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下北沢で、散歩をば。

 石井は最近、ちょっくらバイクを走らせちゃんとしたところにバイクを置きそしてその街を散歩する、というのがマイブームとなっている。そういえば最近は「マイブーム」という言葉をあまり耳にしない。気のせいだろうか。実際に「聞かなくなった」という人が大勢いるのであれば、時代背景を考えれば納得だ。今を時めく若者の意思決定は  oneself ではなく anyone か、もはや人ではない anything なのかもしれない。そんなことはよしとして。

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 1月14日のこの日、33年生きてきて初めて下北沢に降り立ったたぶん。赤羽生まれ赤羽育ちで尚且つ出不精の石井には下北沢は特に用事も無く、ほぼ無縁なのである。「東京人あるある」かもしれないが、TVでよく聞くいわゆる「オシャレな街」とされる街はほとんど行かない、もしくは行ったことが無いのだ。そもそも「オシャレ」という言葉を使うのは田舎者ばかりである。「オシャレ=見栄」だ。素敵な単語かと聞かれたら疑問である。

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 台湾まぜそばがこんなに辛いと思わなかった喉頭痙攣という持病もあり、小兵力士のような体格でありながらものすごい時間をかけて完食した。一歩間違えれば「死」に繋がる危険な食事であった。本当である。

 「下北沢」と聞いてまず何をイメージするだろうか。古着、芸人、舞台俳優、トモクリニック諸々。石井も正直「シモキタ…古着?」という残念な連想しかなかった。だって、縁が無いのだから仕方ないのだ。それらのイメージは先住民からは反感を買うかもしれないが、その気持ちは赤羽人の石井には痛いほど分かる。
 実際歩いてみると、やはり古着屋は多かった。長くやってそうな店も多々あり、最近できたような店もちらほら。「そんなにいります?古着…」と思う人も多いのではないだろうか。石井のように。
 かと言ってもちろん古着屋ばかりではない当たり前である。印象としては、細い道に多種多様な、小さなお店がたくさん並んでいて、まるで小さな商店街がいくつか入り組んでいるような。それでいて少し外れを行くと「昔から住んでますけど…」と言いたげな趣のある住居。道が細く昼間の限られた時間にしか陽があたらない、凍えるような寒さの道路。駅前の光景が嘘のように人のいない静かな住宅街が広がっている。なにか江戸時代辺りから地図的には一切変わっていないのではないかと思うような、不思議で且つ魅力的な雰囲気さえもあった。

 そういえば石井はこの街に1つだけ縁がある。石井の姉夫婦が店と、その上階に会社を経営しているのだ恐らく。なのでその店の前をせっかくだから通ってみた。するとなんと店の看板が無かったのである。なんということだ。やはりオーガニック野菜だけでは商売は厳しいのであろうか。それか姉のデザイナー業に絞ったのか。石井はあまり家族と仲が良くない為状況はわからない。

 かれこれ2時間か3時間か、歩いたり止まったり、割とどこにでもあるカルディで買い物をしたり。しかしながら特に飽き飽きすることもなく、かと言って感動するほどの何かがあるわけでもなく、結果的に散歩に調度良い街だということがわかった。

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 建物が低いということはとても良い事。視界の約半分に空が映るというのは実に爽快だ。街はこうであってほしいものである。
 しかしながらいつも後悔してしまうほど、石井は写真を撮らないのである。別に余るほど撮ってもいいだろう。

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 気が済むまで下北沢を周った後、それほどでもないが近所の、代田八幡神社へ出向いた。石井は写真を撮るのが好きなのだが、なんとも標識や周辺のインフラが残念である。神社の周辺は何もないのがベストだ。

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こんなところに大きな木!と思ったが綺麗に剪定されていた。そしてその木よりも大きなマンションもある。無力感に苛まれる。
 この神社には「日露戦争戦没者慰霊碑」なるものがあった。石井は日露戦争にノスタルジーは感じたことはなかったが、この慰霊碑に目を向けると不思議な感覚を覚えた。石井には霊感も無くスピリチュアルな嗜好も無いが、なんというかそれを見ている時だけ、頭のどの部分かもわからないところが「しんどくなる」のだ。何かが共鳴しているのか、あるいは電磁波か。確かなのは、気のせいではないということだ。
 原因は何だろうか。その場でその答えは出るわけもなく、その場を後にした。それから今に至るまで、特に何も起きていないので、「オバケ」の仕業ではないことは確かだ。でもやはり気になるので、「日露戦争」について少しずつ調べてみようかと思ったり、思わなかったり。

 普段なら30分程歩くだけでヘトヘトになる石井もこの日ばかりは元気溌剌だった。「知らない街を歩く」という好奇心のおかげもあるだろう。ただ石井自身が思う最大の要因は、両側のコメカミにピップエレキバン(200)を貼ったということだ。
 ADHDの石井は基本的に頭の中に色々な情報がパンパンに膨らみ、フル稼働している。んだと思う。頭の中を正常な人と比べることはできないし、うまく表現することは難しいが、五感で情報を得るとそこから何かを連想する。そこからまた連想する。またそこから連想、連想、連想…。いうなれば「連想地獄」なのだ。まるで石井の親父の、グッピーが増えすぎちゃってどうしようもない水槽のように。
 そうすると俗にいう「頭が疲れる」という状態になる。ただ実体験からすると疲れるのは頭というか「眼の奥」だ。それを感じていた為、とあるきっかけで手に入れたピップエレキバンをこめかみに貼ったところなんとまぁ眼が解れ、ピントも合わせやすくなり、頭の疲れも和らいだのだ。そういう「独特なアクセサリー」に抵抗のない人は一度試してみてはいかがだろうか。

以上。

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