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悩んでいる人は正解を探していないかい?

どうも、じぇいかわさきです。

今回は、自分の甥っ子からのお悩み相談から、ふと思ったことについて書いてみたいと思いますね。

これは、ちょっと前につぶやいたこのつぶやきにも関係する内容です。

このつぶやきを元に、甥っ子に正解がない事について正解を探しても見つからないって話をしたんです。

その詳細について書いていきます。


正解が有るのは条件が明確な場合のみ

さて、学校でいろいろと勉強を学びます。その学んだことの確認として試験がありますよね。

今思えばおかしな事だよなって事がたくさん有るんですよ。

例えば、数学のように数式がある場合は正解って確かに存在します。

これは100÷10=10と言うように、100を10で割るという条件が有るから正解、すなわち答えが有るんですよね。

一方、国語のような文章問題になり、よくあるのがこの文は作者がどんな思いで書いたのかと言うような問。

この問題に正解っていうのは、本当は無いと思うんです。今、これが正解と言っているのは、先生が思っていることが正しいという条件のときのみ、正解が発生します。

じゃあそれ以外の答えは間違っているのか?

答えは否ですよね。

ただ、この問題を出した先生と同じ考えの人が正解と言っているだけで、必ずしも先生と違う答えは間違いとは言えない。


同じようなことで、英文法の試験でこの文章で間違っている部分はどこかという問題。

確かに、文法という条件に当てはめた時には間違いなのかもしれません。しかし、実際に世の中で生きていく上で、文法通りに喋っているかといえばそうではありません。

最終的に伝われは良いのですから、必ずしも間違いでは無いのかもしれません。

このように、学校教育の中ではある条件を元に正解を決定し、その正解と同じ回答ができた人を優秀と判断しているんです。

これが今の日本の教育の根底。


世の中に出ると条件が決まっていることのほうが少ない

学校で優秀な成績を収めた若者が、実際の社会に出て働き出した時、回答を求められる場面が多々あると思います。

しかし、その回答を求められた時に答えられずに考え込んでしまい、精神的なダメージを受ける若者が少なくありません。

優秀だった人ほど精神的なダメージを受けやすいようにも感じられます。

どうしてでしょうか?


これは先に書いたように、有る条件下では正解を見つけられるのですが、条件が無く自分で条件を決め回答を出すという事ができないからです。

ましてや、正解だということなど社会にでるとなかなか有るものでは無いからです。

これが正解と言い切れるようなものはほとんど無く、そう言い切れる場合は自分で条件を決め、その条件下での正解という事だけですから。

むしろ、やってみなければ正解は分からないことのほうが多いですから、自分で実験計画を立てその計画に基づいて行動していく人が、正解らしきものを導き出せるんですね。

条件が決まっていることなんで、世の中殆どないと言っていんじゃないですか。

だから仕事で悩んでいる人って、正解を求めているからなんじゃないかな。



自分の考えをまとめることが大事

自分で条件設定ができない場合、一体どうなってしまうのでしょうか?


残念なことに、条件を決められた中で正解を見つけられる人は、条件がない場合には正解らしきものを導く方法を知りませんから、悩んでしまい自己嫌悪のようなものに囚われ、精神的なダメージを受ける。

一心不乱に正解を探すのですが、正解が見つからず落ち込んでしまいます。


世の中条件が決まっているような事、非常にすくないですから、自分で条件を決めるような行動が大事。

条件が無いのだから、自分で条件設定しこのケースの場合はこうなる、このケースの場合はこう変わる、などというような考えを持てるようにならなければいけない。

正解なんか結果論でした無いのだからね。

だから、仕事で悩んでる人は、正解なんか無いんだって思えれば心が軽くなるんじゃない。

自分はそう思うけどね。

と、悩める甥っ子には自分はこう話したんですよ。

これが正しい正しくないは、行動に移した人のみが分かることなんじゃないかな。



じぇいかわさきです。生産技術者として35年、今まで培った経験とスキルを元に、ものづくりに関わる世の出来事に対して思ったことをホンネで書いてます。ノウハウやアイデアもありますよ。 また写真も全力で撮っています、気に入った写真があればサポートや感想をぜひお寄せください。