世界の戦争 導入
はじめに
先日、とある講演会に参加した。今回はその要旨をもとに(引用の形で示す)、(幸せなことに)日本人にはなかなか理解できない、世界の戦争について記述する。(講演者は伏せるが読む人が読めば誰の講演かは一目瞭然かもしれない。)長くなったので分けることにした。
戦争反対
先の大戦において、日本は三百万人を超える未曽有の犠牲を出し、なおかつ勝利できなかった。いわゆる平和憲法(憲法9条および前文)は、制定当時にはこの犠牲、すなわち人員喪失、生産拠点壊滅、飢餓、焼け野原が目の前にあったことを思えば、細かいことはさておき法の精神は(獄中にいた反体制派や共産主義者のみならず)誰しもが認めるところであったと思う。
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この憲法の平和を謳った部分の主要な問題点は交戦権の否認および政府と国民の対立形式であるが、時は流れて、現在、物質的な豊かさが当たり前になり、かつ経済規模の縮小によって、国民には自ら築き上げて社会が豊かになる実感(誰かのために社会参加する)よりも、(社会の維持のために)税金等で奪われる(政府の強権)ことが目に付くようになった。すなわち上に述べた二つの問題点は、政府と対立しながら誰が国(社会)のために戦う(生きる)のかという、現代日本社会の問題そのままの反映であり、国防費の増加などでは糊塗できない。憲法のこの部分を改めたからといって社会の問題が解決できるわけではないので、やるなら社会問題と同時並行か、そうでなければ徒に対立を増やすだけである(といっても自衛隊が個人の正当防衛でしか応戦できない、国としての交戦権がないゆえに、というのは異常事態であるが)。
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途中が長くなってしまったが、三百万人を超す犠牲者という、高すぎる授業料、大きすぎる代償によって、日本は世界の戦争の標準(後述)を教えられた。世界の中の日本として進むのであれば、この教訓を生かさなければならない。世界に向かって、殺し殺されるのが可哀そうだからという蚊の鳴くようなヒューマニズムは通用しない。
本題に続く
文責筆者
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