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誰も判ってくれない

2,大阪から帰省した日のこと、私は、祖母の部屋に布団を敷いた。それはもちろん、私が就寝するための布団である。小学生の時分は、祖母が寝入った布団に潜り込み、温もりに包まれながら寝ていたのだ。だが、なぜか祖母の表情は硬ばっていた。そしてその表情は、私との再会を拒んでいるようにも思えた。祖母は何も喋らなかった。それゆえ私は、次第に部屋の空気に圧迫され、就寝につくことはもとより、私の居場所さえ奪われる感覚に陥ったのだ。そして部屋はますます気まずさに満たされていった。いや、そうではない。「気まずさ」であれば、私は(に限らず誰しもが)難なく乗り越えられるはずである。なぜなら、「気まずさ」であれ何であれ、理由があるからには同時にその解決策が提示されるからだ。すなわちそれは場所を得るということにほかならない。だが、瞬間によって切り取られた一面には理由も解決策もなく、「従うこと」に従わざるを得なかったのだ。

3,ある日、母が嘔吐を繰り返していた。それはいつしかそうなったのだろう、母はしばしば体調を崩す身になっていたのだ。私は背中をさすろうと、母の背に手を当て、少しばかりさすっていた。すると、次第にその感覚は、私の母から母を遠ざけると同時に、私の内部でことごとく時間が、あるいは魂が滅びゆく感覚に変貌してゆくのだ(母を介するという、あまりにも残酷な手を使ってだ)。私は恐れ慄き息を荒げていた。そして部屋に戻り、ソファに座ると、自分が置かれている状況など考える間もなく眼に涙があふれたのだ。果たして「過去ですらない」現在は死んだのだろうか。
それは、つい先日のことだった。午後3時の陽のもとで、私は母の背に飛び乗り、おんぶしてもらっていたのだ。そしてたしかに母は私を揺すりながら、メロディーを口ずさんでいた。

*「過去ですらない」は、『JLG/自画像』(1995)における「過去は死んではいない」に続く言葉である。
*この物語は、障害における失われた時間の物語であって、自立心のなさではない。


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