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何かを掴みに行くということ

私が「出社」しなくなってから、はや2週間が経過しました。

退職が決まって、最初は焦りや不安があったものの、家族や友人、一社目(現段階では「前職」)の先輩や同期からの言葉掛けもあり、少しずつ自分を取り戻せてきたような気がしています。

その一方で、自分で自分を律することの大変さも感じ始めています。

一日の時間の使い方は文字通り「自由」。どこで、誰と何をしていても「自由」。

働いているときの自分であれば、立ち止まれることにきっと羨ましさを感じていただろう、と思います。

途切れることのない業務チャット、毎週やってくる会議、復習の時間も取れないほど次から次へと飛び込んでくる業務リクエスト…

でも今ではそれが懐かしく、また今度は逆に羨ましく感じます。

月曜日が来れば、休日モードから切り替えて(一部引きずって?)出社、在宅であってもなくてもPCを立ち上げ、同僚や取引先とコンタクトを取って情報交換し、残業をこなして今日も一日乗り切った…と帰宅して、家族や友人、あるいは一人の時間をゆっくり過ごす…。

当たり前と言えば当たり前のこと。でも、今の私にとって、それは「掴み取らなければ、手に入らないもの」。

どこからともなく仕事がやってくる、なんてことはありません。
同僚とのランチタイムもありません。
月末に給料が入ることも、賞与の使い道を考えることもありません。

自分で動かなければ手に入らないもの。

仕事ももちろん、日常における情報についても、誰とコンタクトを取るかについても同じこと。自分のやりたいこと・やってみたいことについても、何もしなければ何も始まらない。

…こうやって言葉にすることで自分を鼓舞しているのかも、なんて思ったり。

7月最終日の日曜日。さあ、今日できることは何だろう?8月はどんな1ヶ月にしていこう?


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