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映画「糸」・中島みゆきの名曲にこめられた純粋な『想い』が響く

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北海道・東京・沖縄・シンガポールが舞台となり、避けがたい「運命」を彩ります。

13歳で出会った、平成元年生まれの漣と葵のふたりが織りなす、「糸」に絡めとられた運命を体現する感動作。
中島みゆきの「糸」をモチーフに様々な人間模様が咲き乱れます。

どこかで見た、そして、どこでもありそうな日常が観客の胸をわしづかみにする壮大なストーリーで泣かせます。

母親の同居相手による虐待に耐え、人知れず苦悩する葵の胸の内を感じ取った漣は、「ふたりで逃げよう」と列車での逃避行に駆られます。

つかの間の静寂のなかの幸せが幼いふたりを包み込みますが、そんな平安な時間は長く続かず、発見されたふたりは引き裂かれ、かろうじて繋がっていたふたりの赤い「糸」はここで切れてしまいます。

そして、高校を卒業した蓮と、大学生になった葵は東京で運命の再会。やっと繋がったと思った「糸」はまたしても運命のいたずらから、再び切れてしまうのでした…

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『運命の赤い糸は本当にあるの?』と疑ってしまいそうになりながらも観客は「今か、今か」とふたりの「糸」がしっかり繋ぎ合わされる瞬間を固唾の飲んで待ちわびる、そんな緊張への試練を強いられる映画でした。

人は誰かと出会った時、「運命」というものを感じるのでしょうか?というよりも、意識するものでしょうか?
もしかすると、「運命」と定義するのは、その出会いが何かを決定づける、あるいは、記憶に残ることにより、「あぁ、そうだったのか」となるような気がします。

しかし、その出会いが、「喜び」「幸せ」なものだったとは限りませんよね。もっとネガティブな感情・記憶としてその人にまとわりつくことになることもあるでしょう。

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この映画における「運命」の出会いは、ふたりの男女の心の琴線に触れながらも、付いたり、離れたりを繰り返します。そこには偶然(偶発的)が重なり合う非情さも感じとることができます。

幾多の出会いと別れを繰り返し、ついに二人を繋げていた「糸」がしっかりと結び合う瞬間が訪れ、そこに至って初めて、ふたりが出会うべくして出会ったという「運命」が現れるのです。

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北海道に住む漣と葵はお互いの友人と花火を見に行き知り合います。やがて、漣と葵は親しく会話するようになります。

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漣は葵の顔や腕にあるあざに気づき、葵の家庭の事情を知ります。葵の母親の同居相手による虐待にいきどおる漣ですが、助ける術を持ちません。

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「ふたりでどこか遠くへ逃げよう!」と葵の手を取り、夜行列車に飛び乗り、実現しない安住の地へと走り出すふたりの姿にグッときました。

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居場所を突き止められ、引き離される漣と葵。ふたりの無力さが際立つシーンです。

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高校を卒業し、地元のチーズ工房で働く漣は20歳になっていました。

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東京で友人の結婚式に出席して、披露宴会場で葵と再会します。すっかり美しい大人の女性になった彼女を眩しく見つめる漣。勇気を出して葵に声をかけ、つかの間の再会に心を弾ませます。

そんな漣に対して葵は終始落ち着いた対応を見せ、どこか物足りなさを感じる漣。
なにかに急かされるように会場から去る葵を追いかけ、街路で追いつきますが、ここでも葵は何げない様子で待っていた車に乗り、去っていくのでした。

それからも幾度となくすれ違いを繰り返す漣と葵。ふたりの運命の「糸」は切れたままなのでしょうか?

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ネイルの仕事をする葵にビッグチャンスが訪れ、シンガポールで友人とネイルサロンを立ち上げ、成功を納めます。

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それもつかの間、共同経営者である玲子の裏切りに合い、事業は破綻。失意のなか、日本に戻ります。

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一方、漣はチーズ工房の同僚の香と幸せな結婚をし、かわいい女の子にも恵まれ、世界に通用するチーズの開発に打ち込む毎日を過ごしていました。
やがて、香が病に倒れ、父娘ふたりの生活を余儀なくされます。

これからどの地点でふたたび葵との接点が生まれるのだろうかと観客もやきもきするところですよね。

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傷心の葵が故郷に帰り、かつて家に帰りたくなかった時にご飯を食べさせてくれたおばちゃんの家に立ち寄り、そこで涙ぐむ葵をそっと抱きしめてくれた女の子が漣の娘でした。

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その後、葵は漣とふたりで行こうとしていた街に行くためにフェリー乗り場に現れました。娘が出会った女性が葵と知った漣は車を飛ばし、港へと駆けつけます。

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★この映画を観て私が感じたことは、漣は「葵を守りたい」とずっと思っていたこと。それを感じ取りながらも葵は「漣に負担をかけたくない」と距離を取っていたのだろうということでした。

そこには、他者(漣)に対する深慮が存在すると思います。自分の望むものをむやみに追いかけないという自制心とでもいうのでしょうか。たとえ自分を愛してくれている相手でも引き際を知る強さが葵にはあると感じました。

★もうひとつは、たとえ自分の非力から環境を変えられなくてもいつか「なんとかなる」日も来るということでした。

同居相手からの葵への虐待が「いつまで続くのか」と胸が苦しくなりましたが、東京で連との再会の時に判明したのは、ふたりが引き離され、どこかに引っ越した葵の環境は、あの同居相手が去ることで変化していたということでした。

「あっ、そうか。母親と同居相手が別れるという、結果オーライもあったのか」でした。

悪循環も何かの要因によってピリオドが打たれることもあるという「希望」が湧いた瞬間でした(^_-)-☆


「運命の赤い糸」ってともすると、当人たちにとって、「幸・不幸」どちらにも傾くものなんだな、としみじみ思わされた映画でした。涙なしには観られない名作ですね。

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