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「甲子園」と「応援」そして「吹奏楽部」

以前、自分の人生の中で、唯一「後悔」しているのは、学生時代に、「ブラバン」(吹奏楽)をやらなかった事、という「記事」を書いた。

この「記事」の中にも書いたけれど、もし高校時代に「吹奏楽部」だったら、夏休みに、暑い中、「野球部」の応援に駆り出されていただろうと書いた。

今年、「甲子園のTV中継」を観ていると、スタンドに沢山の「応援の人」がいて、その中で「吹奏楽部」の生徒が、頑張っている。

やっぱり、「楽器の音」があってこそ、「応援」は、勢いを増し、選手たちも「その応援」に励まされる。

TVに映っている「吹奏楽部の生徒たち」は、この「甲子園スタンド」での「応援」に至るまで、「県大会」からずーっと、「野球部」に同行しながら、「応援してきたのだろう」と、私はいつも思う。


今年の甲子園では、「台風」のため「応援団」が到着できず、試合に間に合わなかった「学校」があった。

実は、その「学校」は、私の「母校」なのだ。


「新幹線」が、「台風」で足止めされ、「吹奏楽部」の生徒が、試合に間に合わなかった。

TV中継を観ていても、「応援スタンド」が、ガラガラだった。

時折、アナウンサーが、「台風」のため、「応援団」が到着できない事を伝えた。

何ということだろう~

TVを観ながら、「吹奏楽部」の生徒は、どこに集合し、どんな「交通手段」で、大阪を目指しているのかを、思い巡らした。


「学校集合」で、バスに乗るのかな~とか、


「楽器」は、各自が自宅に持ち帰って、「東京駅集合」で新幹線かな~とか

色んな事を思い巡らすと、当時の「校門」や、「吹奏楽部」が練習に使っていた古い「音楽室」が、浮かんでくる。

この日、宅配業者も、台風の影響で「荷物の到着が遅れる」と自社HPに出していたぐらいだから、「高速道路」も通行止めになっていただろうし、「新幹線」は、どの「駅」にも人が溢れていた。

近頃、「甲子園」に顔を出すようになった「私の母校」は、2回戦で敗退することが多かったけれど、今回は、「ベスト8」あたりまでは、行けるかな~と期待をしていた。

それが、この様な形で、叶わないとは・・・

予想していなかった。

「吹奏楽部」がいたら、違う結果になっていたかもしれない…そんなことを思う。


コロナ禍で、行われた時、「応援スタンド」は、ガラ~ンとしていた。

今年から、規制なしの「通常通り」になって、「歓声」が上がるって、イイな~と思っていた。

人は、「励まし」によって、「力」を何倍も増幅できる。
(私もこのnoteで、どれだけ励まされただろう・・・)

どこかで、「選手」と「応援団」は繋がっている。

その「応援団」の中でも、「吹奏楽部」が果たす役割は、本当に大きい。

「仙台育英高校」の「吹奏楽部」の人たちが、急遽、応援に加わってくれた。
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「新幹線内」で足止めされていた「吹奏楽部」の部員たちも、今まで経験したことがない、「気持ち」を噛み締めたに違いない。

「青春」真っただ中の「この経験」は、「後輩」たちの心に、どのように刻まれるのだろう。


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