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天灯が照らす台湾平溪の歴史と課題

紀元後200年ごろの中国、三国時代。諸葛亮が戦略的な通信手段として用いたとされる天灯は、今日、台湾新北市の東北部に位置する平溪で一年に一度の壮観な祭りとなり、人々を魅了しています。



平溪は、かつてケタガラン族の居住地で、18世紀頃に漢人が入植し、穏やかな農業生活が広がりました。地元の人々はその地域の地形と位置を生かし、天灯を「平安燈」や「祈福燈」として用い、幸せと安寧を祈りました。その伝統は現在まで続き、平溪天灯節として一大イベントに発展。元々地元の祭りだったものが、90年代に台北県政府の観光振興策により全国的な祭りに成長し、新北市の最少人口地区を世界的に知られる観光地に変える原動力となりました。



祭りでは、細竹と棉紙で作られた伝統的な天灯が空に放たれます。しかし、観光客が祈りの言葉を書き込むために、天灯のサイズが大きくなり、鉄線が使用されるようになりました。これが、天灯が完全に燃え尽きず、地面に大量の廃棄物が残るという、美しい祭りの裏に隠された問題を引き起こしています。



天灯はその起源から今日まで、危機からの脱出や祈り、祝福、さらに地域の経済発展の象徴となっています。しかし、その影響は二重の意味を持ち、伝統を維持する一方で地域の環境をどう保護するかという課題を私たちに突きつけています。



祭りの継続は地域の魅力であり、経済効果も大きいですが、その美しさが次の世代にも引き継がれるためには、環境問題への配慮と取り組みが不可欠です。伝統と環境、両者のバランスをどのように取るかが、今後の平溪の課題となるでしょう。

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