たぶん理解されないことかもしれないけど…

前職で勤務していた会社で常々考えていたことがある。それは会社から、まわりからどのように見られているかを感じとることでそれを一種のバロメーターのようにするということ。

どういうことかというと、単純に言ってしまうと自分が会社から好かれているか嫌われているかという主観的な観点であること。

自分にとってその環境がふさわしい環境であると感じているならば、まわりから自分が好意的に見られているかどうかが重要になってくる。自分がそこで働き続けたいと思っていても、まわりの反応が、あるいは会社からの評価が良くなければそこは非常に居づらい場所となる。

一方、その環境が自分にとってふさわしくない環境であるならば、やはりそこでどのように自分が見られているかが重要になってくる。

自分のことを話すと、僕は前職で勤めていた会社というのをまったく評価していなかった。会社そのものの組織としてのあり方だけでなく、上司の仕事に取り組む姿勢、部下へのコミュニケーションスキルや基本的な態度といったようなことがまったくビジネスシーンとしてふさわしくないことが多々あった。

また、それが社員にそういう空気感といったようなこととして伝搬し、組織の風土としても非常に悪いものであった。

そのような環境で、いくら理念や仕事への取り組む姿勢を自分なりにもっていたとしてもそれらを発揮できる土壌となりえるわけがない。さらにそのような組織風土をもっている企業の環境ほど、そういう社員は鬱陶しく思われる。自分もそのように見られていたことは知っている。だから今、このような状況である。

しかし、自分は必ずしも会社や上司から好かれよう、評価されようとは思っていなかった。これだけははっきりと言える。決して上司から評価されるために仕事はしていなかった。それは実は自他共に認めることであるかもしれない。

そのような社員にとって、ふさわしくない労働環境である組織においては、むしろ嫌われてなんぼ、といった考え方のほうが合っているかもしれないと思う。僕は常にそのように考えていた。それによって自分の立ち位置や態度振る舞い、仕事への姿勢、働くことへの理念みたいなものがぶれることなくしっかりと一本の筋として成り立つ。まあ、そういう社員は扱いづらいという側面もあって双方向的にあり得ることかもしれないが。

少なくとも僕は、自分がどのように見られているかによって自分の立ち位置がわかると考えていた。少なくとも会社から評価されていない、上司から嫌われていると感じているならば、それは自分がぶれていないことを示しており、自分を見失うことは防げていると考えていた。その場所は自分にとってはふさわしくない環境であることがはっきりとわかる。このようなことはなかなか理解されないと思うが、まわりを見る洞察力というのは自分の立ち位置を確認する上で必須のスキルであるかもしれない。

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