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初の京都初日、四条河原町でアウェイな空気に怯む①|下戸の酔いどれ放浪記

昨年2020年3月後半、コロナが猛威を奮っているなか、顰蹙ひんしゅくを買うであろうことを覚悟で京都へと旅にでかけた。コロナ禍のなか、修学旅行生はもちろん、うるさい中国人たちや欧米人の旅行客も当然いない、それどころか日本人の旅行客すらいない、そんな静かな京都を体験することは100年に一度、いやもう今世紀最後の機会ではないかと思ったからだ。だから介護の必要な母を無理言って妹に預け、顰蹙ひんしゅくを買うことを覚悟で京都へと出かけたわけだ。

30代前半の頃、出張で毎月のように関西に行き必ず京都へも立ち寄るのだが、一度たりとも泊まったことがなかった。京都は最後の立ち寄り地点で、仕事を済めせたら新幹線に乗って帰るだけであった。得意先の任天堂へ向かう場合は、京都駅からのタクシーの往復だけ。帰りに駅の喫茶店でお茶をして東京へと帰路につくばかりであった。

だから京都駅はよく知っていても京都の街のことは全く知らないのだ。河原町についても一度通った事があるくらいで記憶に残る光景すらない。

午前中にホテルのチェックインを済ませた私は、早速金閣寺に向かい、その後龍安寺を廻った。想像したとおりに人が全くおらず、静かな京都の寺院を心いくままに楽しむことができた。時間いっぱいとなり惜しいことに仁和寺に行きそびれてしまったが、その後夜になって、ひと気のない祇園を徘徊することができた。

気づいてみると朝から何も食べていない。随分とひもじくなっていた。それで祇園から四条河原町のほうへと戻ることにした。以前、You Tubeでみた河原町の飲み屋の印象が残っており、そんな庶民的な立ち飲み屋に行ってみたいと思っていたのだった。用意に見つけられるものと高を括っていたが、シャッターの閉まった商店街から先斗町や祇園の方まで歩くが、庶民的な店がどうにも見つからない。

ネットなどで前もって評判の店を探したりするのはわたしは好きではない。予定調和的だしネットでくまなく調べてしまうと既視感を感じてしまう。驚きがないのだ。ネットに頼るのは勿体ない、自分の感覚に頼ることこそが楽しいのだと思う。当たれハズレがあっても自分の感覚での選択こそが、印象的な旅の一コマを演出するものと信じて疑わないのである。

しかし勘所が悪く全く見つからないので、仕方なくスマホを取り上げ、昭和な雰囲気で地元民に親しまれているようなお店を検索し狙いを定めた。
定めたものの、それでもなかなかお店が見つからない。なんども同じ場所を言ったり来たりしている。朝から歩き詰めで足は棒となり、空腹も限界に来ていた。もうどこでも良いやと思い、目の前にあった洋風の居酒屋に入ろうと、看板をみると、なんと探していた店名であった。狙いを定めていたお店は、てっきり普通の立ち飲み屋だろうと踏んでいたのだが、よもやの洋風居酒屋だったのだ。

一人客だと告げると、若いマスターが指定してきたのは、入り口の狭い間口にわずかに設置されている小さな立呑み用カウンターであった。その先の奥のほうに抜けると、大きな客席があるようだった。しかも沢山のお客で賑わっていた。一人旅でいささか孤独のなかにいたわたしは、賑やかな客席のあるほうが恋しかったが、言われるままに小さなカウンターに落ち着いた。しかしカウンターと言われてもマスターの立つ場所との敷居は板一枚だけで、肝心のテーブルがない。酒やおかずをどこに置くのだろうか。まさか右手にお酒、左手におかずという訳ではないだろう、そんな馬鹿なと思いつつ、カウンター席の隣の客を見ると、敷居の板から小さくわずかに突き出た板のようなものがあり、そのうえにお酒とおかずがところせましというか、ギリギリの状態で載せられていた。奥で盛り上がっている人たちをよそにカウンター席は、結構な塩対応じゃないかと悲しくなる。

若いマスターがニコニコ笑って近づいてきた。何にしますかと笑顔で話しかけてくる。メニューをみる。理解不能なカタカナ語が並んでいる。しかもどれも数珠つなぎのように長くて難解極まりない。おじさんに、「コンフィ」とか、「ブスリケッタ」とか、洒落た料理名はわかるはずもなく、仕方なく恥を忍びながらオススメを聞いた。きっと英語ではなさそうなカタカナ語の連なりを眺めながら、小さな憤りを覚えるのであった。
京都にきて洋食か。。「はずれを引いたな」と思った。

