仮想世界と現実世界の融合で、脊椎脊髄治療の新たな可能性を切り拓く
3~4cmの小さな切開から治療する鍵穴頸椎手術
手術台の上、麻酔で眠った状態の男性がうつ伏せ状態でその時を待っていた。患者の疾患は頸椎症。脊髄が走る脊柱管などが狭窄して首や体感・手足に痛みやしびれが走る。QOLを著しく下げるばかりか放置すると寝たきりになりかねない厄介な病気だ。午後3時15分、成田渉医師執刀のミスト手術が始まった。成田医師の手術には全国から見学希望が絶えず、この日も見学者がモニターを見守っていた。
首の後ろの切開部を入念に消毒、体にシートをかぶせ、執刀開始。患部に向け、電気メスを奥深く切り進めていく。
「従来、切開の長さは10~15cmほどでした。ミスト手術ならば3~4cm、絆創膏の長さに収まります。小さな穴から深部を治療するので、鍵穴手術とも呼ばれます」と成田医師が解説する。
出血量は10㏄と驚くほどの低侵襲
執刀開始から20分が経過。筋肉や脂肪組織を傷つけぬよう丁寧に剥離しながら、指3本分ほどの深さ、白く光る頸椎に到達した。最先端の手術顕微鏡により24inchのモニター画面が患部の映像を映し出す。直径3.2mm、毎分8万回転のダイヤモンド製のドリルがキィ―ンという鋭い音と共にうなりを上げながら病巣を削り、椎骨4カ所に生じた圧迫を解除する。
「画面だけ見ると真っ赤に見えるため、出血が多いと思われがちです。しかし、切開部が小さく約10倍に拡大しているため、そう見えるだけ。実際の量は10㏄ほどです。一般の献血量が約400㏄。それと比較しても、とても少ないことが分かります」
これまで手掛けた手術は3000件以上
除圧後、狭窄が再発しないよう、ミスト手術に対応した特殊な器具で固定し、切開部を縫合。手術は約45分で終了した。患者は手術翌日に歩行練習を始め、1週間ほどで退院予定だ。
「手術は神経に隣接した骨を確実に削るなど緻密な作業が続きます。手先の動作が微妙にずれたり、力の加減を誤るなどのわずかな狂いで、患者様の命を脅かすばかりか取り返しのつかない合併症を起こす可能性があり、高度な手技が求められるのです。私は、これまで3000件以上の脊椎手術をしてきました。無名の一臨床医である私がこれだけの実績を残せたのは、独自に工夫を重ねた手術の結果と患者様の満足度のどちらも高いことによると自負しています。私は今でも毎日のオペに加え講演や学会の他、論文の発表や他の病院に見学にも出かけます。また、手術に用いる機器の多くも自ら医療機器メーカーに足を運び、開発や改良に携わっています。今日まで良い治療結果を残せたのも、継続的な研究と技術の向上に取り組んできた成果だと思っています」
座右の銘は「努力と研究に終わりはない」
成田渉医師は1977年生まれ、2003年に自治医科大学を卒業。京都府立医科大学で研修後、僻地医療に従事し、スマートフォンアプリやXR脊椎手術の開発など、IT技術を応用した新たな技術や機器の開発に取り組んできた。2018年10月、亀岡市立病院に脊椎センターを立ち上げ、センター長に就任。以来、成田医師が年間300例以上の全手術について責任をもって執刀している。2021年には、ミスト治療をより広く普及させながら、最新機器の開発をすすめたいとの思いから、安定した公務員という地位を捨て、フリーランスの外科医に転身した。
「大学卒業後、まだ20代の私は過疎地域で診療していました。そこでは病気に悩む人が大勢いるのに、医師は私だけで指導医も皆無でした。このままでは、他の医師と差がつくと懸念し、寝る間も惜しんで働き続けました。診療の合間に全国の有名病院を訪れ手術を教えていただき、学会で議論を重ねるといった武者修行を重ねてきた結果、独自の術式やさまざまな医療機器を開発することができました。私の座右の銘は『努力と研究に終わりはない』です。外科医として大切なのは、常に技術や知識を磨き続けることだと思います」
XR治療の可能性を見据える
今でも遠方から来院する患者が後を絶たず、毎週火曜日の専門外来は夜8時まで終わらないことも珍しくない。しかし成田医師は朝から食事や休憩を全くとらずにぶっ続けで診療に当たるという。「早期発見・早期治療が非常に重要です。症状が進行し、手遅れの状態で手術を行っても一度悪くなった神経は元に戻りません」と警鐘を鳴らす。脊椎脊髄疾患治療の第一人者として地位を確立した成田医師だが、現状に満足せず、さらなる可能性を求めて未来を見据える。
「医療の未来は、外科医の熱意とXRのような新技術が切り拓くと考えています。前もって手術をシミュレーションすることで、診断や手術の精度を向上させることが期待できます。特にミスト手術のような切開の小さな手術には有用です。ぜひ、多くの方に最新治療を知ってもらい、医療の可能性を広げたいと思っています」
※『名医のいる病院 整形外科編 2024』(2023年10月発行)から転載