときに終わってると思った。

〜職場編〜


そして、職場。
OJTしてもらっていた前の職場と隣り合う座席ではあるんだけども、とにかく毛色が違う。
チームでやる!という雰囲気から、ゴリゴリの個人プレーになった。
これが私はきつくてたまんなかった。
教えてもらえないのは私が受け身なだけなので全く問題はなかったのだけれども、そもそも聞く相手がいない。質問しづらいオジさんが多すぎる。
あと、週一で全員揃う会議があるのだけれど、毎週お葬式みたいな雰囲気でお送りされるのがきつい(^^)

この職種と職場環境に背中を押された。

『迷ったらまずは相談』を信じてはいけない


転職活動を始めた私は、まずはサイトを適当に検索し、エージェントに登録した。

秒で電話がかかってきて、面談日が決まる。
繋がるまでしつこく電話が来る。
エージェントはハイエナだ。彼らは狙った獲物は逃さないのである。

エージェントは複数登録した方が良いと言うが、彼らに対応するだけでも体力を消耗する。
私は2つ登録したけど、それで限界だった。

でもこの原因は、私があまりにも行き当たりばったりで衝動的に面談してしまったせいもあると思う。

辞めよう!というエネルギーだけで動いているので、自分の本心をまるで分からないままエージェントからの質問に答えることになる。

ここで間違えて、『成長できる環境に行きたいです』とかいうカッコつけたこと言っちゃったことが、後の私を苦しめることになる。

エージェントは基本待ってくれない。
カウンセリングではなくこれはあくまでも営業活動の一環だから、とにかく急かされる。
前もって回答を考えておかなかったことにより、私は焦って自分の本心を置いてけぼりにして答えてしまったのだ。

転職で何を叶えたいのか?という当たり前なことだけでも、自分1人でゆっくり考える時間を取るべきだった。
基本がなってなかったんだな〜。ダメダメで恥ずかし。
「迷ったらまずは相談」という言葉は信じてはいけなかった。

あと、彼らは口が上手いからそれとな〜く内定が取れそうなものに誘導される。ひどいとこだと、自社を受けさせられた。ここを通過させられると点数が高いのかなと勝手に思った。

あちらも営業マンでありノルマがあるから仕方がない話ではあるのだ。その成果と私の需要がマッチして入社するのが最も幸せな道なのだけれども、私はどうしても彼らが望む道が私の幸せだとは思えなかった。

結局最後までエージェントのことを信頼できずに終わった。

でも、職務経歴書の採点は非常に役立ったし、感じの良い人もいたから、もしかしたら私が自分の『本心』を理解して本音を打ち明けていたら、なにか変わっていたのかもしれないとは思う。
これから転職する人たちには、エージェントとの幸せな転職活動が待っていることを願う。

面接ノック


エージェントから勧められるのは、急成長ベンチャーばかりだった。それはそうだ。
私が本音があやふやなまま「成長したい」なんてのたもうたせい。自業自得。後の祭り。

ただ、仕事を楽しんでいる人がすごくきらきらして見えたのも事実で、私はいくつものベンチャー企業に応募した。

エージェントの求人紹介は、紹介されたものを『応募依頼する』か『辞退する』そして小さく『気になる』ボタンの3つで振り分ける。
とにかく大量にあるから、なんか10個くらいは申し込んどかなきゃなのかな…?って気分になる。心理って怖〜い!
消去法でちょっとでも気になったら応募していた。

固定残業代の設定がバグっているところもいくつか受けた(45時間とか72時間とかあった)。30社以上応募したと思う。とにかく新卒の時くらい受けまくった。
新卒時代は数ヶ月で30社くらいだったのに、今回は1か月もせずにそれだけ応募していたって考えると恐ろしいな。

これから退職せずに転職活動する人に伝えたい。


『本気で行きたいと思うところだけにしておけ!面接を受けて志望度が上がる…なんてほぼ無い!日常業務と両立するのが難しすぎてしぬぜ!!』


特に私は慣れない業務と転職活動を同時にやったので、ストレスがヤバかった。
万年デブの私は細い人たちが「ストレスで食欲がない」と言っている意味がわからなかったのだが、人生で初めて1ヶ月くらいずっと食欲なかった。そしてこれまた人生で初めて月のものが来なかった。

