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上島竜兵の"孤独”を考える

当然のことにわたしは「上島竜兵」という人間のことを知らない。
知っていたとしても、それはあくまでもテレビを通した姿でしかない。
そもそもわたし自身、エンタメを苦手としていてあまりテレビを観ないし彼のファンでもない。そればかりかテレビに上島竜兵が出ているのを観てチャンネルを切り替えた経験は一度や二度だけでない。上島竜兵の姿を観ては低俗な番組と勝手に決めつけ彼の出る番組を避けていたのだ。

そんなわたしなのに、何故だろうか。彼の孤独の一端が理解できるように感じて仕方がないのである。彼よりも少し歳下だが、年代が近いということもあるのかもしれない。またわたしが親しくしていた仲間や先輩のなかに自死を選んだ人が少なくないということもあるのかもしれない。

ここでわたしが書くことは、あくまでも推察の域にしかない。いや妄想に近いのかもしれない。しかし上島竜兵の孤独のかたちを想像し、その一端に光を当てることは、同じように孤独に苛まれている人たちを理解する一助になるかもしれないと思うのだ。

訃報に触れて最初にわたしの脳裏に浮かんだのは、彼が時おり見せる、陰影を秘めた複雑な表情であった。イジられているとき、その一番の見せ場における彼の表情のなかに、ある種の陰りが宿っているかのようにわたしには映るのである。

※わたしが見たのはたぶん「アメトーク」であろう。若手からイジられつつも上島竜兵の納得しない陰りのある表情を観ると、何か苛めにあっているかのような不快な気分にさせられた記憶がある。

「陰り」が確かなものかどうかは分からないが、その陰りの正体が知りたく、Wikipediaを調べてみると、以下のような文言に突き当たった。

「笑われようと、笑わせようと、そこに笑いさえあれば、変わりはない」を持論としている。
逆に「人をさげすんだ笑いはイヤ」とも語っている

Wikipedia

「人をさげすんだ笑いはイヤ」と語っている本人が悲しいかな何十年にも渡りテレビを通じて蔑まされてきたのではないだろうか。彼は「蔑まされる」道化師であったのだ。「さげすまされる」ことが彼の芸風だったのだ。


蔑むさげす」を国語辞典で引いてみると。

人格・能力などが劣った者,卑しい者としてばかにする。
見下す。さげしむ。

デジタル大辞泉

何とも悲しい言葉が並んでいる。
「笑われようと、笑わせようと」と自ら条件づけをしていながらも、
「人をさげすんだ笑いはイヤ」と書いているのは自己撞着のように響く。
「笑われようと、笑わせようと」というのは、彼の必死の強がりではなかったのだろうか。やはり彼の気持ちの何処かに、「笑われたくない」という気持ちが伏流していたように思うのだ。

俳優志望であった彼の芸人の出発点はどこにあったのだろうか。
そもそも最初からリアクション芸人を目指していた訳ではなかっただろう。
しかし人気芸人になるには、テレビという大きな舞台で爪痕を残すことが求められる。自身が目指す芸風や自己同一性を維持することよりも、成功を求め爪痕を残すことばかりがいらずらに優先されるのだ。予期せぬことから大きな爪痕が残され、それがリアクション芸という大きな成功へと繋がり、彼らを無類のポジションへと引き上げ訳だ。しかしダチョウ倶楽部の揺るぎないポジションの確立と引き換えに、上島が心ひそかに目指していた理想の芸風や自己のアイデンティとの同一性というものは、どこかに雲散霧消うんさんむしょうしていったのではなかったのだろうか。

売れれば売れるほどに、リアクション芸としてのダチョウ倶楽部も上島竜兵のポジションも揺るぎなきものになり、笑われる存在の上島竜兵のイメージも完全に固定されることになっていく。調べてみると彼らの芸風は、マンネリ芸と云われていたようだ。それだけイメージは固定していたのだろう。テレビを観る誰もが、また業界人やスタッフさえも、"本当の上島竜兵"に興味をもとうとはしない。芸人として絶対的なポジションを得たにもかかわらず、上島竜兵はひたすら「笑われる」存在として消費されるだけの存在となっていったのだ。悲しいかな、その笑われる存在、さげすまされる存在の、上島竜兵像は、自ら企図したものではなかった。ここにポイントがあるように感じる。

