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「お腹の方でドンって音がした。包丁が刺さってた」児童養護施設出身、母親の再婚相手に殺されかけた少年がラッパーになるまで

あの日、人生が終わっていたかもしれなかった。
16年間過ごした児童養護施設を出てようやく始まった母との同居。しかしその日、包丁を持った義父が部屋に入ってきた──。
建城a.k.a.TRICKTRIGGERが語る壮絶な過去と、ラップで描く未来。

不細工に倒れ込んだままで
コンクリに貯まる水に叫ぶ
お父さん お母さん ねぇ
この生命をなぜ
(建城a.k.a.TRICKTRIGGER「Stray Dog」より)

 建城(タテキ)さんは21歳(取材時)。
 セレクトショップとガールズバーのボーイの仕事をしながら、ラッパーとして音楽活動をしている。
 ラッパーとしての名前は、“建城a.k.a.TRICKTRIGGER”だ。今まで数々のライブでパフォーマンスをし、2〜3年後にワンマンライブを行うことをめざしている。

 建城さんがラップに出会ったのは中学3年生の時だった。
 彼は当時、児童養護施設に入所していた。

「クリスマス会のゲストで、ラッパーの晋平太さんが来てくれたんです。その会で、学校で賞をとった作文を読むことになってて、読んだ。人権についての作文だったかな。その文章を晋平太さんが褒めてくれて『ラップ、やろうよ』って声をかけてくれたんです」

 泣きだしそうな声で、笑顔で話してくれた。
 この日から、彼はラップの世界にのめり込んだ。

「ラップに出会う前までは、苦しかった。いじめ、不登校、持病、受験があって。もうだめだな、生きてる意味ないなって漠然と思ってた。でも死ぬほどの動機じゃないし、死ぬのもめんどくさいし。そういうネガティブな気持ちを肯定してもらえた気がしました」

 彼は今、自分の経験を音楽に昇華している。
 その道は、選ぶことのできない親の存在から始まった。

建城a.k.a.TRICKTRIGGER

生後5ヶ月で乳児院に入所。児童養護施設で16年間過ごす

 建城さんには、7つ上と3つ上の姉がいた。
 彼が生まれた時、父親は25歳で蕎麦職人。
 母親は27歳で、介護士やコンビニのバイトをしたりしなかったり。
 父親から母親への暴力・暴言に加えて、姉2人も暴力を振るわれていた。
 そのため建城さんは生後5ヶ月の時に乳児院に入った。

 乳児院とは、設置当初は戦災孤児等の子ども達を保護する目的で作られた施設だったが、現在はさまざまな事情により家庭で生活できない子どもを保護する施設へと変わっている。
 建城さんが乳児院に入って1年後に、妹が生まれた。妹も建城さんと同じ乳児院に入った。
 妹誕生後に、父親と母親は離婚。姉2人の親権は父親に、建城さんと妹の親権は母親が持つことになった。このとき建城さんは父親とは縁が切れたため、現在に至るまで会っていない。

 2歳を過ぎた頃、建城さんは乳児院を出ることになった。
 乳児院から退所する子ども達の行き先は、約5割が家庭、2割近くが里親、残り3割程は児童養護施設だ。
 建城さんは、児童養護施設に入所することになった。彼が家庭に戻れなかったのは、母親に何かしらの問題があったからだろう。

 児童養護施設に入ると、50人程の子ども達との共同生活が始まった。
 入所した児童養護施設は、建城さんにとって温かい場所だった。施設の先生も同居している子たちにも恵まれ、彼にとって幸せな環境で生活することができた。

1年に4回、知らないおばちゃん(母親)と面会した

 母親は1年に4回、児童養護施設に面会に来た。

「知らないおばちゃんに会わされてるって思ってた」

 母親と彼との間には再会を喜びあうような関係性は存在しなかった。
 母親は面会で建城さんに「家に帰れるように、私、頑張るから。一緒に暮らしたい」と言っていたそうだ。

「自分の子どもだけど、施設の先生が面倒見てくれているわけで。ほっとける存在だから、簡単に家帰っておいでなんて言えたんだろうなって思ってた」

「一緒に暮らせるように頑張る」という言葉とは裏腹に、彼は16年間、児童養護施設で過ごした。

荒れた中学校でイジメを受け、不登校に

「僕、小さい頃から体が弱かった。起立性調節障害で、雨の日は頭痛や、立ちくらみ・めまいの症状が続いてた。ストレスも感じやすい体質で、不眠になったり人混みの多いところから帰ってきたら発熱してたから、授業に出られないことが多かった」

