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衝動的な自分・とっさに出てくる言葉を楽しむことが発信のコツ。【衝動ラジオを経て】
昨日久しぶりに音声配信をやってみた。新しいシリーズ「衝動ラジオ」。なんかふと話したいことが出てきて、台本も何も作らず突然話し始めた。
話し終えてからしばらく経って、「衝動的に」っていうのが一つの発信のポイントだなと感じたので、今回はその話をしようと思います。
突然話したいことが頭の中に浮かんでくる。そのためにはまず、日常の中で「語りたいかも!」って思うことが起こる生活をする必要があるんですよ。
昨日の僕の場合はそれはYouTubeでした。
僕はこの2ヶ月YouTubeをやってきたわけだけれど、僕が動画を作るときは、基本的に台本をある程度作ってから話し始めます。
もちろん多少アドリブや、台本からはみ出たトークもするけど、僕自身話すのがめっちゃ得意な訳じゃないし、そもそもまだ動画を20本くらいしか撮っていなくて慣れてないので。
大体は台本に沿って話をしていくわけです。
画面外のパソコンをちょくちょくみながら。
編集でいい感じにカットしつつ動画を作る。だから変に話が飛んでしまうことはないし、安定して話していける。
それはそれでいいんですが、なんかここ数日モヤモヤが抜けませんでした。
自分でもいまいち原因がわからない。
このなんとも言えない気持ち悪い感じはなんだ?
2週間くらいモヤモヤを抱えて、考え続けて、ようやくわかったのが
衝動に襲われた昨日。
やっぱり、フリーランスという生き方をしているからか、台本による「安定」に安心感を覚える一方でどこか安定への不安感も抜けなかったんです。
もう不安定を感じながらの生活に、ある種慣れてきてしまったから。
3年間、不安定な中でなんとか生き延びてきて、
実は「安定」って不安定なんじゃないか。
不安定だからこそ、新しいことに取り組み続けられるんじゃないか、
ということにうすうす気づいていたんです。
安定だと思っているけど、それは「安定でいれば大丈夫だから」と思いこんでいるだけなのかもしれない。
だったら、もしかしたら本当に望んでいることは「安定」じゃない部分にこそある?
それはなんだ?フル回転頭を回し続けて、ふと気づく。
あ、台本で予定調和の話がほとんどになっているせいで
ふとした時に「ポン!」と言葉が出てくることがないんだ!
それを楽しむ瞬間がないんだ!
この事実に気づいたのは、他の人の動画を見ている時でした。
動画の中で、ふと面白い例えが出てきて、
「たぶん今思いついたんだろうなぁ〜」とニヤニヤしながら見続けているうちに、「あ、俺はそういう衝動的に、咄嗟に出てくる言葉が好きだったし大切にしたかったんだ。」と思い出したんです。
だから、その興奮が冷めない内にStand.fm(音声配信)の録音を始めました。
なぜ音声にしたかというと、単純にYouTubeとは違って、基本台本なしでありのままに話しているからです。
最初のうちは音声配信でも台本を作っていたんですけど、YouTubeを始めてからは完全に台本なしに。
そうじゃないとYouTubeの下位互換になる気がしたからです。スタエフでは編集なしでの話をしたい。
台本なしだから常に頭を回して話しを続けていくし、じっくり考える暇がないかよくも悪くも瞬間的に言葉を紡いでいける。
変に気張らずに話せるんですよね。余計な力が抜けたおかげで自然と例え話だったり、他の話題と繋げることができる。
YouTubeだと話が繋がらないところはカットして別シーンと合わせたりしますからね。やっぱりちょっとは構成を意識して力が入っちゃう。
音声配信の方が余白は多少ある。これがいい。
僕は、咄嗟に or 衝動的に出てくる言葉って、まんま人の考え方や性格を表しているな、と思うんです。
無意識に頭の中に点在していたものが、なにか偶然のタイミングで線になって、言葉として出てくる感じ。
あるいは、今回みたいに「話したいテーマ」だけがポンと出てきて、話している内に形になっていく感じ。
咄嗟の言葉は意識する間も無く出てくるので、それはつまり素の自分がひょっこりと顔を出すことになります。それでも、時は止まりません。
間が空きすぎると配信としては不自然なので、なんとか自然と話を続けようとします。
すると、「あ!変なこと言っちゃったな!」と修正するところまで意識が届かないままに、素の自分を出したまま話が進んでいくんです。
そうやって、素の自分で話すことを楽しみ、時には「こんなこと考えてたんだ自分!」と思わぬ一面に気づいたりもする。
「語りたい!」と漠然と思ってたことがつながって、「こう語ったらどう?」って意外な形で出てくる感じ。
うまく言葉になった時はなおさら嬉しい。
これがもう・・・・たまらなく好き。
だから多分、音声配信で話したことをYouTubeで話したり、そのまた逆をやっても全く同じ内容にはならないでしょうね。
微妙に例え話やエピソードも変わってくるかもしれません。
でもそれはそれでいいんだ、と僕は思っています。
むしろ自分の咄嗟な言葉や衝動に従ってのトークの方がより本来の自分に近いんじゃないかな?
YouTubeで話している時の自分と音声配信で話している時の自分。
どちらも自分で、どちらも大事にしたい。
衝動的な「話したい!」は必ずもう一方のトークにも影響するし、逆もまた然りだと思うから。
自分の中にいる自分は一人じゃない。
衝動や咄嗟の言葉による違いも楽しんで、いろんなメディアで出していく。
自分の生き方・考え方全てを発信にしていく。
そうしたらもっと発信が楽しくなるし、意識しなくても続けることができると思う。
自分の中に眠る「衝動」に改めて気づいて、思ったことです。
今日話した内容を簡単に3行でまとめると
・不安定だからこそ、新しいことに取り組んでいける
・ふと湧いてくる衝動や、咄嗟の言葉が本来の自分を表している
・本来の自分と普段の自分。どちらも楽しめばもっと発信は楽しくなる。
こういうことです。
あなたの中には何かふと「話したい」という衝動はありますか?
その思いを発信してみると、また違った気づきが得られるかもしれません。
毎日、新しい自分に気づいて、新しい衝動に気づいて、
常に新鮮な人生を過ごしていきたいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました✨
昨日の衝動ラジオはこちら
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。