逃げねば!!!!!の気力だけで乗り切るにはあまりにもハードすぎるから、新しい業務に取り組みながら転職活動する人は気をつけてほしい(あんまりいないかもしれないけど)。

面接に進みすぎると、連日面接という地獄が待っている。最近はほぼほぼWEBでやってくれるし、この面接ノックのおかげでかなり練習はできたけど、毎日定時で上がらないと詰むのでおすすめできない。

あと、ゆっくり考える時間がとれない。
アドレナリンをぶっ放して猪突猛進することは必要だけれど、冷静になる時間も取った方が良いなと思った。

面接ノックでは、新卒のときに"就活=ゲーム"という思考をしていた名残で聞こえの良い言葉を並べまくって答えていた。

ここでぶち当たった壁が、本音迷子である。
詳しくはこのnoteに書いたが、「私って何のために転職活動してるんだっけ?」という問題に、御多分に洩れず立ち返ったのである。

でもね、簡単そうに見えて、揺るぎない本音を知るって難しいよ。
逃げなのか、夢なのか……。
面接用に本気でそうだと思い込んで話しているうちに、自分の中から湧き出てくる思考が本心なのか建前なのか、少しずつ分からなくなっていくから。

今でも正直、本音迷子は続いている。
それでも、もう面接を受ける気はないから、ようやく自分自身と向き合う時間が取れるなと思っている。

事前準備って大切なんだね。

面接によって自分がこれまでやってきたことの価値を知る


ずっと大した仕事をしていないと思っていた。
同級生が銀行や証券会社で莫大な資金を動かしたり、大きな取引先と営業をしている中で、アルバイトの延長線のような小さな仕事をやっている自分にたまに嫌気がさすこともあった。

でも、いざ面接の時に話すネタを考えると、まぁ〜〜〜スラスラ出てくる出てくる。
新卒のときは長所や短所、頑張ったことを考えても出てこなくて無理やり過去の栄光を引き延ばして話していたけれど、この数年で私は自己PRのネタを完備していた。
ラッキーなことに数字もついてきている仕事もあったから、それっぽく伝えたら基本どこにでも通用した。
一次面接の通過率は9割くらいだったと思う。

私はちゃんと頑張ってたんだなって改めて知れただけでも、今回の転職活動は意味があったと思う。かなり自信がついた。
新卒の時は評価してほしくても説得力がなかった自分の魅力を伝えられたのは純粋に嬉しかった。

転職に迷っている人は、職務経歴書だけでも書いてみるといいと思う。
自分の経歴を振り返ると、意外と頑張ってるなと思えるから。
何様?みたいなアドバイス乙。

M-1 2023準々決勝 進出者発表


いろいろと受けてみて、第一志望にしたのは事務職系の仕事だった。
エージェントではなく、求人広告から応募した。手当たり次第に求人を出しているところではなく、1つだけで出しているところ。

正直ペースで書くと、とにかく最初に惹かれたのが残業時間の少なさだった。

平均残業時間を見て目を丸くした。私もこれまでうちの会社の中では残業が少ない職場が多かったけど、それにしたってそんな時間で帰ったことないぞ……!?みたいな数字が並んでいてたまげた。
そして仕事内容も、純粋に興味が湧いた。

ここの選考はかなりのんびりした日程だったので、他を受けるときにいつもここと比較して受けていた。
天秤にかける度に、ここの魅力を実感した。

新卒の時に第一志望へ抱いていたような憧れの気持ちというより、長く働くならこの会社だなという気持ち。
仕事に付随する夢ではなく、自分の人生を俯瞰したときに叶えたい広い意味での夢を一番叶えられると思った。

ここを最後まで受け切ると決めて、他は全て辞退した。



新卒時、いま働いている会社は第10志望くらいだった。
もっと下だったかもしれない。
高望みしていたのもあるけれど、とことん受かりたかったところに落ちた。

贅沢な話だが、これまで内定が出ても心の底から喜んだことはなかった。食いっぱぐれずに済む……という安堵の方が大きかった。

今回も、第一志望を受けるのが怖かった。
トラウマは簡単に消えない。

私は一次面接のときも最終面接のときも、とことん会社について調べ尽くした。情報が少なかったのもあるが、公式ホームページだけでなく社長のインタビューとか社員の仕事内容がわかる記事とかも探し出して読んだ。

