テスカトリポカにはナワルピリという別名がある

 Wikipediaにかつてあった記述ですが(2019年7月14日08:45に変更された)、「ナワルピリNahualpilli(高貴な魔術師)」とはいかにもテスカトリポカに相応しい別名のように思われます。しかし、実はこれはトラロックの別名、ないし宝石細工師の守護神の名前なのです。
 ル・クレジオ著/望月芳郎訳『メキシコの夢』P119に「ダイアモンド細工師は神々としては(中略)ナワルピリ(中略)を持っていた」、P134に注「nahualpilli ナワリnahualliは<魔術師>、ピリpilliは<高貴な>、従って<高貴な魔術師>の意、宝石細工師の守護神」、P261に「星神テスカトリポカ、まさに<高貴な魔法使いナワルピリ>」とありました。Wikipediaの記事を書いた人はP261の記述を基に、テスカトリポカの忌み名の1つとしてナワルピリを挙げたようです。参考文献に『メキシコの夢』が含まれていることから推して、恐らく合っていると思います。
 ですが、先に述べたようにナワルピリとはテスカトリポカのことではありません。セルマ・D.サリヴァンによるナワトル語英語対訳版『プリメーロス・メモリアーレス』注には「ナワルピリ「魔術師の王子」は大抵トラロックの添え名として解釈される(略)サアグンはしかしながら(略)テノチティトラン/トラテロルコの宝石細工師達トラテッケの「父祖達」として述べられる4人の神々の1人である同じ名を持つ神の衣装の詳細な項目についても述べている。彼の装飾はワステカ人(大いなる魔術師と見なされていた)として描写され、トラロックの特徴とされる要素は一切含まない」と書かれていて、テスカトリポカについては触れられていません。またエドゥアルト・ゼーラーは「古代メキシコ人の宗教歌」で、トラロックがナワルピリと呼ばれるのはこの神が植物を生長させトウモロコシを育て実らせるという事実により魔法が存するから、というような説明をしていました。続けて、魔術師とされるワステカ人の姿をした宝石細工師の神についても述べ、トラロックの聖歌におけるナワルピリは単なる雨の神ではなく、植物の生産者という特別な役割のある雨の神だと見做すべきだろうとしています。ゼーラーもテスカトリポカについては言及していません。
 なお『フィレンツェ絵文書』第3書第5章に、ティトラカワン(テスカトリポカ)が性器を露出したワステカ人に化けウェマクの娘を誘惑する件がありますが、ナワルピリの名は用いられていません。
 ナワリといえば即テスカトリポカを連想するというのは短絡的に過ぎるでしょう。『フィレンツェ絵文書』第3書第3章ではトゥーラのケツァルコアトルは「ウェイ・ナワリvej naoalli(大魔術師)」と呼ばれているし、『当地ヌエバ・エスパーニャの先住民インディオの間に今日も生きる異教の迷信と習慣についての書』第2書第3章のように「私はトラマカスキ(神官)、私はナワルテクトリ(魔術師の主)、私はケツァルコアトル」と称して呪文が唱えられることもあります。どうも「ケツァルコアトル=神官=聖属性/テスカトリポカ=魔術師=魔属性」みたいなイメージがあるようですが、実態に即しているとはいえません。
 ちなみに、やはりWikipediaのトラロックの項には「ヌウアルピリ (Nuhualpilli) とも呼ばれる」とありますが、これはナワルピリNahualpilliの誤記です。

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