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続・幼い頃に両親のセックスを目撃したことで狂った私の性「両親にさえ愛されなかったのに、誰が私を愛するのだろう」

自身の毒親育ちの経験や生きづらさについて執筆する五葉(いつは)さん。幼少期に目撃した両親の性行為をきっかけに、次第に性に依存するようになっていく。子どもの人生を狂わせた愛情と欲望の実態とはーー。(前編はこちら

母のオンナの部分がとてつもなく不快だった

 不仲だった両親の性行為を何度も目撃したことで、「性行為は気持ち悪いもの」「行為と愛情は無関係」「女は男に従順するもの」といった価値観が深く根付いた。

 自営で土建や造園を生業にしていた父は、家にいることがほとんどなかった。早朝から仕事に行き、いったん帰宅して着替えると「用足しに行く」と言ったまま、翌朝まで帰らない。父の言う「用足し」とはパチンコか、麻雀か、呑み屋に行くことだ。
 気が向けば、休日に私や弟を遊びに連れて行ってくれたが、そこに母が同行することはない。母は私たちがどこへ行くのか、何時に帰るか、父に聞くことはなかった。スマホも携帯電話もまだなかったのに。
 父と食卓を囲んだ記憶はほぼない。父にとって家は寝るだけの場所だった。母は父の身勝手さにいつも不満で、父は自分に文句ばかり言う母が面倒だったのだろう。上機嫌で酒を呑んで帰ってきても、母の小言で気分が削がれる。酔った父はときに母に暴力を振るった。子どもがいることなどお構いなしで怒鳴り合いの喧嘩をするか、何も喋らずにお互いの存在を無視し合い、不穏な空気を出すかのいずれかだった。
 喧嘩するほど仲がいいとはよく言うが、互いに相手を罵り合い、関係を悪化させるだけで、夫婦関係は完全に冷え切っていた。両親はお見合い結婚ではなく恋愛結婚だったらしいが、なぜ結婚したのか、なぜ不仲なのに定期的に裸体を合わせるのか、子どもながらに疑問だった。性行為と愛情は無関係と思わざるをえなかった。愛情なんて微塵も感じられない男女の、欲望の表れでしかなかったから。
 行為の最中、母が本当は嫌がっておらず、父からむやみに乱暴されているわけではないと気づいたのは、翌朝になると、あからさまに母の機嫌がよかったからだ。太っていようが、冴えない専業主婦だろうが、酔った父の性欲のはけ口だろうが、女として扱われていることに存在価値を感じていたのだろう。私にとって母は母でしかなく、行為の翌朝に垣間見る母のオンナの部分がとてつもなく不快だった。

 セックスが子どもを作る行為だと知ったときは吐き気がした。
 小4のとき、私にもう1人の弟ができたのだ。
 母は妊娠を後悔していた。妊娠が発覚したことを電話口で誰かに告げていたときのことを覚えている。「こんな歳で恥ずかしい」「できれば産みたくない」と母は言った。そのとき母は34歳だった。妊娠する可能性を考えなかったのか。裕福でないのに、無防備で無計画すぎる。欲望の結果として宿った命に対する母の無責任さに腹が立った。悩みに悩んで、母は産んだ。
 未熟児で産まれてきた弟は、本当に小さくて儚い存在だった。この赤ん坊が、あいつらのおぞましい行為でできたものだとは、到底思えなかった。出産を躊躇した母の言葉で、弟を不憫に思った私は、歳の離れた弟を自分の子どものように可愛がり、産後くたびれてしまった母の代わりによく世話をした。
 子どもは、親の愛情から生まれるわけではない。交尾をして、放出された精子が卵子に宿るだけのこと。人間も、子孫を残すためだけに交尾をする生き物ならよかったのに。

