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10/24 カトマンズ観光—わからないことだらけのネパール宗教

ナワンくんの説明

朝、カトマンズのホテルでビュッフェ形式の朝食を食べた後、シェルパのナワンくんから今回のプログラムの説明を聞く。毎日の行程と、料金に含まれることについては、ざっとメッセンジャーで聞いていたが、それを出力したものと、3人分のゴーキョ・ピークの地図も用意してくれていた。個人での依頼だけに、今回の旅についてちゃんとまとめた文書みたいなものがなくて、他の2人を不安にさせていた部分があったので、これでちょっと安心した。それに、米ドルのレートが変わったからと、カトマンズ半日観光も料金に含めてくれるという。

その後、今回の料金を彼の希望により米ドルで支払い、日本からのお土産を渡した。実は事前に「日本からのお土産は何がいい?」と聞いていたのだが、「あなたたちが来てくれることが最大のギフトだから、何もいらないよ」と、日本ならキザとも言われかねないセリフを返されていた。なので、各自ちょっとしたものをあげようということで、ゆかちゃんからは彼女の作品である山の写真のハンカチを、あやのさんからはチョコレート数種類のセットを、私からはモンベルの超吸水速乾タオルを渡した。

トレッキング前後の時間にどこに行きたいかを聞かれ、とりあえずこの日はナワンくんが予定してくれていた、カトマンズ周辺観光に行くことにした。行き先は、トレッキング後にカトマンズでお会いした写真家の石川直樹さんが「ネパール人はみんなあそこに連れて行きたがる」と行っていた、スワヤンブナートとボダナート。確かに、私がネパールに来るのは3回目だが、両寺院とも行くのはおそらく3回目である。

私的カトマンズ観光地の見方

スワヤンブナートはカトマンズ西部にあり、タメル地区のホテルから車で20〜30分ぐらい? ネパール最古の仏教寺院とも言われ、「カトマンズの渓谷」の一部としてユネスコ世界遺産にも登録されている。

が、何より観光客の目を引くのは、こんな光景だ。

カトマンズでは犬やハトはどこででも見かける。が、それに加えて、ここにはサルが驚くほどたくさんいて、「犬猿の仲」なんて嘘だと思わされる。通称「モンキーテンプル」と呼ばれているそう。

もう一つの見所は、小高い丘の上にあるので大変眺めがよく、カトマンズを一望できること。本来は正面の参道から入って長い石段を登らなければいけないのだが、観光客はだいたい楽をして、丘の上から車で入ることになる。

ちなみに、敷地内の池の中心にこんな仏像がある。

池のまわりからお賽銭を投げて、この右下の壺に入れられるといいことがあるといった言い伝えがあるらしく、みんなコインを投げている。なんて画期的な集金システム!(ちなみに、スワヤンブナートのメインはストゥーパである)

もう一つの観光地「ボダナート」はカトマンズの東側に位置し、ここにはネパール最大のストゥーパがある。ただ、ボダナートがチベット仏教の大切な寺院であるのに対して、スワヤンブナートは仏教徒とヒンズー教徒両方の巡礼地という違いがあるのだそう。

ネパールの宗教はポイント制?

ネパールの宗教は相当複雑だ。3回来るたびに『地球の歩き方』の説明を読み込み、ガイドさんの説明を一生懸命聞いても、全然理解できていない。

ネパールでは、2006年までヒンズー教を国教としていた。一方、ブッダの生誕の地ルンビニがあるのも、ネパールだ。国勢調査では、ネパール国民の8割がヒンズー教徒で、仏教徒が1割弱、あとイスラム教徒が4%、キリスト教徒1%ほどいる。ただ、ヒンズー教と仏教が混じり合っており、1人の人間の中でも明確に区別されず両方信仰しているケースも多々あるそうだ。日本で言うところの仏教と神道のようなものだろうか。仏教一つをとっても、ネワール仏教、チベット仏教、テーラヴァーダ仏教(上座部仏教)などいろいろある。

スワヤンブナートやボダナートのような寺院を回っていると、信心深い人たちを多く見かける。ただ、宗教の専門的な知識があるわけではない私の感覚的なイメージなのだが、彼らの信仰は、なんというか、意外と現金な気がする。

例えば、ネパール各地でよく見かける、大小さまざまなマニ車。

このマニ車を時計回りに回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。いや、便利だけど、安直すぎじゃないか。お経唱えようよ!

寺院の説明を聞いているとよく出てくるのが、「功徳」。彼らは、自分たちの死後にいい思いをするために、生前にせっせと功徳を積んでいる。寺院を参拝したり、貧しくてもお布施を払ったり、動物に施しをしたり。要は、功徳というポイントを貯めているのだ。

私の中では、信心深いとは、その宗教の持つ教えや経典の根源的な意味を理解しようとすることだ何となく思っていた。でもそれっておそらく一部の宗教のイメージで、日本の仏教が庶民に浸透しやすいよう簡略化されていったように、簡単な形式だけを伝えるほうが広く普及させることができると、布教者の誰かが考えたのだろう。

そして、それが現在も守られ、金銭的に豊かでなくても、人も動物も分け与え合って生きており、不幸そうには見えない。さらに、ネパールには治安の悪いイメージはなく、いい人が多いように感じる。だとしたら、その宗教の目的は果たされていると言えるのではないか。

とにかく、ネパールを知るには、宗教についてもっとよく知る必要がありそうだ。

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