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言葉を大切に思っているからこそ、信じて手放してみようって。

論理を組み立てないと記事を書き上げることができない。


なんとなく筋が通ってないと、言葉として形に残すことに躊躇いがある。

楽しく発信しているあの人みたいに、感情を思いっきり込めて、バチバチに熱量のこもった記事なんて書けない。


そう思っていました。


だけど、最近ふと思ったんです。


「あれ?もしかして言葉を大切に扱いすぎなんじゃない?」
ということに。


言葉を大切にするがあまり、自分の中で練り上げた言葉じゃないと外に出しちゃいけないと思い込んでいたのでは?言葉の瞬発力が下がっていたのでは?


今日はそんな話です。

◾️語り屋タツミ
自分を知り、特性を生かして人生を紡ぐ「物語のように生きる」スタイルを発信しています✨普段はエンジニアとして、企業に技術を提供しつつ、ライフコーチや占い師として人と1対1で関わる活動もしています☺️


僕にとって論理というのは、自分のことを守ってくれる最強の武器でした。


普段の何気ないコミュニケーションや読書、相手との議論、情報発信。あらゆる言葉を使う場面で、僕は自分の感情を出すことよりも論理を使うことを優先することのほうが多かったんです。


論理があるから、理不尽な人と接することがあっても、相手の意見にしっかり反論できたり、相手の不当性を指摘したりして、自分が不利益を被らないようにしてきましたし。


文章を書く上でも、論理を積み上げるからこそ、人にしっかり自分の考えていることが伝わるし、とにかく思考をして出てきた言葉たちを論理で繋いでいけば間違いない・・・!


本気でそう思っていました。


逆に言えば、論理で積み重なっていなければ「しっかり考えたことにならない」と感じ、自分の思考として扱ってすらいなかったように思います。


だからこそ、僕はこんな感覚に囚われていたんです。


「言葉としてはあるけど、論理でつながっていないから外に出すのが怖い」


文章を書くにも人と話すにも、「この表現で言いたいことは十分伝えられるか」「本当にこれでいいのか」と、楽しむことよりも気を張っていることが多かったように思います。


そのせいか、言葉がパッと出てこない。出てきたとしてもなんだかふわっとしたようなことしか言えないし、ましてやエピソードや感情と結びつけて語るなんてキャパオーバーだ。


ネガティブな思いが募り、外の世界に排出されることなく存在する言葉たちは、どんどん僕の思考を窮屈にしていきました。


こんがらがってこんがらがって、実際自分が何を言いたいのかすらわからなくなってさえ来たこともあります。
(そんな時は、そっと編集画面を閉じて無かったことにしたり…ね。)


しっかり伝えたくて論理を武器にしたのに、その武器で逆に自分を縛ってしまっていたんです。もっと伝えてみたいことや、表現してみたいことはあったはずなのに。


僕はフリーランスとして活動してから、どんどん自分の感情を解放して、今は論理と同じくらい感情を大切に、伝えるための手段として使えるようになってきていると正直感じていました。


けれど、改めて記事を書くのに躊躇ってしまう自分に向き合ううちに、まだまだ論理に縛られていたんだな、ということに気づいたんですよね。


可愛い言葉にこそ、旅をさせよ。


言葉や言葉によって紡がれる論理は僕にとって大切なものでした。
だからこそ、それを手放すこと。


記事を書く上で抱えていたモヤモヤを解消するためにはこれが鍵でした。


最近、東洋哲学の本を読んで学んだことの中に、「言葉を捨てよ」という教えがあります。これがねぇ〜〜。まさに!という感じで刺さってしまったのでそちらを簡単に解説しますね。


僕の場合だけじゃなくて、モヤモヤと考えが堂々巡りしてしまいがちなこと全般に使える考え方なので、ちょっと読んでみてくださいな。




言葉で自分や自分の考えをマイナスに捉えたり、自分をどうにかして守ろうとしている時、僕らはどうにかして「いい感じ」な自分を保とうとしがちです。

でも、ダメな自分って僕らが言葉で作っているだけの虚構(フィクション)なんです。「いい感じ」な自分もまた虚構で。「ダメ」も「いい」も僕たちが勝手に作ったイメージでしかないんです。