店の人と客の人との会話を盗み聞きすると、どうも月曜日だけ間借りしているらしく、料理もあらかじめ仕込んだものを焼いたり、温めたりしているだけのようだ。他の商売をしつつ、週に一度の水商売を楽しんでいるようだ。
「やっぱり、はずれを引いたな」とまたまたネガティブ思考が顔をのぞかせる。

間もなく新しい客が訪れる。先頭に白髪交じりのおばさん。二人の白人の男性を引き連れての登場だ。「奥は、お二人さんなら入れます」との声に観光客の外国人2名だけが奥に通される。おばさんは離れちゃっていいの?と思ったら、どうも関係がないらしく、この店を紹介したにすぎなかったようだった。そのおばちゃんは、私と相席になった。猫の額ほどの小さな机で、どうやって二人分のお酒と食事を並べるのだろうか。

おばちゃんは、二人の外国人にお店を紹介できたことが満足この上ないようで、威勢良く数品の料理を注文し、「みんな、あちらの外国人に渡してあげて」と得意気に言い放っていた。私は、この露骨な白人コンプレックスを爆発させているおばちゃんを哀れな気持ちで眺めていた。年齢層が高いほどに白人コンプレックスは強いものだとしても、京都は世界一人気の観光地だ。いまどき白人コンプレックスとは、哀れなりと思った。

白人にお店を紹介したわ!とばかりに、「やった感」に包まれているおばちゃんだが、誰にでも陽気なわけではないようで、相席の私には軽いお辞儀はあったものの、よそよそしい。こちらも知り合いの京都人が少なく、しかも彼らがあまり開放的ではなかったこともあって、さらに「イケズ」のイメージにも引きずられ、「京都人とっつきにくし」の思い込みが強い。彼女のよそよそしい態度に、それ以上声をかける気がしなくなってしまった。

とにかく早く食べてこの店を出ようと思った。しかしなかなか料理が出てこない。注文してから相当に時間が経っている。「よし、あと2分待って料理が来なければ料理キャンセルして帰ろう」と思ったとき、私の険しい目つきにスタッフが気づいたのか、慌てて奥の料理人へと確認しにいく。何やら行き違いを確認している様子が伺える。その後、しばらくして慌てたように料理が届いてきた。でも残念なことに「お待たせしちゃってすみませんね」なんて言葉はなかった。「注文が通ってなかったみたいで待たせてすみません」なんて正直に茶目っ気を見せてくれれば、こちらも幾分気持ちも軽くなりそうだが、"このミスはなかったことにしよう"という気持ちが透けて見えるようで腹立たしく感じた。三度「はずれを引いたな」と思った。

そんなことでますます意固地になるばかりだが、お酒しか頼んでいない隣のおばちゃんに、「どうですか、食べませんか?」と水を向けてみた。彼女は、僅かな笑顔を含ませつつも、「もうたくさん食べてきたから食べれないのよ。おおきに。」と返し、すぐに顔を向こうへと背けてしまった。おばちゃんの関心は、連れてきた白人の方にあるようで、そちらばかりを見ていているようであったが、わたしには興味がないという意思表示のようにも思われた。こちらはますます居づらい状態へとなってしまった。ずいぶんビターの夜になってしまったなと悄気込しょげこむのであった。

今日は諦念するしかない。そそくさと食べておいとましようと箸を動かしていると、おばちゃんが店員にお勘定を求めていた。「認知症の父ちゃんのところに戻らなくちゃ。」と言っていた。「大変ですね。お母さんは元気なんですか?」と最後に声をかけてみたら、「いや母ちゃんも認知症なんや」と返してきた。「そりゃ、大変だ。うちも認知症の母がいるのでよくわかりますよ。」と返すと相好をわずかに崩し、「今日も父ちゃんは、お漏らしをしたのよ。叱りながらも仕方なく、オシメをしてあげたんやけど、オシメを閉め終わると父ちゃんは、かわいらしく「おおきに!」と云うのよ」と云ってカラカラと笑った。その「おおきに!」という落ちが気に入ったのか、なんどもその話をリフレインさせケタケタと笑うのである。その後、彼女はとても上機嫌となった。介護のストレスが強力な潤滑油となったのか、しばらく介護談義に花が咲くことになった。

少し打ち解けたので、京都には、他に立ち飲みを楽しめるような庶民的な飲み屋はないかと聞いたら、角内ちが幾つかあるからそこに行くといいわよと、地図まで書いてくれた。さきほどの余所余所しさはどこかに消えていた。「わたしも明日そこで呑んでるかもよ」と最後に付け加えて去っていった。食事を済ませたわたしは、明日の夜に思いを馳せながら店を去った。

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