男の欲望に従順な女なんかになりたくない

 私は不妊治療の結果、33歳で子どもを出産した。出産後、性教育に関する情報を取り入れるようになり、幼児がプライベートゾーンを触る行為はよくあることだと知って驚いた。
 私は幼稚園の年長くらいから、自分の性器を弄ぶようになった。家族の目がないところでいつも、無意識に下着の中に手を入れていた。母の車でスーパーへ行くときは、車の中で待つと言って、カセットから流れてくる八神純子の「みずいろの雨」や大橋純子の「シルエット・ロマンス」を聴きながら、後部座席で行為にふけっていたことを思い出す。そのうち、性的なことを考えると濡れて快感が増すことを知った。最中にいつも思い描くのは、心底気持ち悪いと嫌悪していた父と母の交わる姿だった。

 初めて男性に性器を触られたのは小1のときだ。相手は隣の席の男子だった。
 2学期の席替えで、私は廊下側の一番うしろの席になった。当時、机は隣の席とぴったりくっついていた。何をきっかけに始まったのか分からないが、授業中、お腹からズボンに手を入れられ、下腹部を触られた。先生や他の同級生の死角になっているのと、私が何も言わないのをいいことに、その男子は隙を見つけては無言で手を入れてきた。
 その男子とは特別仲が良かったわけではないし、私のことが好きだったようにも思えなかった。嫌だとか怖い気持ちがまったくなかったわけではない。でも、親や先生には相談しなかった。家庭訪問で「イツハさんはしっかり者で、みんなのお手本です」なんて褒められていたのに、先生に相談できるはずがなかった。私の話を聞こうともしない母やそもそも家にいない父に、相談しようなどとはまったく思わなかった。それに、私がこのことを公表したら、二度と触られなくなると思ったのだ。自分でするのとは違う背徳感があった。
 それから自慰行為のときは、両親の性行為ではなく、同級生にされた性被害を、濡れるための素材として扱うようになった。

 こんな私だが、意外にも処女を喪失したのは大学3年、21歳のときだ。
 当時付き合っていた彼氏と、酔った勢いで済ませた。終わってから貧血で倒れたことは覚えているが、最中のことはほとんど記憶にない。それまでにも何人か恋人はいたが、最終段階までいくことがなかった。根底に「性行為は気持ち悪いもの」「行為と愛情は無関係」「女は男に従順するもの」が強く残っているからだった。性行為を受け入れたら、それまでの美しい恋愛感情がなくなるのが怖かった。カラダが目的になって恋人の愛情が薄れ、離れてほしくないから男の欲望に従うしかなくなるのが予想できた。心だけでは飽き足らず、身体さえも欲しがる男に従順な女なんかになりたくなかったのだ。
 実際に「おまえヤらせてくれないし」と浮気されてフラれたこともある。小説や漫画で描かれる「愛のあるセックス」なんて所詮は幻想で、一度経験してしまったら、心も身体も穢れるくらいに思っていた。初体験は記憶がなくなるくらい酔っていたので、思考停止でできただけ。アルコールが抜けて現実に返ると、私も両親と同じになったんだと思った。一度穢れてしまえば、もう怖いものはなくなった。だが、どうしてもシラフではできなかった。酒を飲んで頭が空っぽになった状態でないと、男と寝ることができなかった。処女喪失後、私はセックスをするためにアルコールに溺れていった。

 私の処女を奪った男にはのちに浮気をされた。別れる際、セフレならいいよと言われた。今ならバカにすんじゃねえと一発グーパンチをお見舞いしてやるところだが、当時の私は男の要望に従った。むしろセフレで構わないと思った。どうせ本当の愛なんて存在しない。いつか裏切られるのなら、裏切りを知っている状態の方がマシだった。
 両親にさえ愛されなかったのに、誰が私を愛するのだろう。誰も私のことなど本気で愛するわけがない。そもそも愛するとは何なのか、正直今でもよく分からない。ドラマや映画で「愛してる」なんて言葉を聞くと、白々しい気持ちになる。
愛してくれなくてよかった。夜の寂しさを肉体で紛らわせてくれるだけでよかった。その頃の私は結婚も出産もまったく望んでいなかったし、恋人だろうがセフレだろうが関係なかった。

