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滋賀大津・逢坂の関 散歩

京の都を守る重要な関所である3関(鈴鹿関、不破関、逢坂関)のひとつ。

大きな案内板ができてました


逢坂の関にちなんだ、小倉百人一首 3連発

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関/蝉丸

平安時代前期の歌人、蝉丸の句です。
逢坂の関はこの当時から、賑わっていたのでしょうね。
ここから少し下ったところに関蝉丸神社があります。

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関


名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな/三条右大臣

平安時代前期から中期にかけての歌人である、三条右大臣の恋歌。
なんか、これからイチャイチャと悪いことしようとしているみたいなドキドキ感?!

名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな


夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関は許さじ/清少納言

大河ドラマで話題の、平安時代中期の作家/歌人である清少納言の名句も忘れてはいけません。

夜をこめて 鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関は許さじ

函谷関の鶏鳴の逸話を知らなければ、なんのこっちゃわからない。
清少納言の教養の高さがきわだつ名句。


交通の要所

関所としての機能は、平安後期からは形骸化していたとはいえ、今でも重要なルートに位置しているのは間違いありません。


東海道(国道1号線)

上掲の地図を見ていただけるとお気づきかと思われますが、まずは国道1号線です。昔からの東海道に沿って走っています。滋賀県と京都府を結ぶ主要幹線なので交通量が半端ない。

その昔、沿道ではここを行き交う旅人向けに大津絵を売っていたようです。


京阪京津線

京阪京津線が、逢坂の関のすぐ近くでトンネルから地表に出てきます。

浜大津(大津市)から太秦天神川(京都市)へ向かう京津線の電車

日本でも有数の急勾配を登ってきた電車にとって、逢坂の関のあたりが最高地点となります。


名神高速道路

名神高速道路もこのすぐ近くをショートカットして通過します。
滋賀県の米原から南下(西進)してきた名神高速道路は一旦短いトンネルに入り、一瞬のあいだ谷間にかかった橋を通過して次のトンネルに入る、まさにその谷の頂上が逢坂の関。


JR琵琶湖線(東海道線)

現在のJR琵琶湖線は、ここから900mほど北をトンネルでショートカットして通過するけれども、明治時代にはこの逢坂山を一気にトンネルで貫くことは難しかったらしく、もう少し標高が高い逢坂の関に近いあたりに作ったトンネル(旧逢坂山隧道)を通過していました。
ちなみのこのトンネルは、日本で初めて日本人によって完成させた山岳トンネルとして、鉄道記念物の指定を受けています。

お隣の駅は、成瀬あかりが活躍する膳所(ぜぜ)駅
JR大津駅ホームにかかる名所案内に、旧逢坂山ずい道が記載されている。


大津航空無線標識所

ここからは少し離れますが、同じ逢坂山を北にあがった山中に、大津航空無線標識所があります。国内線の航空路線図を見てみると、琵琶湖の西岸あたりで路線図が集中している場所があるのがわかると思います。

羽田や成田から福岡へ向かう便が通過していきました。
かつて関空発の欧州便がロシア上空を通過していた時には、
この辺りを通過していたような記憶があります。


この関について、調べれば調べるほど、いろんなエピソードが出てきそう。
それがまた大津のいいところ。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

これまでの収益は全て、それを必要としておられる方々へ、支援機関を通して寄付させていただきました。この活動は今後も継続したいと思っています。引き続きよろしくお願いいたします。