今日を私の人生の転機にする。 -常識を疑って、失敗を恐れないで、他人に与えられる人になりたい-

またMちゃんの話をする。これからもしばらくすると思う。
私の人生において、彼女との出会いは大きな転機だと思うから。

彼女と、朝から4時間話して、感じたことを書いていく。彼女と過ごせるタイムリミットはきっと迫っているから、彼女がすぐ横にいなくても、ちゃんと自分の足で歩けるように。
いま思うことを、自分の文字で、きちんと記しておこうと思う。



 

私はここ数年、「頭のおかしい常識人になりたい」と言い続けていた。

柔軟で時に突飛で面白くて、それでいて他人に迷惑をかけずに世間に馴染める人。そういう常識人になりたかった。

でも、Mちゃんと話していて、「常識」という言葉に違和感を感じるようになった。
これまで私が20数年生きてきて無意識のうちに形成された「常識」は、本当に正しいのだろうか?どこかの誰かが決めた「常識」は正義なのだろうか?

もちろん、人を傷つけないための法律や制度は必要だと思う。人が人であるための決まりや道徳はあるべきだ。

でも、何故かずっとそこにある慣習や制度に違和感を感じたり問題提起したりすることなく、考え無しにそれに従って生きることに対しては疑問を持つべきだと思った。

地球上において人間だけが、思考し他者と共有できる生き物だ、とMちゃんは言う。
その人間として生まれたのだから、全ての人はなにか自分だけの意思を持っているはずで。
じゃあ、考えて、常識を疑っていかなきゃ勿体ない。

敷かれたレールの上を走るだけじゃつまらない、言われたことだけやる人間になるな、なんてよく言うけれど、これまでの私はその真の意味を理解していなかった。


ある日、Mちゃんが仕事場にあったマット2枚を「これここにあるの逆に汚く見えない?裏にしまっておこうよ」と言ってきたことがある。
その日は先輩が誰もいなかったので、私はそれに対して、「えっ、勝手にやって大丈夫なのかな?」と直感的に声に出した。

でも良く考えれば、そのマットを裏にしまったことで誰かが死ぬ訳では無い。むしろ無いことでその場所を掃除しやすくなったし、マットが曲がることも無いから見栄えが良くなった。置いておく必要性があるのならば、また戻せばいいだけ。

Mちゃんはいつも自然と常識を疑う。そして自分の意思をはっきりと言うし、行動に移す。

私はこう思う。その理由はこうだから。

あなたはどう思いますか?なぜそうなったのですか?
 

彼女が問いかけるのは、いつだって自分の意思がある事柄だ。

私は、我々が職場に来た時からあったマットに対して、「この場所にあるものだ」という常識に囚われていた。退けるという選択肢を思いつかなかったし、退けたいと思っても行動はしなかっだと思う。そこを踏み出す力があるのが、Mちゃんの強さだ。

「常識」っていつの間にかそこにあるから、疑うことさえしないものなんだろう。
でも、「なんで?」って考えて、それを伝えるだけでも、人や世界は少しずつ変わるんだとMちゃんを見ていて思う。



彼女と、もし目の前に総理大臣が現れたら何を話す?という話をしたことがある。

Mちゃんは、「私が興味がある環境問題について総理はどう思うか話を聞くかな。別に怖がったり気負ったりはしない。だってどんなに偉い役職だとしても、所詮は人と人だよ?…それで、最後は好きな食べ物の話をするかな」と答えた。

萎縮しないで、所詮は人と人なのだと言える強さが好きだと思った。そして、好きな食べ物を聞くと言うところに、彼女の優しさと人と人との関係性を大切にする姿勢を感じてもっともっと好きになった。



前まで私は「常識人になりたい」って言ってたけど、撤回する。


常識、っていう言葉を疑える人になりたい。
常識を怖がらない人になりたい。


そこにある普遍や当たり前の全てに、ちゃんと自分の意思や信念を当てはめて思考できる人になりたい。
"それは常識だから"っていう言葉で逃げない人になりたい。

考えることって面倒臭いし、難しいし、答えがない。
自分の意志を伝えるってパワーが必要だし、時に嫌われる勇気を持たなければならない。

それでも、逃げない人こそが得られる自信だったり、人生の輝きってあるんだなと、Mちゃんを見ていて思う。
マットや総理大臣のエピソードはほんの一部に過ぎなくて、彼女の常識に囚われない姿勢をこの2ヶ月でたくさんたくさん見てきた。

