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【短編小説】部長、お答えください(1,600字、純文学)

 一体、こんな想いは何度目だろうか。思い出したくない過去に蓋をして、なんとか「見える世界は尊いものだ」と信じてきた。

 信じていた人たちもいた。今も信じている人たちがいる。それでも、平気で私を裏切る誰かもいる。

「誠に申し訳ございません」


 大平部長が深々と頭を下げる。

 誰も息すら吸っていないのではないだろうか。まるで引越しで荷物を全て払い出したような、シンッとした空間。ここが会社の執務室内であることを忘れさせる。

 四十名を超える部下が、そこにいた。誰も何も言わない。沈黙の数秒なのか、数十秒なのか、それが続いた。

 怒号をあげる人もいない。泣き出す人もいない。困惑でもない。失望を大きく通り越して、人の形の抜け殻だけがそこにあった。

 「えっ、と……」


 持たない間を当の本人が埋めようとする。しかし、何を言っても手遅れであった。本人もわかっていることだ。


「質問、よろしいでしょうか」


 全員が一斉に振り返る。一番後ろから声がする方へ。その声は、私の声だった。


 自分でも驚いた。同時に、手が震えた。心臓部の動きが速くなっていた。

 手が痙攣していると見られないか、おかしい人間と思われないか。訳のわからない心配をわずかな時間の中で自問自答、繰り返した。


「佐久間、さん。どうぞ」


 私の名前を間違えていないか、不安そうなアクセントが頭にのる。

 それはそうだろう。私のような目立たぬ社員は、部長と話す用事もない。「君の名は」とでも、心の中で言っていたかもしれない。安心しろ、私は佐久間だ。


「なぜ、したのですか」

 私はただ、それだけ尋ねた。
 再び緊張した空気が流れ込む。草原に風が吹いて「ザワザワ」と同僚たちが音も立てず、声も立てず、草を擦れ合わせているのがわかる。

 お前が、それを尋ねるのかと。前置きもなく、地球の中心部のマントルに触れるのかと。彼らはそう思っているに違いない。


 大平部長の目が、一瞬泳いだことを私は見逃していない。しかし彼は「腹をくくってここに立っているんだ」と言わんばかりに、彼の腕のスーツのシワが筋肉に沿って動いた。

「本当に申し訳ない……。部をまとめる立場の私が、このような体たらくで……皆さんには本当に……」


「そういうの、いいから」


 私はまた、思いもかけず言葉を投げかけた。自分ですら、これは自分なのかと驚く。別の人に操られているかのようだ。

 でも違う。これは、私の意思だ。
 人の声も、体も、自分の意思でしか動か無い。

 あそこに立っているアイツがやったこと。本人の意思でしかないのだ。


「ねぇ。なんで、したの?」


 私は不自然な笑みを浮かべていた。震えは快楽に変わりかけている。この脳内の異常さが、麻薬のようにすら思えた。


 私は生意気にも、多くの先輩たちの前なのに腕を組んで、左足に重心をかけた。


「ねぇ、やったんでしょ? あなたが」


 私に釘付けになっていた同僚たちが、正気を取り戻していった。彼らの目の奥に、炎が見えたのだ。その炎は、大平部長に向いた。


 大平部長は、困った顔をしてベルトの前で手を組んでバツが悪そうな顔をしかめている。


 彼が答えるのに困って生唾を飲んでいると、どこからか、ボソボソと声が聞こえ始めた。


「……そうだよ。常識的にやらねーだろ」


「謝れば済むと思ってんのかよ」


 大平部長の顔から、どんどん血の気が引いてくる。静かに静かに、草が燃え始めてしまったのだ。


「ふざけんなよ! お前は辞めればいいんだろうけど!」


「私たちのこと、なんだと思ってるのよ!」



 私は、ふっと力が抜けた。
 着火した火が大きく燃える。そうよ。もっと、もっと燃えなさい。悪は燃え尽きてしまえばいい。こんなものじゃ、足りないほどなんだから。あなたがしたことは。


 気づけば私はまた、いつもの存在感のない社員に戻っていた。目の前には炎の大海原が広がっている。

 その様子を能面のような冷たい顔でニヤリと見ている私は、まるで放火犯のようだった。


あとがき

 昨日、金原ひとみさんのエッセイをチラリと読みました。なんて綺麗な日本語だろう、って思いました。
 私は純文学の才能はないと思っていますが、なんだか急に言葉で怒りを表現してみたくなり、書き上げました。
 さて、大原部長は一体何をしたんでしょうね。今年は企業の不祥事ニュースが相次いでいます。そんな2023年の特徴をモチーフにしました。

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