元パワハラ被害者の私。最近パワハラする人へ、見る目が変わる
残念ながら昭和の時代はパワハラが当たり前だった。会社の中だけでなく、学校教育からパワハラまみれだったと思う。
極論、「ぶん殴られて当たり前」の時代で人生の半分以上を生きた人たちが、この日本の人口の半分以上を占めている。
私見になるが、「良い子」「穏やかな性格の人」は、おそらくぶん殴られて育ってきてないので、人に対してそんなことはしない。
むしろちょっと尖った人ほど、ぶん殴られてコントロールされてきたのか、今度は自分が人に対してそういう気質を持っている気がする。
さて、私はぶん殴られてはいないものの、完全な職場の上司・先輩からパワハラを受けて鬱になり、短い期間だが休職までした。復職できたのは本当に不幸中の幸いだ。
もともとパニック障害を患ったこともあり、怒鳴る人・暴力を振るう人はとても苦手だった(パニック障害は、学生時代のバイト先のオーナーが酒乱の暴君だった)
しかし、そんな私に最近異変が起こる。
前まで「怖い」と思っていたそんな人たちを「怖い」と思うより、違う気持ちで見るようになった。なんと、
こいつらバカだな。
と思うようになってしまったのだ。
復職した私は、順調にキャリアと成功体験を積み、普通に中堅の会社員として成長していっているのだ。
上司曰く「今が一番、仕事が楽しい時だぞ」とのことだ。
平たく言うと、私が成長してしまった結果、パワハラ系の上司や先輩たちとの実力の差が縮まってしまったのだ。
そうなるとモノの見え方はガラリと変わる。
「あぁ、この人たちは実力がないから、怒鳴ったり、ネチネチ物を言って、他人を思いのままに動かそうとしたんだな」と。
本当に実力と余裕があれば、そんなことはする必要がない。でもそこに頼らざるを得ない。なぜなら、そうしないと彼らは生き残れない。仕事の成果を出せない。
昨今、話題になる、強豪校の部活コーチや顧問が暴力を振るう問題構造に似ている。そんなのは真の指導でも、実力でもない。
昔はそれで「この先生はすごい人なんだ」とごまかせていたことが、時代が変わり、評価の目が変わり、もう誤魔化せなくなってきただけのことだ。
なので、私は最近、ブチ怒る系の人たちを前にしても何も思わなくなってしまった。
前だったらきっと震えておびえていただろう。しかし今は「また語彙力なく叫んでいるなぁ」とか「視野が狭いなぁ」とか「マウンティングしないといけないなんて、可哀想に」と思ってしまう。
淡々と、ダメージを受けずに受け答えをしたり、ブチ怒って何を言っているかわからない部分を汲み取って要約しなおしたり、あるいは怒られた相手のフォローに入るようになった。
そんなことをしていると、ますます以前までとても大きな存在だった彼らが小さく見えて、情けなく見えて、飼い犬の世話ぐらいにしか思わなくなってしまった。
ダサい。まじダサい。呆れてしまうのだ。
もし、今かつての私のように職場に怖い人がいる人には言いたい。
大丈夫。あなたは彼らを踏み越えていける。
相手は成長しない。でもあなたは成長する。必ずどこかで乗り越える。
そこに喜びがあるわけではない。むしろバカらしくてため息だけが残るが、あなたが将来見える世界を諦めないでほしい。
それが今日、私が思ったことでした。
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