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有名だからといって信頼できるとは限らないアステカ神話

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アステカ神話の有名なエピソードは実は原典には無かった? 広く知られているけれど意外と根拠があやふやだったり誤解だったり捏造だったりする、アステカ神話に関するネタの検証。
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記事一覧

テスカトリポカの鏡の足は子宮の中で丸くなっている兎の形をしている

 この説明は『マヤ・アステカの神話』でしか見たことがなく、しかもそこでも具体的にどの史料…

Lajos Jancsi
1年前
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ミシュコアトルとコアトリクエの間に生まれた子供がコヨルシャウキ、センツォンウィツ…

 ミシュコアトルとコアトリクエが夫婦だとする記述はディエゴ・ムニョス・カマルゴの『トラス…

Lajos Jancsi
1年前
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イツトラコリウキとイツパパロトルは夫婦

 『テレリアーノ=レメンシス絵文書』ではイツトラコリウキとイツパパロトルはそれぞれ罪を犯…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカはトウガラシ売りに化けてケツァルコアトルの娘を誘惑した

 これは『フィレンツェ絵文書・第3書』の中のトランの神官王(セ・アカトル・トピルツィン・…

Lajos Jancsi
1年前
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ケツァルコアトルはトラロックとその子供たちと球技をした

 これは『太陽の伝説』の中のトランの滅亡エピソードに基づいていますが、正確には「トランの…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカは美を司る神

 Wikipediaによって広まったこの設定の大本はアイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話…

Lajos Jancsi
1年前
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コヨルシャウキは兄弟が母親殺しを企てていることを警告しようとしたがウィツィロポチトリに首を切り落とされた。後にコアトリクエから姉に悪意がなかったことを告げられたウィツィロポチトリが姉の首を天に投げるとそれは月になった。

 私が調べた限りではありますが、どうもこのエピソードは後世の研究者による推測によるもので、古文書にはないようです。  ウィツィロポチトリ誕生譚のもっとも詳細で有名なバージョンが収録されている『フィレンツェ絵文書・第3書』によれば、コヨルシャウキは母親殺しの首謀者で、兄弟の先頭に立って母コヨルシャウキを殺そうとしたが、完全武装で生まれたウィツィロポチトリに首をはねられ、首はコアテペックの上に留まり残りの体はバラバラになってコアテペックを転がり落ちていきました。この首がその後どう

テスカトリポカにはナワルピリという別名がある

 Wikipediaにかつてあった記述ですが(2019年7月14日08:45に変更された)、「ナワルピリNahua…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカは美を司る神

 Wikipediaによって広まったこの設定の大本はアイリーン・ニコルソン『マヤ・アステカの神話…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカは宣教師に悪魔と見なされた

「テスカトリポカはアステカ人に魔王と呼ばれた」の項からの続きになりますが、テスカトリポカ…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカはアステカ人に魔王と呼ばれた

カール・タウベ『アステカ・マヤの神話』のテスカトリポカについての説明に「アステカの人々は…

Lajos Jancsi
1年前
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テスカトリポカは夜の翼

Wikipediaにかつてあった記述ですが(2019年7月14日08:45に変更された)、これは英語版の「the…

Lajos Jancsi
1年前
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ミシュコアトルの母はイツパパロトル

『太陽の伝説』によれば、400人のミシュコアのうち数人は5人の攻撃から逃げおおせます。その生…

Lajos Jancsi
1年前
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ミシュコアトルとコアトリクエの間に生まれた子供がコヨルシャウキ、センツォンウィツナワ、センツォンミミスコア

 ミシュコアトルとコアトリクエが夫婦だとする記述はディエゴ・ムニョス・カマルゴの『トラスカラ史』にありますが、彼らの子はケツァルコアトルとなっています。コヨルシャウキやセンツォンウィツナワ、センツォンミミシュコアについての言及はありません。  この項の見出しにあるような設定が広まったのは、『マヤ・アステカの神々』に「ミシュコアトルは(中略)コヨルシャウキや400人の息子の父であり、コアトリクエの夫」と書かれていたからであり、その参考文献『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編