見出し画像

贈り物 もらう側と贈る側の気持ちとお金の話

ご無沙汰しております。

先日のバレンタインデー。職場でたくさんいただきました。当然うれしいものですし、ありがたく頂戴いたしました。しかしながら、職場でのこういうやりとりに関していささか疑問もあります。

たとえば、旅行とか帰省した際の手土産であればいいとは思うのですが、こういうイベントのようなことでのこうしたやりとりは、特に職場においては双方が気をつかいます。少なからず、私はもらう側として気をつかいますし、当然ながらお返しが必要ですからその際にも気をつかいます。

個人の自由と判断にゆだねられることではありますが、職場でのこうしたやりとりは控えたいというのが正直なところです。


この前、個人的にお世話になった人に贈り物をしました。みなさんは贈り物をする際、どういう基準で選びますか?自分がほしいものを選びますか?それとも相手がもらってうれしいと思ってくれるものを選びますか?私はどちらかといえば、相手がもらってうれしいと思ってもらえるものを選ぶようにしています。

しかし、これは結構難しいものです。相手に喜んでもらえるものを選ぶというのはなかなか困難なものです。贈り物にかんする価値とはどういうものでしょうか。その物の値段でしょうか?私は相手がよろこんでくれるだろうと、あれこれ想像しながら選ぶ行為そのものこそに価値があるように思います。もらう側からしたら、そういうようにあれこれ考えながら選んでくれたことこそ、うれしいと思うではないかと思うのですよね。

そのように考えると、先のバレンタインデーでのやりとりには、どこに価値を見出せばいいのでしょうか。よくある贈り物のやりとりとは別なように思います。半分義務感のようなものもあるかもしれません。


贈り物をもらう側の視点で少し考えたいと思います。たとえば、お世話になったお礼として相手から贈り物をいただく際、その物(商品)の値段についてどう感じるのでしょうか。いや、その贈り物の値段はもらう側からしたらわからないものですが、物によってはだいたい見当がつくのではないでしょうか。そうすると、もらう側の心境として当然うれしい気持ちもありますがその価値(値段)によってはくれた側に気を遣うこともあるのではないでしょうか。純粋にうれしい気持ちと申し訳なさという気持ちがない交ぜになるように想像できます。

少し前に、私はとある人に贈り物をしました。その際に、相手のことをあれこれ考えていて、贈り物を選ぶひとつに基準としての値段(価格)はとても難しい基準だなと感じました。しかしながら、これは避けられないものだと思います。贈り物に糸目をつけないことには疑問をもちます。少なくとも、もらう側より贈る側のほうが、あれこれ考えてしまうように思います。


よく、「ほんの気持ちです」などと言いますが、その裏には相当のあれこれ考えた苦労があるのです。もらう側からしたら、だからこそうれしいと思うのですよね。

つくづく、バレンタインのやりとりって、いったい何なんだろうかと思う今日この頃です。

今回の記事は以上です。

今回はなんとなく、漠然とあれこれ頭の中で思い浮かんでいることを書きました。散文的なものになったことをお許しください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(了)

いいなと思ったら応援しよう!