どう言葉を使ったからといって、論理がどうだからといって、あなたの存在も「いい悪い」も変わるわけではない。だから、言葉を変にこねくり回して自分を着飾ろうとする必要もない。


考えるままに、感じるままに言葉を紡げばよろしい。




簡単にいうとこんな感じのことが書いてあったんです。


僕の場合は発信の時、とにかく言葉で論理を積み重ねることで、「大丈夫な自分」「しっかり考えている自分」で発信をしようと思っていました。


論理的な言葉を使うことで「いい自分」でいようとしていましたが、それはすべてフィクションだ!虚構だ!と一蹴されてしまったわけで。


だから最初はめちゃくちゃ戸惑いました。


え!言葉や論理を手放してもいい!どゆこと??


腹落ちするのに少し時間はかかりましたが、一つ分かったことは。


僕は言葉に対して過保護だったんだな。と言うことです。


僕はまだ未婚ですし、子供を持ったことはありませんが。


例えるなら、「外に出て遊ぶと怪我するかもしれないから」「怖い人に攫われるかもしれないから」と、とにかく家の中で子供を隔離し、最低限、学校に行く時くらいしか、外に出ることを許さない・・・みたいな。


「子供がしっかり活躍できるように」を免罪符に、着る服も、使う道具も、習い事も、全部親が決めて・・・みたいな。


僕が言葉に対してそれをやっていたのは、同じことでした。


子供(言葉)のことも、子供(言葉)が接するものや子供自身の役割も信じてあげることができず、自分が管理していないと意味がないと思い込んでいただけだなと、気づいたんですよね。


可愛い子には旅をさせよ、と言うことわざがありますが、僕にとって必要なのは、大切だからこそ時に手放してみることも必要だよって感覚だったのかもしれません。


いつか、それが思いもよらぬ出来事につながることもあるかもしれないですしね。


そんなことを哲学書から学び、感じとり、僕は論理を押さえたり感情を出したりと言うことより先に、僕の中から出てくる言葉を無条件に楽しんでみることにしました。


楽しんだものを、素直に表現して出してみることにしました。
変に言葉の使い方とか、論理の繋がりとか考えすぎることなく、ね。。


(この記事もその一つです。)


そしたらやっぱり楽しくなるんですよね。


僕は文章の他にStand.FMっていうラジオもやっているんですけど、話すことも楽になりましたし、変にこだわりすぎることもなくなりました。


きっとまた言葉に縛られて悩むこともあると思いますが、その度にこの哲学の教えに立ち返って、言葉を送り出すということをしていきたいと今では思っています。


いや〜〜やっぱり他の領域から思考を取り入れてカスタマイズするって面白いですよ✨☺️


意識が少し切り替わるだけでも、だいぶ世の中の見え方も変わります。


例えば僕の場合だと、


他の人が記事を書いているときは、どんなふうにワクワクしていたのかな
ぁ〜〜とか。


文章を書くことに集中していたけど、快適に言葉に向き合える環境やワクワクするスタイルって他にないかな〜〜とか。


もっといろんな角度から物事を見られるようになって、それだけ楽しみの幅や解釈の幅も広がっていくんですよね。


だから僕は、いろんなことを経験して、いろんな人に会ったり本を読んだりして、自分の中に吸収したりカスタマイズしたりを繰り返して、自分が取れる選択肢を増やすのを強くオススメしています。


カスタマイズは自分だけじゃなくて、それこそコーチやメンターなど、自分と向き合ってくれる人と一緒にやってもいいと思います。


僕も、フリーランスになってからコーチングを受けてきましたし、今では僕自身でもタロットなどの占いを取り入れながらコーチングサービスを提供しています。


もし面白そうだな・・・!と思った方はぜひそちらもチェックしていただけると嬉しいです!!


それでは今回はこの辺で。
バイバ〜〜イ!


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