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大阪エンジョイガチ勢の総決算と新生活への意気込み 〜転職考え始めたけど、とりあえず1年は頑張ってみるねん編〜


2022年4月23日から2023年7月21日まで、1年と3ヶ月を大阪で過ごした。

元々長崎出身で、大学は広島、そして社会人1年目に福岡で働き、昨年大阪に転勤してきた。

大阪に転勤してきた理由は、梅田で店を立ち上げる際の店長をするためであった。
高層ビル群の中に毎日通うのは、田舎者の私にとって非常にワクワクするものだった。
人がうごめく梅田を最初は少し怖いと思ったけれど、一瞬で慣れた。
人混みを歩くときはちょっと下を見ておくと勝手に向こうが避けてくれるので大丈夫というライフハックも得た(良いのか?)。

田舎にはなかった店がたくさんあって、エンタメも溢れていて、なんて豊かな場所だろうと思った。
『全国チェーンですが?』みたいな顔をしている店も、結構東京大阪止まりみたいなところが多い。

そういえば昔長崎に住んでいる時は、東京のテレビマンが当たり前のように都会にしかない場所の特集組んでるの見て腹立ててたな。

話が逸れた。

大阪人は、我々は都会人ではないでんがな〜田舎者でっせ〜って感じで東京と自分たちを比較するけれど、こちらから言わせれば関西はばっちり都会である。

電車で梅田やなんばまですぐ行けるし、交通費は安い。
長崎は一番近い都会が福岡で、移動時間は2時間半以上、運賃は往復5000円以上かかる。

関西は交通網が発達しているから、京都も神戸も奈良も隣県がとっても近かった。

ザ・大阪。通天閣。友達が東京から遊びに来てくれたの嬉しかったな。



満ち足りた生活だった。
大学生の頃から都会にコンプレックスを感じてきた私を救う1年だった。

またいつ転勤を言い渡されるか分からなかったから、とにかく楽しみ尽くすことを目標にした。
福岡のときは行きたいご飯屋にGoogleマップでピンを立てて攻略していたが、大阪ではご飯屋に加えて劇場に通いまくった。

ミュージカル、演劇、お笑い、コンサート、落語…。
関西に来てから行った公演数は100を超えていた。
1年3ヶ月で100公演っていくら掛かってるんだろう。計算してないけど、かなりヤバそう!
毎月収入とほぼ同じ額(たまに超えてた)を使ってでも舞台に通った。
少しでも行きたいなって思ったらすぐチケットを取って、次の日どんなに早くても行った。舞台をハシゴしたこともあるし、5日間連続で違うジャンルの観劇をしたこともある。

側から見たら、ニートみたいな生活だったと思う。記録がてらインスタグラムのストーリーズに行った公演についてちまちまと投稿していたのだけれど、中学時代の友達から久々に連絡が来て、「なんの仕事してるの?」と言われたこともある。
シフト制で、朝早く出勤する店だったからできたことだった。ラッキー。

長崎は、生の舞台の文化がほとんどない。
1年に数回、大きな舞台の興行が来るくらい。
過去に見た作品数は片手で数えられると思う。

だから、この1年で生の舞台を観て、実際に演者の声の圧を感じたり、そのときしか生まれない表現をこの目で見られたことがとても幸せだった。
映像とは違う、時間も場所も限られているからこそできるステージはとても迫力があったし、カメラでは抜かれないような細部を双眼鏡でじっと見つめることも楽しかった。

吉本の劇場に50公演以上行った。仕事がどんなにキツくても笑えばその瞬間は全て忘れられるから、お笑いってすごい。


今後はシフト制ではなくなるし、何より住む場所は都会ではない。





転勤を言い渡されたのは、つい2週間前。
縁もゆかりもなければ、知り合いも友達も家族もいない場所だった。
福岡に住む恋人とも相変わらず離れたまま、たった1人で生きていかなければならない。

福岡や大阪には友達が多くいたが、仕事の内容が大きく変わり、一番誰かに支えてもらいたいタイミングで周りには誰もいないのである。

めちゃくちゃ嫌だった。
赤子のように泣きじゃくった。


嫌な理由を考えると、主に2つある。

①都会で暮らしていたい

たくさんのものも、エンタメも側にあって、気軽に触れられる生活をもっとしていたかったから。
というか大阪でも触れられないエンタメがあるから、本当は東京に行きたいのである。
私には、人生で一度は東京に住むという目標がある。

ただ、弊社のシステム上、私が東京に行くことは絶対に不可能ということは分かっていた。


②家族の近くにいたい

東京が無理なら、長崎の実家に戻っておばあちゃんとたくさんの時間を過ごしたいと思っていたから。
弊社は転勤で地元に戻る人が多かったため、私は長崎、もしくは佐賀や熊本など隣県になるだろうと思っていた。

