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蔵の話

私の大好きな今の蔵。
そう。職場でもあり、育ってきた場所でも有る
焼酎を作っている酒蔵。

これは平成14年に上棟した蔵です。

それまでの蔵がなかなかすごくて。。。笑
本当に蔵見学とか出来るようなお見せできるような蔵じゃなくて笑笑

大雨降るとめっちゃいろんなところに洗面器やバケツを置きに母と走り回ってた記憶が未だに残っているような笑
目一杯柱蹴ったら傾くんじゃ?てそんな蔵でした笑

でも、創業当時から今まで受け継いできている甕は使い続けたくて、壊れない限り後世にも残したくて、溝や配管が通る場所はどうにかうまく掘り起こし、それ以外の場所はそのままの場所に埋めたままで、甕に物が落ちないようにしてと、なかなか手間のかかる工事を。。。


そして中。

昔ながらの甕づくりにこだわりつつも、出来るだけ効率的にそしてスッキリも見えるよう、かつ何かあった際にはリペアしやすいようにと、配管を地中に埋めるのではなく、鉄骨の梁に沿わせてあります。
下に配管とかが無いため洗いながら掃除もしやすい🧽いつぞやのお掃除マンかずまさんの写真

そして、蔵の入口に有る石倉。

これは人吉球磨の現存している石倉の中でどうやら1番古いらしいのです。(サイズは小さい。。。笑)
その石倉を活かすために、高さを急に上げすぎないように屋根が三段で上がってます。
これも外から見た時のバランスの為のこだわり。

夕方から夜にかけての蔵が大好きなのです。

今日はちょっと遅すぎて暗かった😂

今の蔵になってもうすぐ19年。
私の人生で前の蔵よりも長く共にしてます。

社長でもある父が

昔の手作りを残しつつも、娘が継ぎたいと思うような、後世に残したいと思うような蔵を作りたい。

と言う思いとワガママを設計士の河上先生がそのまんま形にしてくれたのです。

当時中学生だった私。
高校進学、大学受験とあるのですが、
まんまと父の手のひらで転がされてました笑

ただ、古い蔵でも私にとって蔵がない生活は考えられないから帰ってきていたとは思います。

でも、いまの蔵は本当に大好きで大好きでたまりません。余計に帰ってきたくなって、さっさと帰ってきたのは今の蔵だからだと思います。

ここから先は少し悲しいです。

水害が起こって翌週の休みの日に、河上先生が蔵の様子を見に来たと寄ってくださいました。

崖崩れあったと聞いたけど大丈夫でしたか?と

お父さんに連絡したけどみんな忙しくて居ないと思ったから外から様子だけ見て帰ろうと思ってたの。本当はコロナがあるから、福岡から行ったら嫌がられるんじゃない?と妻と話したんだけど気になって来ちゃいました。急にごめんなさいね。すぐ帰るから。と。
本当に崖崩れの様子を見て貰うとすぐにお見舞いを渡されて、外から蔵を眺められて少しほっとして帰られました。
居ても立っても居られずいらっしゃったんだなと。

崖崩れは幸いにも先生が考えてくれた蔵には大きな影響が出ず。

私たちにとっても幸いだったけれど、先生にとっても自分が生み出した蔵が無事でほっとしたんだと思います。

今日訃報が届いたのです。
その後教えてもらったんです。
去年3月に後一年ぐらいだろうって余命宣告されていたんだって事を。

あの日急に、そして福岡から来るには早い時間に蔵に立ち寄られた先生。
きっと水害の様子をテレビで見てみて居ても立っても居られなかったのかもしれない。
蔵は無事だと聞いてても自分の目で無事を確かめたかったのかもしれない。

そして今考えると、もう最後かもしれないときつい中わざわざ来てくれたのかもしれないと思うのです。蔵にお別れを言いに。

本当はまだまだ設計して欲しかったです。
ゆくゆくはこんな風なのも作りたいねって話もしてたみたいです。

でも、私たちには先生が生み出してくれたこの蔵があるので、大事にしていきます。
本当にありがとうございました。
どうか安らかに。

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