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【仕事】人間だから、揺らぎはある

人が違えば違う考えだし、過去の自分とも違ったりする。

方針・方向性は合わせても、個々は違いがある

価値創造において、まだ色々と事業仮説も固まってない状態のときに、伴走支援というかたちで関わるとき、メンタリングやコーチングによって対話して様々な不確実な部分に対する表出や言語化を支援します。

このとき、自分一人ではなく他のメンターやコーチも関わって支援すると、どうしてもそれぞれが異なったことを言ってしまうことがあります。もちろんそこまで大きくはそれぞれの考えの方向性や方針は違わないのですが、微妙な差であっても言う人によって言うことが違うように捉えられてしまうと、変に不信感を持たれてしまいます。

口頭ではなく、先にテキストチャットや共有文書へのコメントなど字面だけでメンタリングやコーチングをする場合には、先にコメントしたメンターと違う考え方のコメントをしたい場合には、あえてコメントせず、先にコメントしたメンターには裏から申し送りをしておいたりして混乱を生まないように配慮します。

過去の自分も「他人」の場合もある

これは自分自身が前に言ったことと、その後言ったことについて整合性がとれない場合もあります。人間は忘れる生き物ですし、時間とともに自分の中の捉え方や考え方も変わってきます。

私も他のメンターも、できる限り過去に言ったこと、コメント入れたことを振り返って見られるように残しておいたり、確認したりしますが、それもやりきれないことがあります。

もはや過去の自分は、自分ではない「他人」なのです。
ただ、取り組んでいることがまだ事業開発としてはアーリーな段階で、仮説も変わっていくことが多いです。正解がないところに取り組んでいる限り、得てきた情報や分析の結果から過去の自分の思っていたこととは異なる状況になる場合もあります。

過去正しいと思っていたことが、今は正しくないのであれば、それを改めて新たな仮説に取り組んでいくべきですが、こういうものであることを知らない人やまだ経験が浅い人だと、方向性がブレている、言ってることと違うと捉えられたりします。もちろん短いスパンで毎度言うことが変わっているのはブレていることですが、仮説検証の元、自分の知り得る情報が増えてきたときに、軸足を変えることは、間違ったことを延々続けるより、健全な動き方です。

揺らぎではなく、選択肢なのかも

自分の中ではこの揺らいでいる言動や行動に、自ら違和感を感じたり、支援している人からどう見られているかなと気になって仕方が無かったのです。

しかし色々やってみて思ったのは、まだ答えがわからない、不確実なことに取り組んでいる場合の揺らぎは、ある意味選択肢を自分の中で増やしていることなのではないかと気づけました。

何度も言いますが、軸足定まらず毎度毎度言うことを変えたりすることと、ある程度考えがあって進んだ後、得た情報で変えていくことでは大きな差があります。

ちゃんとやることをやっている中での揺らぎは、自分のブレではなく、選択肢が自分の中で生まれていることなのかもしれません。
不確実な状況では選択肢を生み出すことが大事なので、揺らぎをポジティブに捉えて、自信持って支援していけばよいかなと思いました。

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