ハリオム!〜聖地バラナシ〜
名前さえ知らないひと。それでも、そのひとと交わしたたったひと言を、私は今でも静かな感動とともに鮮やかに思い起こします。
そのころ、私はヨガセラピーの勉強のためにインドのナジックという町に滞在していました。無事に試験とセラピーセンターでのインターンを終え、私はナジックからバラナシへと向かいました。「聖地」としてインドの人々を惹きつけてやまないバラナシ。私も一度でいいからこの地を訪れ、ガンジス川をこの目で見てみたかったのです。
「ガンジスは汚い」「不衛生」
「ひとりで行くなんて危なすぎる」
たくさんの否定的な前評判も聞いていたけれど、目の前に感じたガンジス川は、とても美しかった。
朝に夕に、私はちいさなホテルに泊まりながら、ガンガ(ガンジス)に足を運びました。ホテルからガンガまでは約20-30分。寡黙でヒゲがもじゃもじゃの運転手さんが、リクシャー (三輪タクシー)で毎日、私をガンガへと運んでくださいました。
本当は2、3日の滞在のつもりでしたが延長して1週間ほど滞在。ホテルの方たちもとても親切で、足しげくガンガに通うニホンジンをまるで娘のように気遣ってくださいました。
行き交うカモメに、ガンガの水面を照らす太陽。
夜のアールティプージャ(祈りの儀式)が行われ、多くの巡礼者を惹きつけるダシャーシュワメード・ガート(Dashashwamadh Ghat)。
白い洗濯物がずらりと並ぶガンガの一画。岸辺までの細い通路で飛び交う物売りたちのにぎやかな声。噂に聞いていた手を挙げたままや、足を組んだままの修行僧たちの姿。物乞いをする人たちは、誰かが通るたびにうやうやしく両手を掲げお金をねだります。その横には尻尾を振りながら、のんびりと座っている牛たち。そして遺体が次々と焼かれ、朝も夕も煙の立ち昇るマニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)。ガンガでは生と死が生々しく、日常の一部としてそこにあります。
タイに住んでいたころも感じましたが、インドでも死は決してタブーではありません。死を隠すこともありません。遺体は堂々と、おひさまの下で焼かれ、聖なるガンガ(ガンジス)へと還っていきます。そこにはある種の清々しささえ感じられます。それはガンジス川の日常的な光景。遺体が焼かれるとなりで赤児が沐浴し、人々は洗濯し、歯を磨きます。
そして、それら全てを凌駕する圧倒的な祈りの塊。それがガンガ全体をつつみ、私を惹きつけてやみませんでした。
バラナシ滞在の最後の朝。この1週間、私をガンガへと運び続けてくれた運転手のおじさんのリクシャー(三輪タクシー)に乗って、空港へと向かいました。
空港に着き、荷物を手に取り、私はおじさんと向き合いました。
おじさんはリクシャー から降り、両手を胸の前で合わせました。そしてひと言、
「Hari Om」(ハリオム)
と、言いました。
ハリオム(あなたの魂が光とともにありますように)。
その瞬間、はっとしたのです。このバラナシの滞在が安全で守られたものだったのは、このひとのおかげだったのだと思ったのです。そしておじさんの吸い込まれそうなくらい美しい瞳…。一見どこにでもいるような風貌のこの運転手さんのなかに、とても神々しい尊い存在を感じました。それは思い過ごしなのかもしれないけれど、10年のときを経てなお、あの瞬間の光景が深い感動とともに蘇ってきます。輪廻転生のバラナシで永遠なるもの、それは多分、魂と呼ばれるもの。そしてこの運転手さんはとても清らかな目で、見ず知らずの私に魂の祝福をしてくださったのです。
私は少し涙ぐみながら、おじさんの美しい挨拶に答えました。
「Hari Om (あなたの魂が光とともにありますように)」
あなたの魂が光とともにありますように。ハリオム。
#PrayerforIndia