石井さん太ってる

石井と申します。もちろん本名です。 1988/12/9 東京都北区赤羽生まれ赤羽育ち …

石井さん太ってる

石井と申します。もちろん本名です。 1988/12/9 東京都北区赤羽生まれ赤羽育ち ADHDで通院中の私は周りに馴染めない日々を送っています。「馴染もうとしていない」が正解でしょうか。 大したことない事柄に意味もなく長文をば。

最近の記事

~「神のお告げ」があるならば~

 2022年1月から2月にかけて、石井は無意識ながら決して小さくはない変化量で、人格が変わってしまった。 わかる範囲でいうと、 ・二輪車自体への興味関心の減退→今は車に興味があります→VT750Sは売却致しました ・長文を綴る事への熱意の喪失→NOTEの存在をも忘れていました ・仕事観の変化、ものづくりへのプライドの喪失→毎週TOTO買ってます  石井はバイクが好きだった。車の良さももちろん理解している。大型に乗ろうか検討している時に同僚等から「維持費高いよ」や「何かを犠牲

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      戸越・中延に参上した件

      • 荻窪で、散歩をば。

         1月15日㈯、これまた石井には縁も所縁もない杉並区荻窪を散歩した。主に駅の北側、上荻や天沼あたりだ。  石井の中での荻窪は、我が故郷赤羽よりも先に「せんべろ」が謳われていたような、小さな飲み屋がたくさんあるという勝手なイメージがあった。行ったこともないのに。ただなにか我が故郷赤羽に似たような雰囲気があるのではないかという、かと言って親近感があるわけでもない、好きでも嫌いでもない、特別メジャーでもマイナーでもない、何とも言えない不思議な街だ。 先に言う、もっと写真を撮ればよ

        • 下北沢で、散歩をば。

           石井は最近、ちょっくらバイクを走らせ、ちゃんとしたところにバイクを置き、そしてその街を散歩する、というのがマイブームとなっている。そういえば最近は「マイブーム」という言葉をあまり耳にしない。気のせいだろうか。実際に「聞かなくなった」という人が大勢いるのであれば、時代背景を考えれば納得だ。今を時めく若者の意思決定は oneself ではなく anyone か、もはや人ではない anything なのかもしれない。そんなことはよしとして。  1月14日のこの日、33年生きて

        ~「神のお告げ」があるならば~

          石井会をば。

           いつだ、9日か。1月9日㈰、久しぶりに石井会を開催した。私石井を含め3人で。AKIPPAというのは便利なものだ。非常に助かる。  石井会とは、石井が仕切る集まり、いわば「竜兵会」のようなものだ。石井会にも種類がいくつかあるが、今回は「豊学石井会幹部会」にあたる。「豊学」は「としがく」と呼んでくれると助かる。「豊島学院(高校)」の略だ。「とよがく」ではない。  今回石井会を開催した理由はいくつかある。もちろん定期的に開いているというだけの理由もあるが、メンバーの1人がついこ

          東武練馬でただ散歩をば。

           キンキンに寒い2022年の1月2日、訳あって東武練馬駅周辺を散歩することになった。駅周辺と言っても、人込みが苦手で尚且つADHDの私は極力人のいない方へと自然に流れていった。  まだ33歳になったばかりだが私は誰もいない公園が好きだ。詫び寂びというか、つい数分前、数時間前でも、かつてそこに「人の感情」が存在した場所に胸が締め付けられるのだ。過去を想像できるからか、そういった場所にとても魅力を感じる。神社やお寺、廃墟、寂びれた公園。私のこの「過去への執着」は何なのだろう。い

          東武練馬でただ散歩をば。

          「わざわざ」をば。

           今この文章を読んでいる及び、読みたくもないのにページを偶然開いてしまったが為に画面にこの文章が表示されてしまっている諸君。新年、明けましておめでとう。なんだかんだこれが2度目の投稿になる。今年は心機一転、もう少し頻繁に投稿しようと思う。誰の為か、それはただ自分自身の為だ。過去を振り返ることの好きな私自身の、少しでも助けになれば、と思う。  ついこの間、2021年の大晦日に石井は栃木県宇都宮市まで行ってきた。それも、日帰りで。  3年前(2019年)まで、11月に宇都宮で開

          「わざわざ」をば。

          noteで思う存分作文をば。

           昔、爆発があった。……おっと失礼。  30歳になってからだろうか、気が付いたら私は文章を書くのが好きになっていた。  私石井は子供の頃、文章を書くことがあまり得意ではなかったし好きでもなかった。苦手科目は国語と社会。漢字はまるで覚える気になれなかった。授業で書かされる作文は、大抵かなりの時間を要すか、休み時間を思う存分遊びたいが為に、適当に書き殴るかのどちらかだった。  感想文なぞ以ての外だ。国語や道徳の教科書の文章を読んだ結果、それに毎回感想があるはずがないのである。そ

          noteで思う存分作文をば。