取捨選択して捨てるからこそ、自分に本当に必要なモノを得ることができる。
多くの情報がひとりでに入ってくる。
知らないうちに、ものが増えていく。
「もっともっと」と常に新しいもの、肩書き、お金を得ようとする。
誰もがこのようなことを思い、「〇〇を知りたい!」「▲▲が欲しい!」「◾️◾️を得たい!」と、欲望の海に飛び込んだことがあるはずだ。
少しの間は楽しいかもしれない。
自分の「欲しい!」「得たい!」が手に入る気持ちよさ。
今まで出会ったことがないものに、満たされていく好奇心。
何か、未来が変わっていくのではという根拠のない自信。
何者にも変えがたく、抗いがたい感覚がそこにはある。
ただしばらくすると、「あれ?」とふと我にかえる。
自分が本当に望んだものは、これだったんだっけ?
今回は、そんな戸惑いを覚えたことがある人に。
今持っているもの、手に入るかもしれないものを捨てるのが苦手な人に。
自分が得る情報やものを「取捨選択する」こと。
「捨てること」の大切さについて話したいと思う。
ボクも捨てることは苦手だった。
捨てることは人生だ—————。
かなりの極論かもしれないけれど、ボクは割とこの表現は的をいているんじゃないかと思っている。
そんなボクも、2,3年前は「捨てる」ことが得意ではなかった。
むしろ、自分は取捨選択の判断をすることが得意だと思い込んでいた。
4年前。大学4年生の頃ボクは新卒で大学を卒業し、独立の道を選んだ。
「新卒カード」という世間では一定の価値があるものを、(あっさりではなく、迷いはしたものの) 捨てることにしたのだ。
これも「フリーランスという世界を知りたい」「1年間、どこまでやれるかわからない」という好奇心からきた行動だった。
今思えば、「なんてことをしてくれたんだ!!」と当時の自分を叱りたいところではあるけれど、無知ゆえの決断だったと思っている。
かなり大きい「取捨選択」をしたボクだけれど、そこからが大変だった。
とにかく使えそうな情報をあちこちから集めては、溜め込もうとしたのだ。使う可能性が少しでもあるのなら、とにかく知ろうとした。
そして、自分の仕事やフリーランスの生活に必要なものは、とにかく最新のものを揃えようとした。今このNoteを書いているMacBookProもその一つ。
他にも、「あったらそりゃいいけど、なくてもいいよね」と言ったものをさまざま買い漁っては、ほどほどに使って放置ということを繰り返していた。
一言で言うと、自分の欲望を取捨選択せずに、全て拾おうとしていた。
「捨てる」ことをしなかったのだ。
捨てることをしなかった人間の末路
その結果、どうなったか。
情報が多すぎて、「何が正解なのか」「自分に合ったやり方はなんなのか」がわからなくなり、同時に行動量も少しずつ減っていった。
自分の周りにあるものが多すぎて、何をしようにも気を取られ、集中できない & 本来やることに手がつかないということが頻発したのだ。
もちろん、情報量やものを得る量を制御しようともしたけれど、当時は「もったいない」という気持ちが勝ってしまっていた。
「自分が知らない情報を他の人が知っている。」
この状態が許せないと思うことさえあった。
その後、いろんな出来事や出会いがあり、「自分自身に向き合い、自分の本当に望んでいるものを見極める」というきっかけを得てからはだいぶマシになったとは思う。
今でこそ、「知らない」ことを恐れることは無くなったし、必要な情報やモノを見極められるようにはなったけれど。
当時は相当な重症だった。
捨てることがなぜ重要なのだろう?
得たい情報や得たいもの。
これらを取捨選択して、時には思い切って捨てる。
なぜ、この考え方が必要なのか?
理由は大きく分けて2つある。
この2つなんじゃないかと、ボクは思う。
捨てるからこそ、持っているものをどうにか使おうとできる。
そもそも、ボクたちはなぜ情報やものを新しく得ようとするだろう?