とにかく知識と熱量だけは持っている状態で臨み、一次面接はそれなりに上手くいった。

でも、最終面接は敢えなく撃沈した。
全ッ然上手くいかなかった。
トラウマが蘇る。
焦って頭真っ白になったし、論理性や具体性に欠けていたし、もっとアピールできるところがあったなと面接帰りのエレベーターで泣きそうになった。

すぐに新幹線に乗る気になれず、少しでも切り替えて帰ろうと思って神保町の劇場で漫才を見に行った。

そしたらちょうど、そのライブ終演直後にM-1の3回戦の通過者発表がある日で、芸人たちもソワソワしていた。
なんか私と一緒だなと思って少し心が楽になった。

帰ってどうやって生きていこうかな〜ライブ面白かったな〜などと思いながら劇場を出ると、電話がかかっていた。

調べると、最終面接を受けた会社だった。

恐る恐る電話を掛け直すと、「内定です」と言われた。

「あっあ、ありがとうございます…!」って声が震えた。
そうか、第一志望に受かるってこんなに嬉しいんだと思った。神保町すずらん通りが煌めいて見えた。

SNSを見ると、M-1準々決勝への進出が決定した芸人が、嬉しそうに劇場の周りを歩く動画が上がっていた。
多分彼らにとっても、すずらん通りは煌めいていたと思う。
なんか上手く言葉にできないけど、それもすごい嬉しかった。

不必要に他者を呪うわけにはいかねえんだ


転職先が決まった今、少しばかり冷静に自分のキャリアや人生を考えられている。

本当に辞めるべきなのか?という大切なことを、ようやく考えられるようになった。

転職を始めたときの私はとにかくこの闇から逃げなければいけないという一心で、とてつもないパワーを使って転職活動を始めた。

でも今なら思う。
きっと転職活動をしなくても、いつか闇を抜け出せる日は来るはずなのだ。

そもそもうちの会社には定期的な異動があるから、恐らくこの環境にいるのはほんの数ヶ月〜数年に過ぎない。
職種だって固定されたわけじゃなくて、30代を超えたら変わった人も割といるし、いつか東京に住む可能性もある。
ていうかそもそも東京なんて新幹線に乗れば1日で行けるのだから、そう困りはしないのかもしれない。

あと私は天性のポジティブ人間なので、どんな場所に住んでいても自分らしく生きることはできるとは思う。

実際に少しずつ仕事に慣れてきて、楽しいなと思う時もできたし、やってればそれなりにやりがいも見つけていくと思う。



じゃあ、辞めなくてもいいかな?っていうと、何度考えても答えはやっぱりノーだ。


こうやって騙し騙し、自分が本当に叶えたいと思っている夢から目を背けるのはもう嫌だった。


「いつか」なんて来るか分からない。
来るとしても、いつになるか分からない。


少し前、リモート懇談会みたいなものがあって、東京出身で東京で働いている同期と話したことがあった。
うちの会社の東京勤務は、基本的に関東出身者が占めている。

彼女は同じ職種で同じ仕事をしているけれど、私より高い地域手当を貰いながら、都心で楽しそうに働いていた。

配属や生まれなんてただのガチャだということは分かっている。
それでも、私には彼女の笑顔が疎ましく見えた。



以前から優秀とされていた、東京の別の同期は、飛び級のような形で本社の新規事業に抜擢されていた。

本社から地方に配属された新卒のことなんて見えるわけがない。

これもアピールしなかった自分が悪いのだから仕方がない。
それでも、私には事業紹介の資料に載った彼らのガッツポーズに腹が立った。


頭ではちゃんと、ただ僻んでいるだけだと分かっている。


でも、「いつか」なんて不確定なものを信じながら自分の夢に目を背けて、やりたくもない仕事をやり続けたら、呪う必要のない何かを呪ってしまうと思った。

こんなくだらない呪いが、きっと少しずつ自分を蝕んでいく。
みみっちい自分になりたくなかった。

多くの人が仕事なんて楽しくないと思っていることも、たくさんの不満を抱えながらやっていることも重々分かっている。
転職したってまた辞めたくなるかもしれない。

それでも、私には仕事に前向きになるための確かな材料が必要だった。
どんな仕事でもやりがいは作れると信じる私だからこそ、どうしても譲れない「仕事以外の時間を過ごす場所」だけは自分で掴みに行って、守ってあげなければならないと思った。

