「死にたいと言う人も本当は生きたい」という下劣さ

「死にたいと言う人も本当は生きたい」

と主張する人がいます。
そういう人もいることは否定しません。でも、本当に死にたい人もいると思います。

「死にたいと言う人も本当は生きたい」という人を見るたび思うのは、だったら本当に死にたい人は、何と言えばいい?、ということ。

死にたい人から言葉を奪っている

 結局、「死にたいと言う人も本当は生きたい」という主張は、本当に死にたい人が「死にたい」と言っても、信じてもらえない風潮を作りだしているんです。それによってSOSを言い出しにくい環境も作られるでしょう。

信じてもらえないのなら言うこと自体が無駄なんですよ。僕も何度か「本当に死にたい人は何も言わない」とか言われましたが、だったら電通で過労自殺した高橋まつりさんがツイッターで言っていたのは何だったのか。京都でALS患者の女性が医者に130万円払って安楽死した事件があったが、彼女は主治医にもSNSにも吐き出していた。それらは何だったのか。

「死にたい」という言葉はSNSにあふれています。それらすべてが「本当は生きたい」ではないし「本当に死にたい」でもないんです。しかしながら、どちらか一方だという決めつけの風潮が、もう片一方の気持ちの人たちから言葉を奪っているんです。

生きるか死ぬかは本人が決めるべきことだし、「死にたい」の言葉の意味も発した本人が決めるべきことです。無関係の他者の決め付けが、苦しむ人たちから言葉を奪い、自殺に追い込んでいる現実を考えてほしい。

「本当に死にたい」人の言葉、無視していませんか?

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