おばあちゃんの家と実家を行き来して、1〜2年ゆるりと一緒に過ごす時間を楽しむのもいいなぁと思っていた。


でも、現実は全然甘くなかった。


蓋を開けてみれば、縁もゆかりもない土地に転勤が決まっていた。


新幹線は通るからまだいいけど、どこにも行きにくい中途半端なところである。


今でも涙が出る。
私にとって『住む場所』って、とっても大切な価値観だったんだと改めて気づいた。

悔いのないようにたくさんエンタメに触れたけれど、悔しさはずっとある。


あとここ数ヶ月で今の会社は私に向いてないなって実感したのも相まって、本気で転職しようと思ってサイトに登録した。何社か応募もした。

でも中途半端に店舗職だけやって辞めるのもなんだか悔しかったし、何よりやりたい仕事とそのほかに大切にする価値観を考えれば考えるほどこんがらがってしまって、一旦保留している。

結局のところ正社員で、それなりにボーナスがもらえて、住宅補助も財形貯蓄もその他福利厚生があるこの会社に勤められているのは恵まれている方なんだろうなぁと思えば思うほど踏み切れない。
そしてそんな風に決めきれない中途半端な自分に腹が立つ。
このくだらない思考を繰り返している。

辞めようと思い立ち、スパッと辞めて新しい道に踏み出した人たちを尊敬する。

私は自分の忍耐力に自信があって、継続することは得意だけれども、何かを捨てて新しい何かに踏み出すことがひどく苦手だということを思い出した。





内示が直前すぎて引っ越しが間に合わず、私はこの1週間ニート生活(転勤休暇)を送っている。
とりあえず長崎に帰っておばあちゃんと水族館に行ったり、両親とドライブに行ったり、親戚のおばちゃんとピザを食べたりした。

フンボルトペンギンばり可愛い!


ザ・おばあちゃん家な料理。おいしい。大好き。


海に近い駅。車の運転がてら両親とドライブに行った。


大阪の友達にも誰かしらに毎日会って、とにかく時間を大切に過ごした。

こないだ友達と食べたパテ。ネットで出会って、もはや好きなものという共通点抜きにただの友達として時を過ごせているのすごい奇跡だなと思う。



気持ちはぐしゃぐしゃのままだが、この1週間で少しずつ整理できてきた。

本当は今すぐにでも辞めたいけれど、少しばかり冷静になった今、『あと1年は続ける』と決めた数ヶ月前の自分に従うことにした。
そしてどれだけ続くかわからないこの街での生活を、誰よりもちゃんと楽しむことにした。

大阪も東京も行けないわけじゃないし、今の時代は配信もある。
他に新しい趣味を見つけるのもいいし、この街の名所に行くのもいい。


全て思い通りに上手くいくことこそ、きっと考えられる中での最大の幸福なんだろうけど、目の前の状況を自分の力でどうにか工夫して、最大限幸福を感じられるような努力はしていたい。

目の前にあるものは同じでも、考え方や見方一つで美しくも醜くもなる。

私はあらゆるものに美しさを感じられる人でありたいと思う。まあ全部は無理だとは思うんだけど、できるだけ。

そのために、1年3ヶ月大阪でいろんなものを観てインプットしてきたのだから。
人は、自分の中にあるものしか出せない。


大学生の頃からずっと『豊かな人になる』ということを目標にしてきた。
自分の中にあるいろんな考えが変化して、ときに諦めたり投げ出したときもあったけれど、この芯だけはずっとブレていないと思う。
だから私は、これからも大丈夫だと信じていたい。

いつか、まるっと全部しあわせだと言える日が来たらいいな。

でもどんなに満ち足りても、何かに地獄を感じながら生きるのかもしれない。大富豪だって必ずしも幸せではないらしいし。

ただ、周りにはわざわざ時間を作って私に会ってくれる人が何人もいた。この事実は何よりも私を救う。きっと私は空っぽなんかじゃない。

今だって、とっくに幸せなのだ。

この街と、これからの仕事と、周りの人たちをちゃんと大切にしていきたい。
死ぬときに、ああ楽しかったと思える人生を送りたい。

今のこの悩みも、数ヶ月後にはまた変わるかもしれないし、変わらずうだうだと悩み続けるかもしれない。

考えることだけはやめずに、でも考えすぎずに、好きなものを好きなように好きと言える人生を生きていこうと思う。


ありがとう、大阪。


この街へ
これからよろしくな!

空は今日も青いね


おわり

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