人を呪わずに、自分の幸せを抱きしめられる私になりたかった。

わたしの本音探し


ようやく落ち着いて自分を見つめる時間がとれた。どんな仕事をしたいのか、カッコつけずに考えようと思う。

今までのことを思い返すと、私は売上を追求したり誰かと競ったりすることは向いていなかった。
何度尻を叩かれても、成績なんてどうでもいいな〜としか思えなかった。

逆に、仕組みを作ったり場を整えたりする時が楽しかった。
マニュアルを作る時間や、Googleスプレッドシートで数値管理がしやすいように、色々と調べながら数式を入れている時間が好きだった。

学生時代もスポーツや受験を通して勝ちにこだわってきたから、そういう成績にこだわる人間だと信じて疑っていなかった。

でもいざ働いてみると、楽しかったなとかやりがいがあったなと感じることが全てそういう誰かを支えることにあった。

もちろん頑張ってくれる人に対してという前提はあったが、人に何かを教えて、彼ら彼女らが出来るようになると嬉しかったし、困っていると言われたらそれをどう改善して還元してあげるかを考えるときにやりがいを感じた。
売り上げが上がったって全然わくわくしないけど、教えた人たちが営業に成功しているのを見るとすっごく嬉しかった。

内定先の仕事は、事務職である。
と言っても総合職だから、人と関わることも多いと思うけれど、今とは仕事のスタイルが変わると思う。

私は事務職をやったことがない。
だから、何を感じるのかは正直わからない。
これまでやってきたことには必ずお客様がいたし、椅子に座りっぱなしだったことがないから不安もある。
もしかしたら、そこでもやっぱり絶望するかもしれない。

だけど、今の仕事をこの絶望の中であと数年も続けられる気がしなかった。
ここにいたら私もいつか心を壊すかもしれないし、誰かを呪い続けるかもしれない。
ちゃんと自分で一歩踏み出して、好きなものに囲まれて絶望した方が100倍マシだと思った。

人生がいつ終わるか分からない。
怖い話をするが、たまに料理をしながら「あ〜今この包丁を自分の心臓に刺せば私は死んでしまうかもしれないんだな」と思う。
周りに若くして病気になった人もいるし、昨日話した相手が明日には死んでいることだってある。それくらい人の人生は脆い。


忍耐は必要だ。
「最近の若者は忍耐力がない」なんて言われる。
私も今まさに逃げようとしているんだから、忍耐力がないのだと思う。それは認めるべきところだ。
仕事においても勉強においても、やりたいことや叶えたいことは耐えた先にしかない。

それでも、私が本当に叶えたいことは仕事の中になかった。
もちろん、行ってみたい部署はある。でもそれはとても確率が低いことで、すぐに叶うものではない。

私のいちばんの夢は、近くでエンタメに触れながら、好きなものを好きなように好きと言える人生を送ることだった。
仕事は、この生きがいのための資金を調達するためのものだし、そこでやる仕事がどんなものであっても自分でやりがいは作れる。

耐えるべき場所は、ここじゃないと思った。

他人を呪わずに、自分が幸せだと思える場所で、真面目に仕事に取り組んでいきたい。
それが天職だったら嬉しいし、そうじゃなくても自分で選んだ道だ。

転職して、後悔するかもしれない。
それでも、内定を辞退したらもっと後悔することは明白だから、私は転職しようと思う。

お世話になった人たちに申し訳ないし、楽しいなと思うタイミングもあるけれど、他人を呪わずに生きるために私は職を変える。

これからがほんとうのはじまり



こう書いておきながらも、やっぱり自分の本音ってよく分からない。
なんか結局めちゃくちゃカッコつけてるし。

まあそういう人間だから仕方ない。

これから退職への長い道のりが始まる。

決めることだらけだし、解決しなきゃならないこともあって大変だけど、落ち着いて乗り越えていきたい。

とりあえず自分、内定おめでとう。おつかれ。
かなり頑張ったと思うよ。

自分のために生きていこうな。


つづく


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