彼は晩年有吉のラジオのなかで「キワモノの俺が云うのも何だけど、本当はセンスのあるギャグが好きだよね」と語っていた。年齢ということもあるが、意外にも落ち着きのある語り口に知的なものが感じられた。彼は関西出身であり、若いころには、そうした"センスのある芸人"になりたかったという気持ちがあったとしても不思議なことではない。さらにラジオでの語り口に意外にも何か実直な印象も受けた。多くの人たちが異口同音に、優しく真面目な人だった語っていたことに納得させられた。

売れていた頃、全盛期においてはその高揚のなかで"孤独"を感じることはなかったのかもしれない。「聞いてないよ」という切り返しは、彼が嫌う「さげすまされる」という状況を見事に転換する妙技である。
蔑まされる位相から笑いをとる位相への見事な転換。
そればかりではない。「おでん芸」「どうぞどうぞ」「殺す気か?」など誰もが羨むほどのギャグの数々を生み出してきたのだ。

しかし60歳を超えた彼が、いままでのように前線で活躍することはできなくなりつつあったのだろう。昔のように「どうぞどうぞ」や「聞いてないよ」でスタジオを大爆笑させることも少なくなっていたのかもしれない。
そうでなくても「滑らない話」を契機にして、トークの効くタレントにしか活躍の場はなくなる一方である。若い頃に憧憬した"洗練された笑い"は遠いものになり、歳を重ねたいま、この先リアクション芸人の行き場が必ずしも光り輝く世界はないことを悟る。先輩の芸人たち同様に自分も少しずつフェードアウトしていく存在であることを認識せざるをえないのだ。
自分の将来像を冷静に自身で映し出せば、少しずつ虚無感に包まれていくのも不思議なことではない。

ひっぱりダコだった時代から少しずつスケジュールに穴があいてくる。
少しずつ自分を見つめ直す時間が増えてくる。
「つなんないな」、何となくそんな声が自分のなかに反響するようになったのかもしれない。

蔑まされる存在として周囲からのイメージされる姿と本当の自分とのギャップ。勢いのあるときは無視することができたその違和感と孤独感が、日を追うごとに彼の心のなかで、無視できなほどに大きくなっていったのかもしれない。

年下芸人からは特に慕われていたという。歳下の芸人からの応援が無力であったとは思えないが、後輩からの応援が、先輩にとっては素直に心地よいものでないことは想像にかたくない。後輩からの励ましは、逆に自分の無力さが示されているように感じてしまう場合もあるだろう。また彼の真面目な性格から考えれば、面倒を見てくれる後輩達に対して、「すまない、申し訳ない」と思う気持ちばかりを募らせるようになったのかもしれない。

有吉は、しばしば上島龍平を自身の番組にゲストと迎えていたようだ。嬉しく元気づけられる反面、彼の孤独を埋めるまでには寄与しなかったのかもしれない。

「蔑まされる」ことへの違和感、自分を騙して人気ものになるためにひたすら走ってきたいまの自分が築き上げたのは一体何だったのだろうかと振り返る。そうしたなかで孤独はどんどんと誇大化していったのかもしれない。

優しく実直な人だったと思うのだが、
そうした人ばかりが傷つき孤独を募らせるのは世の常なのだろうか。

わたしの勝手な推察はここまでだが、

「自分が自分であること、そのことへの揺るぎない自信」を持ちえなかった不幸を感じざるを得ない。その揺るぎなき自信は、他者との関係性によって成されるのだ。上島竜兵に、救いの手はなかったのだろうか。

わたしの場合、辛うじて僅かに自恃じじの念をもっているが、その自信を揺るぎないものにしてくれる他者、つまり友だちをひとりももたない。思い違いかもしれないが、どうしても上島竜兵の"孤独"が理解できるように感じてしまうのだ。


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