それは「足りない」という思いがあるからだ。
今自分が持っているものでは「足りない」から。
新しく「欲しい」と思う。
未知を「知りたい」と思う。
この感覚自体はもちろん、悪いものではない。
ただ、一つ考えた方がいいと思うのは
「本当に今持っているもので足りないのか?」ということだ。
新しいものを得ることが当たり前になってしまうと、深く考えたり、創意工夫をすることが少なくなる。
当然だ。「足りない」と思ったらまた新しく手に入れればいいのだから。
だけど、そんなことをしていたらキリがないし、時間やお金、僕たちが一度に処理できることは限られている。
世の中にある情報の総量に対して、僕たちが扱えるものはとてつもなく小さい。それを全て手に入れることは不可能だ。
だからこそ、入ってくる情報を取捨選択する。
「必要かもしれない」と思っても、あえて捨ててみる。
今持っているものでなんとか対応できないか、と頭を使う。
その中で、もしかしたら思いもよらない自分なりのスタイルが見つかるかもしれないし、結果的に望んだ物以上が手に入るかもしれない。
確実ではない。けれど、可能性はある。
どうせ世の中に確実なものなんてほとんどないし、起業・独立という世界で成果を得るにはある程度のリスクは必要だ。
だったら、少しでも可能性のある選択肢に賭けた方がいい。
だから、「本当に今持っているもので足りないのか?」ということは一度考えた方がいい。
その結果、「今この情報やものは必要ではないかな」と感じたのであれば。その時は、思い切って捨てることも大切だと思うのだ。
人が生まれながらにして持っているカードは全く違う。
人と同じカードや、勝負に有利なカードを揃えようとすることは大事だけど、それが全てではない。
大富豪でいうところの「革命」のように、自分のカードが思わぬことで強くなるかもしれないのだ。
捨てるからこそ、新しく拾うことができる
トランプの話繋がりで、ポーカーを例に出してみる。
ポーカーの世界では、「降りる(=手札を捨てる)ことの方が大事」だと言われている。
自分にとって分の悪いカードを持っていても仕方がない。
強いカードが巡ってきた時にだけ、勝てばいい。
強いカードを引き当てるために、捨てる。拾う。また、捨てる。
「一見強そうなもの」でも思い切って捨ててみることで、新しく拾える。
こういうスタンスだ。
人生も同じなのではないだろうか。
自分が得たいものを選んで、時に捨てるからこそ、「本当に必要なもの」に出会ったときに拾うことを選択できる。
もし、手に入れることばかりに目がいっていたらどうだろう?
必要なものが目の前にやってきても、新しく抱えることはできない。人が抱えられる荷物の容量はそれぞれ決まっている。
だから、ほしい情報やものを得ようとするだけでなく、時々捨てたりして整理する必要があるのだ。
新しいものを受け入れるためのスペースを用意しておく。
もしかしたら新しく拾ったものの中に、ダイヤの原石となるものが、自分の強みになるものがあるかもしれないから。
捨てるからこそ、新しく拾うことができる。
これが、捨てることが大切な理由の2つ目だ。
まとめ
ここまで、情報やものを「取捨選択する」「捨てる」ことの大切さについて話してきたのだけれど、いかがだっただろうか?
一度沼にハマったボクだからこそ、この2つは常に頭の中に置いている。
途中でポーカーの例を出したのだけれど、ボクは最近ポーカーにハマっており、そのおかげでより「捨てる」ことの大切さを認識した。
ちなみに、ポーカーに出会うきっかけも、YouTubeで自分が触れる情報を「取捨選択して捨てた」からなのだけれど、その話はおいおい・・・
今日伝えたいのはとにかく、「取捨選択して捨てようぜ!!」ということ。これだけ覚えておいてもらえたら大丈夫です。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
これからの社会、さらに情報が加速度的に大きくなっていくはず。
その中で、あなたに本当に必要なものに巡り合えますように・・・。
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