彼女が自分を持って生きる姿を見ていて、「私もこうありたい」と強く思う。

変わらなきゃ、と思う。

自分が信じるものを、自分の言葉でちゃんと表現できる人になりたい。
他人に惑わされないで、流されないで生きられる人になりたい。

こうありたい、と思ってもやっぱりすぐに叶えることは難しい。
Mちゃんの経験してきた人生と、私の人生はまるで違う。その差は簡単に埋まるものじゃない。

私はやっぱり怖がりだし、得体の知れないものや見えないものに対して勝手に壁を作ってしまう。言い訳だけはいっちょ前にして、逃げてしまう。

でも、私が私の人生を私らしく生きるためには、ただ考え無しに常識に囚われるのではなく、いろんな人に話を聞いて、必死に思考回路を巡らせて、そうして形成した自分の意思を信じて、他人に簡単に揺るがされることなく、他人に伝えられる人にならなきゃいけないと思う。

彼女は、「一生のうちで世界中の全ての人と出会うことは不可能で、そんな中でたまたま出会えたのって奇跡だと思う。その出会いを私は大切にしたい。自分と出会った人の人生は、全て自分の人生なのだ」と言う。

自分は自分で他人は他人だという常識にさえも彼女は囚われない。
惜しみなく与える。そこにややこしい理由なんてない。あなたの人生は私の人生でもあるから。それだけ。

そう信じて、真っ直ぐに生きているから、彼女はあらゆる人から信頼されている。彼女のためなら何だってしてあげたいと思われている。
彼女は紛れもないgiverだ。

Mちゃんは、私に対して、あなたは何でも吸収するところがすごいのよ、とか、何でも真面目に学ぼうとするところがすごいのよ、あなたがいるから私は嫌な仕事だったけど楽しく過ごせるのと言ってくれる。

「あなたが生きる意義を見失った時、あなたの生きる意義は『私の人生に必要だから』と言わせて」

そう手紙を書いてくれる。

私は彼女が困った時、絶対に手を差し伸べたい。
常識なんか気にせずに自分らしく自分の信念に従って生きる彼女の言葉に、その姿に救われたから。
私も彼女を、そして彼女から与えてもらった愛を持って他の誰かをも救えるくらい強くなりたい。

すぐに変わることは出来ないけど、変わるために動くことを恐れないでいる。
昨日出来なかったことを今日ひとつでもやってみる。


たとえば、人と電話をするのは怖いけど電話をかけてみる。

たとえば、長らく会っていなかった友達に自分から会いに行く。話をする。

たとえば、職場の人に自分の思いを伝えるのが怖かったけど、勇気を出して伝えてみる。その人の意見を心から真摯に向き合って聞く。


変わりたい。
人生で初めて、そう強く思った。


死ぬこと以外はかすり傷で、もし何か大きな失敗をして誰もいなくなっても、私にはMちゃんがいる。
そう思うだけで、踏み出せそうな気がする。

変わることって怖いけど、変わったらきっと自分の人生や自分の見ている世界は輝くと思うから。

こうなりたいと思うものに近づくための労力を惜しまないでいたい。
怖いけど、すっごい怖いけど、逃げないでいたい。

「失敗は学びだし、私はむしろ失敗した先の世界の方が見てみたい」

彼女はそう言う。
強くて、柔らかな人。真っ直ぐで、勇敢な人。

人生においてとりわけ大きな失敗をしたことが少ない私だけれど、これからはそれを補うようにたくさん失敗をして、たくさん泣いて、そうして徐々に強くなりたいと思う。

常識を疑うことや自分の意思を伝えること、人と向き合うことから逃げずに、惜しみなく与えられる人になりたい。

いつか、今よりもっと胸を張って、Mちゃんに寄り添えるように。
自分を自分で信じられる人になれるように。

今日を、私の人生の転機にする。


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