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ふうちゃんと特別なイチゴの森【掌編小説】

 ふうちゃんが待ち合わせに遅刻するのは、めずらしいことじゃない。
 ぼくは、ふうちゃんを待つ間に、お寺の縁側の下の草をむしる。べつにやらなきゃいけないわけじゃなくて、ほかにすることがないからだ。
 縁側の下がもぐらの運動場みたいに穴だらけになったころ、ふうちゃんはぷりぷり怒りながらやってきた。
「しんじらんない。たかちゃん、ほんとしんじらんないの」
 ぼくはだまってふうちゃんを石段の一番きれいな所に座らせた。
 怒っているふうちゃんに、何か話しかけられても、返事をしたらダメなのは、今までの経験でよくわかっている。
「みて」
 今日、学校で配られた健康診断の紙だった。
 身長とか体重とかローレル指数が書いてあるやつだ。
「体重だけ増えて、背が伸びないなんてこと、あるわけないと思うでしょ」
 ふうちゃんはここ一カ月で400グラム増加。
 どっちも増えてないぼくとしては、なんとも言いようがなかった。
「たぶん、シイタケが悪いの。ほかのものでおなかいっぱいなのに、残しちゃだめって言うから、無理して食べるでしょ? だからストレスで背は伸びないし、シイタケのぶんカロリー過剰になっちゃうんだと思うの」
「そうだね」
 ぼくは控えめにあいずちをうつ。シイタケのカロリーがすごく低いことなんて、いまのふうちゃんに聞かせるべきじゃない。
「あたし今日からご飯食べない。もうほんとにおいしいもの以外は食べない」
 さすがにこれには返事ができなかった。
 だってぼくとしては、ふうちゃんがやせおとろえて病気になっちゃうのは見たくない。
「もうイチゴだけあればいいの」
 ぼくはこれにも返事ができなかった。
 イチゴの季節が2か月も前に終わっていることも、いまのふうちゃんに聞かせるべき話じゃなかった。

 お寺の裏の森は、どこまでもどこまでも続いている。
 ほんとうに、どこまでも続いている。
 ぼくとふうちゃんは手をつないで、森の中でイチゴを探した。
 うっそうと茂った森の中で、ぼくはシダの葉を一枚一枚ひっくりかえす。たった一粒でも、ふうちゃんのためのイチゴを見つけられれば、ぼくはきょう死んだっていい。
 ふうちゃんは鼻歌をうたっていた。ぼくの知らない歌だった。
「それ、外国のことば?」
「そうよ、よくわかったわね。イチゴの国の歌なの」
 つまりふうちゃんがいま作った歌だということだ。
「かっこいいね」
「かっこよくないわ」
 ふうちゃんは得意げに小首を傾げて笑う。
 たぶん、いま、ふうちゃんはふうちゃんじゃなくて、イチゴの国のお姫様かなんかになってるんだと思う。
 お姫様は400グラム増えたりしないんだろう。
「どうせならピンクがいいわ」
 せっせと葉っぱを裏返す僕に、ふうちゃんは歌の続きみたいな調子で言った。
「なにがピンク?」
「イ・チ・ゴ・が」
 どうも、それは、言うまでもないほど当たり前のことだったらしい。
「ああ、そうだね、前向きに努力するよ」
 ぼくはぼくの知るなかでもいちばんオトナな返事をした。
 ピンクってどんなピンクだろう。
 イチゴミルクのピンクかな。

 奥へ行けば行くほど、森は深く、ぼくたちは小さくなっていた。
 どんぐりの木ときたらみんな壁のように巨大で、そうなってくると落ちてるどんぐりのほうは、ぼくの手のひらほどもあった。
 これなら、一粒のイチゴでも、ふうちゃんをおなかいっぱいにしてあげられる。がぜん、勇気が出た。
「つかれたびれたー」
 ふうちゃんはもうお姫様をやめてしまったようだ。
「たかちゃん、あたしちょっとお昼寝したくなった」
「ここで?」
「ここよりいい場所知ってる?」
 ぼくはイチゴ探しを中断して、シダの茎によじ登った。
 なんだかよくわからないツタみたいな葉っぱを一枚むしり取って、ふうちゃんのところに戻る。
 やわらかい葉っぱの上に、両手を白雪姫みたいにしっかり組んで、ふうちゃんが寝そべる。
 もう一枚ツタを取って、ぼくはそううっとふうちゃんにかぶせた。
「おやすみ、ふうちゃん」
 ふうちゃんは眠り姫になってしまった。
 ぼくは王子様になってふうちゃんを起こす役をやりたい。それには、キスが必要だ。
 問題は、ふうちゃんがぼくを王子様だと思っているかどうかだ。ただのイチゴ係だったら、お姫様にキスするわけにはいかない。
 それとも、イチゴ係から王子様へ、変身できる特別な技かなんかがあったりするだろうか。
 ピンクのイチゴなら、そういう特別も、許してもらえるかもしれない。
 ふうちゃんを起こさないように、そうっと、そうっと、森の奥へ向かう。
 こういう場合、すべてをかなえる特別なアイテムは、いちばん奥にあると相場が決まっている。

「おきろー」
 腰のあたりにずしっと重量感のあるあたたかいものがのっかっていた。
「たかちゃーん、帰るよー」
 ふうちゃんがぼくの上にまたがって、肩をぽこぽこ叩いていた。
 いつの間に寝ちゃったのかわからなかった。
 ぼくはお寺の裏の森の、入口のところにいた。普通サイズのふうちゃんと、普通サイズのシダの葉っぱ。
「あれ、なんで? イチゴは?」
「もういいの」
 ふうちゃんは先にてくてく歩いて戻っていく。
 しまった。
 寝ちゃったせいで、ぼくは、王子様になるチャンスを逃してしまったのだ。
 たぶんこういうのを「一生の不覚をとる」って言うのだ。
「ピンクのイチゴ、明日ぜったい探してあげるよ」
 ぼくはふうちゃんの背中に向けて大きな声で誓った。
 ふうちゃんは振り向いて、言った。
「おなかすいちった。川本屋に行こ」
 いちばん近所の駄菓子スポットで、ぼくは、ふうちゃんにイチゴチョコをおごった。
 20円の、すごくピンク色のやつだ。
「んー、しあわせだねー」
 ふうちゃんはもうローレル指数のことなんかどうでもよくなったのかもしれない。
 それはすごく安心なことだ。ぼくとしては、ふうちゃんはちゃんとご飯を食べて、おやつにはぼくとチョコを食べてるほうがいい。
「明日も買ってあげるね」
 ぼくは心からの誠意をこめて、そう言った。
 ふうちゃんはぼくをじろっとにらんだ。
「だめ。明日は本物のイチゴ探すんでしょ」
 どうやら、最後の最後で、ぼくはふうちゃんの意図を汲むのを失敗したらしい。
「そうか、そうだね、ぼくまた前向きに努力するよ」

 とにかく明日もふうちゃんとデートだ。

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