見出し画像

荻窪で、散歩をば。

 1月15日㈯、これまた石井には縁も所縁もない杉並区荻窪を散歩した。主に駅の北側、上荻や天沼あたりだ。
 石井の中での荻窪は、我が故郷赤羽よりも先に「せんべろ」が謳われていたような、小さな飲み屋がたくさんあるという勝手なイメージがあった。行ったこともないのに。ただなにか我が故郷赤羽に似たような雰囲気があるのではないかという、かと言って親近感があるわけでもない、好きでも嫌いでもない、特別メジャーでもマイナーでもない、何とも言えない不思議な街だ。

先に言う、もっと写真を撮ればよかった。

画像1

 ちなみに私は出かけるときはなるべくデジカメを持ち歩く。結局スマホのカメラはデジカメには到底勝てない、ということが分かっているから。
 それなのに撮る枚数が少ない。単純に写真を撮り忘れるのも事実。最初に「写真撮らなきゃ」とはならないのだ。先ずは目に焼き付ける。するとその間に感動が生まれる。その方が絶対に記憶に残るのである。
 通話機能付きデジタルカメラ…おっと失礼、スマホのカメラでそこら中を撮りまくるのもいいだろう。しかしその写真を後で見かえしたとしてもそれは薄い記憶のサムネイルに過ぎない。


 駅前の人間の量はすごかった。交通量もものすごい。それもそのはず、駅に隣接したデパートや商業施設(?)に、なんでも揃っているのだ。生活には困らないだろう。
 少し路地に入り込むと、道の狭さに驚いた。そして妙に落ち着く。「きっと昔からこういう道だったのだろう」と思わせるその細く曲がりくねった道は魅力で溢れていた。この道路を葛飾の職員が見たら「ううわぁぁぁぁ!!」と発狂するだろう。立石のあの素敵な飲み屋街を「消防車が入れない」という理由で再開発を決定するような奴らだからな。そんなことは今はどうでもポクテ

画像2

 少し歩くと、と言っても本当に少しだが、やはり閑静な住宅街が広がっていた。しかも、新しい戸建てももちろんあるものの、とても古い「昔から住んでますけどオーラ」の止まらない家がたくさんあった。シモキタといい荻窪といい、やはり宣伝にならない魅力はTVでは放送されないのかと、改めて思う。人間、もはや一種の動物として最終的に求めるのは「娯楽」ではなく「平穏」ではないだろうか。「住みやすい街」とは何だろうか。「どこにでもアクセスできる街」と思ったのなら、私はその人にホームレスになることを進める。

画像3


 改めて言うが石井は神社が好きだ。ここ天沼にも美しい神社を見つけた。「天沼八幡神社」というらしい。松だろうか、巨大な針葉樹がいくつも聳え立っている。

画像4

画像5

そういえば周辺の古い民家の庭先にも、なかなか立派な松が、これまた聳え立っていた。この辺はそもそも松林だったのだろうか。「杉並」なのに杉の木が1本も無ぇでやんの

画像6

夢を見た 夢を見た

 かれこれ1時間ほど、このただの住宅街を歩いただろうか。特に何があったわけでもない。それでも楽しいのである。高校か大学辺りで「お笑いブーム」という時代を迎えた石井は、1つもふざけていない事柄に対してもツッコミを入れることができる(これだけ聞くと面白くなさそう)。よく目を凝らすと、日常にはツッコミどころが満載なのだ。だから何もなくても楽しめる。
 ただ1つだけどうしてもツッコまずにはいられないものがあった。とある床屋の2階のアンテナに、夢のあるキャラクターがいたのだが…

画像7

きっと黒い汁の出るなにかを食ったに違いない。これは夢か、現実か。というかそもそもだがネズミの生首デザインのアンテナとは、現実でこの類の夢を見ない石井にとっては「悪趣味の極み」である。

 この「夢」も含め、荻窪周辺に住むのはアリかもしれない。年寄りの多い街は良い街だ、と勝手に思っている。明らかな廃墟も多かったので、奇跡的に大金を手にしたら、家を建てるのも良いかもしれない。
 どこに住むときもそうだが、先住民への感謝は忘れないでおこう。どこから来たとしても「余所者」なのだ。調子に乗ってはいけない

 ただ勘違いしてほしくないのは、別に荻窪に住もうとして散歩をしたわけではないということである。

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?