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「悔しさをバネに」というモチベーションこそ最強だと思う

人生、良いことばかりではありません。良いことがあった分、悪いこと、残念なこと、悔しいことにもまた出会うわけです。しかし、悪いことに対して残念がっているだけではもったいないと思うのです。どうせなら、それを無理やりにでも活かしてしまえと。そんなことを書きたいと思います。


「理想的なモチベーション」とはどういうものでしょうか。

たとえば、ものすごく崇高なビジョンを持っていて、それを追いたい、実現したいというモチベーション。こういうのはもう文句なしに、すばらしいものだと思うわけです。

世界の偉人の自伝とかストーリーなんかはそうですよね。平和、進歩、そういう大切なものを実現し、守るために努力する。もちろん、僕も一市民としてはそのような気持ちも持ち合わせております。世界にはもっと良くなってもらいたいし、そのためにもささやかながら尽力したい。


しかしです、現実問題として、そのような「崇高な」ゴールを追うためのモチベーションは、普通の人間にとっては非常にもろいところがあります。目の前にすごく困難な障壁が現れたりすると、そういうモチベーションだけではなかなか続かないことがあります。つい、苦しくない方、楽な方へと走ってしまうわけですよ。


それに比べ、ネガティブ由来のモチベーションの方がはるかに強いことがあります。悔しい、だから見返してやりたい。そういう方向のモチベーションのことですね。僕自身なんかの例を出すと、いつも本当にそうです。

普段は僕も、なるべく「いい感じです〜」みたいに振る舞うように努力しています。できるだけポジティブに、前向きに。普段から接している人々や属しているコミュニティに対し、「上機嫌」であり続けることは大人として重要だと思うからです。

しかし、当たり前ですが、実際には日々かなり悔しい目にも遭うわけです。大きなことから小さなことまで。いちいちそれを言わず、発信もせず、自分の中に秘めているだけで。

そして、その「悔しさ」からくるモチベーションを、日々の重要な原動力にしているところがあります。むしろ、前向きなモチベーションよりも、「悔しい」ベースのモチベーションがメインかもしれないと思うくらいに (笑)。ネガティブ由来のモチベーションの方が、瞬発力とか、苦しいときの継続力が、格段に強いのですよね。


最近も、実はものすごく悔しいと思うことがありました。この2年間、それを目標にしてきてがんばってきたんですが、それが自分には叶えられないと分かったわけです。え、自分にはもらえないんですか… マジですか… と。

これ、他人からみたらものごく小さいことだと思います。え、それがそんなに欲しかったの? と、呆れられてしまうかもしれません。言ってしまうとものすごくかっこ悪く小さいことなんですが、個人的には、2年にも渡ってかなりこだわってきたんですよね。だから相当に、本当に本当に悔しい。

だからいま、その悔しさをバネに動いています。

最近、文章でも音声でも、かなり発信量を増やしています。それは、その悔しさから来ています。冷静に考えれば、それを得るにはいろいろと足りない部分があったのでしょう。謙虚な気持ちを取り戻し、あらためて一から修行する、というつもりでやっています。悔しいからこそさらにがんばれる、そういう気がしています。

悔しさを、ネガティブ捉えるかポジティブに捉えるかは自分次第


たとえば、悔しいとか、失敗したとか、何かに届かなかったとか、そういうことがあると一旦は落ち込みます。それは人間だから仕方ない。まずは、じっくりと落ち込んでも良いのではと思います。

そして、問題はそこからです。

ずっと落ち込んだままだと、自己肯定感が下がってきます。どんどん、ネガな方向に行ってしまいます。それは避けたいことですね。

だから、無理やりにでも、「(落ち込む機会を作った)この機会を活かす」と考えるのです。

起こってしまったことは、結果が出てしまったことはもうしょうがありません。だから、これをある種の「人生のイベント」と考え、それをチャンスと考えるのです。


たとえば、方向転換というオプションがあります。Aという道に進んでいたけれど、Aが途中でダメになった。そのとき、無理矢理にでもBという道を探すのです。そしてものすごく努力する。すると不思議なもので、結構な確率で、「実は本当にBの方が良かった」という結果になることがあります。

なぜなら、モチベーションが強いからです。Aがダメだった「悔しさ」を原動力にすると、Bがものすごく進む。それは、崇高なビジョンとか、そこからくるモチベーションよりもはるかに強かったりします。

だから「今に見ておけ」とか、「見返してやりたい」というような気持ちは、ごくごく普通の感情として持っておいて良いと思うのです。そこに秘められたパワーは、人生において本当に大切なものだと思うからです。


いま、僕がnote(テキスト)、そしてVoicy(音声)での発信を強化しているのも、上述した、直近に経験した悔しさがバネになっています。

そう考えると、まあ負け惜しみともいえますが、本当に「悔しい」思いをして良かったと思うわけです。もしそれがなければ、新しいSNSにチャレンジしたり、これほど発信量を増やせてなかったからです。これまで通りで良いのだ、という気持ちで安住していたことでしょう。


少なくともしばらくの間は、いまの悔しさをポジティブな方向なエネルギーに転換し、もっと多くの発信とか、新しい仕事とか、さらにがんばっていきたいと決意しております。皆さま引き続きどうかよろしくお願い致します。


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Voicyで、この内容についてさらに掘り下げました。よろしければぜひお聞きください!


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