NY自宅隔離日記14:それでも生きていかなきゃ

世界各地と同様に、コロナウイルスが猛威を奮うニューヨーク。

3/1に最初の陽性反応者が出てから1ヶ月が経ちました。

外出禁止令が全米へと広がり、ニューヨーク州はいまや単体で中国の感染者数を凌ぎ、医療崩壊が起きようとしています。

パニックになる人、楽観する人、呆然と流される人、周りには色んな人がいましたが、ここまで事態が急展開するとは思ってもみなかったという人が、私を含めて大半を占めていると感じます。

その中で自分は「あ、これは書かなくちゃ」と思えたので毎日少しずつ書いてみます。

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ニューヨーク脱出24時間前

スーツケース2個に衣類や日用品、貴重品を慌てて詰めた翌朝。

しばらく離れるニューヨークの小さな部屋を掃除した。

その日は小雨が降っていて薄暗く、濃い霧が出ていて、なんとなく物悲しい雰囲気で。窓からの景色がニューヨークらしくて決めたこの部屋を出るのが少し寂しい。

本社から急に電話があり、アメリカに残っている管理職ではない駐在員はその家族を含めて早急に帰国するよう通達があった。

手遅れになる前に、と言われたが、今後何が手遅れになっていくのかはよくわからなかった。

私は今日ロスに飛ぶこと、日本に着いたら連絡することを再度伝えて家を出た。

空港まではいつも通りUberを頼む。

街を走るuberやイエローキャブの数も減っているし、アジア人の乗車拒否などを聞いていたので最後まで迷ったけれど、きっと何とかなると信じたかったのかもしれない。

なんとかスーツケース2個を運んで車を待っていると、家の点検や定期メンテナンスに来たことがあるハンディマン(修理屋さん)が声をかけてきた。

「元気?残念だけど日本に帰ることになったの。」

「そうなんだ。きっとそれがいいよ。今は何もかもめちゃくちゃだし。道中気をつけてね。」

「ありがとう。みんなが家にいるから忙しい?」

「とんでもなく、ね。essential work(外出禁止令に該当しない、必要な仕事)だから仕方ない。仕事があるだけマシだけど。」

「みんな、あなたの仕事に心から感謝しているよ。本当にありがとう。」

頼んでいたUberが到着したので、そこで彼に手を振って別れた。

Uberの運転手は幸いとても良い人だった。

いつも通りトランクを積み込むのを手伝ってくれたし、マスクをきちんとして、ハンドサニタイザーを貸してくれた。

いつもは混雑する空港までの道がガラガラで、いつもの半分位の時間で空港に到着する。

空港にも誰もいない。

ほとんどの便がキャンセルになることを告げる電光掲示板だけが忙しなく動いていた。

セキュリティチェックは今日は全部1レーンで、職員以外の人間は私だけ。

いつもより遅く出たのに時間が余るが、店も閉まっていてやることがない。

いつもはゴミが落ちていたり、誰かがこぼしたジュースで汚れている空港内の椅子がかつてないくらいピカピカだ。

noteの下書きをしていたらあっと間に搭乗が始まった。

ほとんど乗客がおらず、席は1/4も埋まっていないのに、何故か私の列だけ3人とも乗客がいて、寿司詰にされている。

すぐにフライトアテンダントがきて、散らばって座るように指示された。

前方の席に3席独占して座る。後ろの列にも誰もいないので座席も倒し放題。とても快適だ。

モニターや背もたれ、肘置き、シートポケットを除菌シートで満遍なく拭き、ゴミをすぐ捨てる。

ロスまでは地味に遠く、5時間半かかるので、すぐアイマスクをして寝た。

機内食は出ず、チーズやクラッカーなどが入ったスナックボックスが提供され、飲み物もカートで聞きにくるわけではなく、一人ずつ聞いて後ろのギャレーで用意したものを渡された。


ロス到着

ロスに無事着いた時の安堵感は言葉にできないものだった。

スーツケースを引き取り、空港隣接ホテルのシャトルを待つ。

またここでも私一人だけ。

そして10分くらい待っても、一向にシャトルが来ない。

隣接するといっても歩くわけにはいかない距離なのでタクシーに乗ることを考え始めた頃、別のホテルのシャトルが止まった。

各ホテルで走っているシャトルが1台しかないので、30分以上待つこともザラだと言われ、5ドルで近くまで乗せて行ってあげようかとオファーを受けた。

ホテルの無料シャトルと言いながら、アメリカの場合は運転手に1ドル程度チップを渡すのが習慣だ。それが5ドルになっても、今の場合は仕方ないだろう。

目当てのシャトルがいつ来るかわからず、夜も遅くなってきていたので乗せてもらうことにした。

彼は毎日こうやって、どこかのホテルに行く人を送り届けているらしい。

夜中の便だと1時間待ってもシャトルが来ないケースもあること(若い運転手がサボるらしい)、ニューヨークはロスより遥かに状況が酷いらしいね、なんて世間話をした。

5分ほどで私のホテル横の歩道に止まる。スーツケースをわざわざ敷地内まで運んでくれたことに感謝して、約束通り5ドル払った。

ホテルのロビーには行く宛のない宿泊客があちこちで飲み物や食べ物を持ち寄っておしゃべりしている。

チェックインを済ませ、シャワーを浴びて、翌日のためにすぐベッドに入った。


日本へ帰る日、仕事の電話で起こされる。

飛行機は午後の便なのでゆっくりできると思っていたら大間違いだった。

朝ごはんを食べる前にウェブミーティングをしていたら昼近くになったので、ルームサービスでハンバーガーを頼んだ。

しばらくメール返信などをしていたら、ハンバーガーが届いた。

持ってきてくれた人にお礼と、レセプションで登録しているものとは別のカードで払いたいことを伝える。

「これからどこかにいくの?」と、支払い手続き中に彼が話しかけてきた。

私はニューヨークにいたが、会社の命令で日本に帰ることになったと答えた。

「まだ帰国できる飛行機があって、日本でも仕事ができて、本当に良かったね。

僕はロス空港の国際線ターミナルにあるレストランで働いてたんだけど、先週突然解雇されちゃって今はこのレストランで働いてる。

状況はみんな厳しいけど、それでも生きていかなきゃね」

突然の彼の身の上話に、私はひどく動揺した。

失業者数の急増や失業者保険の申請数増加はニュースで見ていたが、目の前でやり取りしている人がその当事者となると話は別だ。

私が彼に対してできることは、いつもより少し多めにチップを払うことだけだった。

ハンバーガーの味はよく覚えていない。


チェックアウトを済まして、また空港のシャトルを待つ。

やはり15分くらい待って、シャトルに乗り込んだ。

ロスの国際線ターミナルはニューヨークよりも人の往来がある。

免税店も開いていたので、少しウィンドウショッピングをした。

搭乗ゲート周りには多くの日本人がいて、ニューヨークからロスへの便よりも遥かに混雑している。

たまたま後ろに立っていたアメリカ人らしい女性が日本に行った後帰れなくなったらどうしようと電話で話している声が聞こえた。

搭乗は定刻で、とてもスムーズに始まった。

プレミアムエコノミーにアップグレードしたおかげか、また横2列を独占して座ることができた。

日本に帰るまであと12時間。


<明日の15に続く>



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