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失ったプラチナチケット:ジョブ型雇用 vs. メンバーシップ型雇用が描くキャリアの分岐点

大学であれ大学院であれ、教育を完了した若者は「新卒」という肩書を手に入れ、就職する。大手と呼ばれる日本の会社に就職できた場合、収入や福利厚生など極めて有利な条件のため、一生涯に渡って勤め上げることが多い。そうしてその会社のメンバーとしての地位を築き上げながらキャリアを形成していく働き方を、メンバーシップ型雇用と呼ぶ。

新卒入社は極めて有利な条件で就職できる可能性を秘めているので、「プラチナチケット」などと称されることもある。この貴重なチケットを手放してしまった場合、どんなことが起こるだろうか。

私は大学院の博士課程を修了後、「ポスドク」と呼ばれる非正規雇用の研究者としてとある大学でキャリアをスタートした。その後、わけあってプロの研究者の夢を諦め民間企業への就職を目指すことになるのだが、私の手元にあった新卒チケットの半券はすでにもぎ取られてしまっていた。そのため新卒としての就職ではなく、「転職」というステータスでキャリアを作る必要に迫られた。

その時点で、いわゆるメンバーシップ型雇用が保証されている大手企業への転職は難しいだろうという感触はあった。そこで考えたのが戦略コンサルティングファームへの転身だったのだが、残念ながらこの道を手に入れることは叶わなかった。(一社だけなんとか最終面接まで漕ぎ着けたのだが、その先に進めなかった。今にして思えば自分に適性があるとも思えないので、ここで落とされて良かったと思っている)

その後紆余曲折を経てようやく見つけたのが、外資系の科学機器メーカーのキャリアであった。このポジションというのが、いわゆる典型的な「ジョブ型」の雇用であった。

ジョブ型の雇用とは何か?私なりの経験をもとに述べるならば、それは「換えの効く歯車」として働くということにほかならない。

たとえばあるポジションで欠員が出たとする。そうすると、その抜けた穴を埋めるためにどうするかというと、同じことができる人材を探してきて埋め合わせるのである。穴の形はある程度規格化されているため、どのような人物を採ればよいのかはそれほど難しい作業ではない。歯車候補を見つけてくる作業はHR(Human Resource)と呼ばれる部署がおこなうが、日系企業の人事部のような強大な権限はない。このHRのポジション自体もまた、歯車の一部として交換可能なのである。

歯車は規格化されたスペースに入らなければならないから、基本的には経験者採用となる。まかり間違っても、どこか違う部署にいる人をジョブローテーションで連れてくることなどないし、ましてや就業経験すらない新卒の若者が採用される可能性はゼロである。これは非常に面白いポイントで、日本ではプラチナ扱いの新卒も、ジョブ型雇用システムにおいてはキャリア形成がもっとも難しい時期という逆転現象が起こりうる。

それではポスドクはどのようにしてジョブ型雇用のポジションを見つけるのだろうか。

私のいた科学機器メーカーには、Field Application Scientist (通称 FAS)と呼ばれるポジションがある。これは何かというと、科学分野における測定装置などというのは家電製品のようにボタン一つで何でもできることは少なく、普通は顧客(多くの場合は研究者)のニーズに合わせて試薬やら実験方法やらをカスタマイズする必要があるのだが、そのあたりを一手に引き受けていい具合に顧客とコミュニケーションを取る人たちのことを、FASと呼んでいるのである。

ポスドクというのはプロの研究者なので、このあたりの科学機器の使い方については一通り習熟している。つまり、この例でいうところの顧客側としてメーカーの装置に慣れ親しんでいるわけである。であれば、顧客が何を必要としているのか、どういった実験デザインが可能なのか、専門家としてアドバイスできるスキルを身に着けているとも言えるのだ。

ポスドクとして研究をおこなうという経験が、本人の意図とは無関係に、自動的にFASとして必要な歯車の形を削り出していくという、実に絶妙な塩梅になっているのだ。このことに気づいた多くのポスドクが、外資の科学機器メーカーに流れたのではないかと思われる。実際、私のキャリアの中でもあれほど博士号をもった人材が集中している業界を、ほかに知らない。

さて、ジョブ型雇用の特徴を「換えの効く歯車」と紹介した。欠員が出ればすぐさまハマり込めるのが特徴である。これはしかしながらキャリアビルディングという観点では諸刃の剣である。つまり、一度はまり込んだが最後、よほどのことがない限りは別の歯車になれない、ということでもあるのだ。
このことを端的に示しているのが昇進である。ジョブ型雇用において給与を上げるもっとも確実な方法はマネージャーになることであるが、このマネージャーというポジションですら、歯車として規定されている。つまりマネージャー経験がない人材が新たにマネージャーになれる可能性はかなり低いのだ。この点は、年功序列にしたがって昇進、昇給していくメンバーシップ型雇用と大きく異なる点である。マネージャーポジションがなにかの理由で欠員となった場合、まずまっさきにおこなわれるのは他社からの転職希望者を探しだすことである。自分の上司がいなくなったら、次は自分がその席かもと思うのが典型的な日系企業人事だとすれば、外資に代表されるジョブ型雇用においては、自分の頭上を別の人物がスライドしていくような感覚である。

これは卵と鶏の関係に似ていて、じゃあ最初にマネージャーになるにはどうしたらよいのかという問題が出てくるのだが、もうこれはM&Aなどの会社レベルの統廃合などの混乱に乗じてプロモートするなどといった、かなりイレギュラーな事件を期待するか、頑張ってMBAを取得するくらいしか方法はないように感じた。少なくとも私が観測した範囲においてはポジションの上下レベルにおける流動性は極めて低い印象を持っている。一生涯にわたって平社員というのも普通にありえる話なのだ。

巷では労働改革などといってジョブ型雇用の導入を叫ぶ声なども聞こえてきたりするのであるが、経験者としてのリアルな肌感覚としては、ジョブ型というのは基本的にはこのようなある種の閉塞感と共に付き合っていく覚悟が必要であると思うし、この点はメンバーシップ型雇用における閉塞感とは次元の違う話でもあったりする。

さらに付け加えるならば、このようなジョブ型雇用が普通に成立しているのは圧倒的に外資系企業が多いのだが、「外資系」という甘美(?)な響きに惑わされないリテラシーも必要であろう。コンサルや投資銀行、あるいは一部の超大手消費財メーカーなどは別であろうが、いわゆる「普通」の外資系企業の日本法人というのは、「日本営業所」以上の意味を持たない、経営レベルでの権限をほぼ有しない組織であるということを忘れてはならない。

これらを踏まえた上で、次回はジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用における生涯賃金格差について述べたい。

(続く)

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