コロナと共にある社会、そして「アフターコロナ」をどのように迎えるべきか
コロナウイルスの脅威、そしてその対応は、私たちの生活を一変させてしまった。働き方から、余暇の過ごし方、教育、文化、購買... およそ、影響を受けていないところを探すのが難しいほどだ。
みんな、以前の生活にすぐにでも戻りたいと願っている。しかし、みんな薄々気づき出している。この状況はこの後も相当に長引くのではないか? それどころか、もしかしてもう「完全に元の生活に戻る」ことはないのではないか。
過去のウイルスの大流行を振り返ってみると、流行のピークは1回で終わらないケースが多い。あるウイルスの流行が一旦は収束したかに見えても、感染者がごく一部でも存在している限り、気が緩むタイミング、もしくはいろいろな要因のためまたぶり返す。そして、発生から何年もの月日を費やしてようやくおさまる。ワクチンの開発も、どんなに早くても年単位はかかると言われている。世界的にワクチンを扱う製薬会社は減っていて(製造・販売するリスクが高すぎるため)、かつその性質上、治験にものすごい時間がかかるためだ。
という状況を考えると、もし仮に今のピークが幸運にも一度収まったとしても、しばらくは社会の大部分においてウイルスに対する「警戒モード」を続けざるを得なくなる。警戒に一番有効なのは、今のところ、このまま人との距離を取り続けることだ。少なくともしばらくはそれしかない。あるウイルス研究者は、「結局、何百年前の昔から、人類のウイルスに対する対処の基本的な方法は変わってないのだ」と自嘲気味に語っていた。
これからも、人との距離を取り続けることが社会的な命題であり合意であり続けるとすると、おのずと「人が集まり、近接する/接触する」ことが前提のサービスは、その形を大きく変えざるを得なくなる。
イベントへの入場の際、どの会場でも体温チェックが必須になるかもしれないし、マスク着用が長らく義務付けられるかもしれない。映画館では座席間隔を空けて座り、しばらくはキャパが半分とか三分の一になるかもしれない。電車は冬でも(冬こそウイルスが再燃する可能性が高い)、窓を空けて運行することが常識になるかもしれない。そうなると完全防寒で乗り込むしかない。それはとても寒いだろうけど、ウイルスの脅威を考えると何かの利便性は犠牲にせざるを得ない。
世界は、これまで何度も大きく変わってきた。今回もまた、大きく変わるタイミングかもしれない。そして今回の変化は、とても急激でそのインパクトも甚大だ。
それはもう避けられない現実だとすると、ただ単にそれを嘆いて昔を懐かしがっていてもしょうがない。5年後、10年後には、もしかして前の生活にかなり近い姿に戻れるのかもしれない。そうだとすると、少なくともその日までは、使える知恵、技術をすべて使って、なんとか今の状況に対応するしかない。
その鍵は、今のところは「オンライン」にある。不幸中の幸いというか、テクノロジーの発展の恩恵で、やろうと思えばいろいろ工夫できる素地は整いつつある。(これが、もし5年、10年前の出来事だったとすると、まだ技術的にもかなり厳しい状況だったと想像できる)
全てのことをオンラインで代替することはもちろん不可能だが、それでも、オンラインでできることはかなり多い。
都市部の飲食店は相当に厳しい状況を強いられているが、食材の宅配サービス、デリバリー代行のサービスはいま相当に伸びている。直接客先に訪問する営業ができなくなっているが、オンラインでの営業が急速に浸透してきていて、周囲でも、新規受注がオンラインだけで完結したという声も出てきている。また「zoom飲み」も盛んになっていて、みんなそれなりに楽しんでる。これまでは物理的に遠かった人とも均等にコミュニケーションが取れるという、副次的な効果もある。
イノベーションが起き、社会が大きく発展するのは、こういう危機の時だ。生活様式は変化するが、人がみなできるだけ楽しんで人生を過ごしたいという欲求に変化はない。いまの環境で、できることを少しでも進めていくこと。その人々の努力の総和が、暮らしの質を向上させていく。
いつか必ず、「あの危機があったからこそ、これだけ社会が良くなった」と言える日がくるはずだ。人類の歴史はその連続だった。今回も、それは変わらないと思う。危機の渦中にあることは大変だが、とにかく、今できることを、一歩一歩進めていく他ない。
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