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神様も面白がる人生を、、、 『誤配』の哲学


皆様は、どんな期待を抱いていますか?



人は「期待通り」を願います。

人生が「期待通り」に進めば、
幸せになれると考えていると思います。

でも、ほんとうにそうなんでしょうか?


批評家・哲学者の東浩紀さんは、
『誤配』が大事だと言っています。



まず、
社会のことを考えてみます。

もし社会が
“期待通り”にいかなかったら
困ってしまいます。


レストランで注文をしたとき、
オーダーと違う料理が運ばれてきたり、
違うテーブルに運ばれたりしたら、
大問題です。

これを『郵便的』と言っています。


郵便物は必ず
宛先通りに届かなければいけません。

『誤配』は許されません。

しかし逆に言えば、
必ず「予定通り」、
「期待通り」にしかなりません。


さて、
人生を考えてみます。

人生も『郵便的』に
「予定通り」「期待通り」にいくことは
望ましいように思えます。

しかし実際には
なかなか「期待通り」にはいきません。

けれど、
それはそんなに悪いことなのでしょうか?


たとえば、
理系の得意な人が、
大学入試で理工学部を目指すとします。

しかし、
たまたま体調が悪く、
滑り止めでなんとなく受けていた
文学部にしか合格しなかったら?

理系の人が文系に
『誤配』されてしまうのです。

でも、
その『誤配』のおかげで、
文系一筋の人には思いつかない
理系的発想により、
とてもおもしろい文学をつくりだすかもしれません。



すべて「期待通り」では、
「予定通り」の結果しか生まれません。

「予定通り」でないからこそ、
とんでもない発想が生まれることもあります。


“人間関係”や“言葉”もそうで、
このnoteも、
想定していた人に届かず、
全然「予定外」の人に届いてしまうかもしれません。

また、
こちらの考えていたことと
全然違った解釈をされてしまうかもしれません。


そういった『誤配』があるからこそ、
新しい出会いや、
おもしろい考えが生まれる
のだと思います。



もちろん『誤配』は、
「予定外」に自分や人を傷つけることもあります。

社会生活では、
むしろそのほうが多いかもしれません。
だから、不安です。


けれど考えてみてください。

すべて
「期待通り」で「予定外」のない
“安心な人生”
と、

「予定外」もあり
不安だけれども新たな発見のある
“おもしろい人生”

人によってどちらを望むかは違うでしょうが、
僕は断然、
“おもしろい人生”のほうがいいと思うのです。


いかがでしょうか?


不安や心配に恐れおののくとき、

「期待通りでない」を許せないとき、

そんなとき、

“安心でつまらない人生”がいいのか?

“不安だけれどおもしろい人生”がいいのか?

どちらがいいか、
考えてみるのもいいかもしれません。



ちょっと考えるきっかになってくれたら嬉しいです。

ありがとうございました。


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僕の”note”も
「期待通り」でなかった
”生きづらさ”や”うつ”から生まれています。

「期待通り」でなく「予想外」な、

全知全能ですべてお見通しの
神様もアッと驚くような、

”神様も面白がってくれる”
そんな人生もいいんじゃないでしょうか、、、


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