自分を認めくれるのはどうでもいい男たちだけ

 社会人になり一人暮らしをしてからは、特定の恋人を作るのをやめた。当時流行っていたSNSで知り合った男性や、会社の同僚男性と複数人、肉体関係を結んだ。1度限りの人もいたが、数か月続いた人もいた。妻子ある人と不倫もした。1日に複数人と関係することもあった。
 愛なんてどこにもなかった。もういっそのこと風俗で働こうかと思ったこともあったが、風俗だと相手を選べない。誰でもいいわけじゃなかったし、お金が欲しかったわけじゃなかった。

 男たちの性欲に従うことなど、酔っていればどうでもよかった。
 就職した会社が1年で倒産する現実も、仲の良かった女友達が結婚することで抱いた嫉妬も、母から逃げて一番下の弟を実家に残してきた罪悪感も、アルコールで麻痺している間は消えてくれた。
 一度だけシラフでしたとき、頭上で俯瞰している自分がいて、馬鹿みたいに演技している私を笑っていた。相手の生々しい裸体や、私の身体を触る粘着質な手つき、自分の安っぽい喘ぎ声がクリアになっていき、異常なまでに冷静になり、吐き気が込み上げてきた。酒に酔わないとできないくらい不快なのに、好きでもない男たちに求められることに、存在価値を見出していた。私ですら、私を要らないと思っているのに。私は要らない子だったのに。たとえカラダが目的だけであっても、必要とされることに一瞬の救いがあった。だからやめられなかった。
 母からいくら距離を置いても、長年否定され続けたことで呪われていた。酔いが覚めるといつも、生きているのが馬鹿馬鹿しくて死にたくなった。男と肌を重ねるごとに、酒量が増えていく。冷蔵庫にはワインしか入っていないなんてこともザラにあった。仕事が休みの日は、朝からワインを飲んでいた。飲めば飲むほど耐性ができて、簡単には酔わなくなる。アルコールの分解能力は遺伝子によって決まるらしい。酒豪の父から受け継いだものだろう。母がよく私を侮辱するように言っていた「おまえは父親にそっくり」を思い出す。
 両親は、社会人になって一人暮らしを始めた私が、そんな生活を送っていたとは知るはずもない。

 自分を認めてほしい、存在価値があると思いたい。それを叶えてくれるのはどうでもいい男たちだけ。
 本当はずっと、お父さんとお母さんに大切にされたかった。性行為を止めたとき、きちんと説明してほしかった。
 お父さんとお母さんは愛し合っているんだよ、と。
 怖い思いをさせてごめんね、なにも怖くないよ。
 あなたもきっと大人になったら、大好きな人と飾らないありのままの姿で触れ合うんだよ、そして赤ちゃんが産まれてくるんだよ。
 お父さんとお母さんがそうしたことで、あなたが産まれたんだよ。
 産まれてきてくれてありがとう、あなたがいるだけで幸せだよ。

 そんな風に言えないのなら、子どもが寝ているからと油断して、気持ちの悪い声や音を出してセックスなんかするんじゃねえ。おまえらの欲にまみれた浅はかな行為で、子どもの人生が狂うかもしれないことを考えろ。おまえらが見てるよりずっと、子どもはおまえらを見ているんだよ。

 両親の性行為を目撃したことで狂った私が伝えたいこと。
 子どもが納得するような説明を用意していないのなら、子どもがいるところで性行為をすることをやめてください。確実に子どもの不在を狙うか、ホテルに行ってください。どうかお願いいたします。

著者プロフィール
五葉(いつは)
東北地方出身。40代シングルマザー。不妊治療を経て2017年に出産し、2021年に離婚。子育ての難しさの背景にある、自身の毒親育ちの経験や生きづらさについて執筆。
X@itsuha_singlem

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