 中学校は地域で有名な荒れた学校だった。
 喧嘩は日常茶飯事。パトカーが学校に来ることも度々あった。

「僕の友達が不良達にイジメられてた。友達が胸ぐらを掴まれたので止めに入ったら、いじめの標的が僕にかわった。10人ぐらいの集団に絡まれたり暴力を振るわれるようになった」

 これらのことが重なり、精神的ストレスから建城さんは学校にいけなくなってしまった。
 しかし児童養護施設の園長先生の働きかけもあり、中学校の先生が保健室登校を勧めてくれたりと対応してくれた。
 建城さんの友人は卒業まで毎日、児童養護施設に建城さんを迎えに行き、学校に行く協力をしてくれた。

──不登校になった建城さんに、母親は面会の時に何か言ってくれました?

「理由を聞くこともなく、第一声が『学校行きなよ』だった。行けない理由を説明したら、ムスッとした顔で無言になった。地獄の時間だった」

 母親以外の全ての人たちによって、建城さんは助けられた。

中退し定時制の高校に入学。卒業前の2年間、母と同居する

 中学卒業後は、私立高校に通った。だが周りの子とお金の感覚や価値観が合わず、徐々に精神的ストレスが溜まっていった。
 起立性調整障害の症状も続き、授業時間が足りなくなり高校を中退することになった。
 中退後は、定時制の高校に入学し、そこで生徒会長をやることにした。

「不登校も中退も経験したから、居場所がないと学校に行けなくなっちゃう気がして。じゃあ自分で居場所を作ってしまおうと思って、生徒会に入りました」

 きっと、高校生だった時の建城さんにとって、大きな一歩だ。
 だが定時制の高校に入り直したことで、建城さんは高校を卒業する前に児童養護施設を退園しなくてはならなくなった。当時、施設入所可能年齢は、原則18歳までと決められていたから。(2024年4月に年齢上限が撤廃された)。

 児童養護施設を退園した後の行き先には、3つの選択肢があった。
 一人暮らしをするか、自立援助ホームに入所するか、母親と同居するか。
 金銭面、門限などの不自由さ、音楽活動をすでに始めていたことなど、様々な条件から母親との同居を建城さんは選択した。

「卒業までの2年間なら、母親との生活に耐えることはできると思った」

 そう思っていた。

母の友人、友人の夫など、4人の大人との同居生活

 2021年。母親は、45歳前後だった。
 母は旧友とマンションの一室を借りて、シェアハウスをしていた。
 シェアハウスでは建城さんの母、母の旧友、旧友の元夫、元夫の弟の4人で暮らしていた。
 複雑な環境だったが、彼はコミュニケーション能力が高く、すぐに母の旧友とは仲良くなった。

「母親は、一緒に暮らし始めた最初は浮かれている様子だった。『一緒に暮らせることが嬉しい』って言ってプレゼントをくれたりしたけど、僕は『無駄遣いしないで欲しい』って言った。お金がないのに何故そんなことをするのか分からなかったです」

 建城さんがそう母親に言ったのは、母親は介護士やコンビニバイトの仕事をしてはいたが、行ったり行かなかったりと不安定だったからだ。母親は高校生の建城さんに生活費を出させるようになった。

「母親に生活費を出してもらう義理はないって思ってたから反発はしなかった。他人みたいなものだし。出してもらうのも気持ち悪い。出してもらった結果、母親ヅラされるのも嫌だったから」

「母親は自炊しないで、コンビニで買ってくることが多かった。お金が勿体ないから僕が作ってた。でも、そういうのも母親からしたら気に入らなかったみたい」

 児童養護施設で育った建城さんは倹約家だった。
 自炊する高校生の息子。母親は何が気に入らなかったのだろうか。

「母親の記憶の中の僕は、小さくて言うことを聞く子どもの僕。そこからずっと変わってなかったんだと思う。門限も決められそうになったけど、シェアハウスの人たちが僕の見方になってくれてそれに反対してくれた。母親より他の人の方が仲が良かった。こういうことも母親からしたら居心地悪くて面白くないし、イライラしてた」

 徐々に母親が彼に暴力を振るうようになっていった。

「『言う事きけよ!』と言いながらビンタしてきたり、暴力を振るってくるようになった。学校では生徒会長をしてみんなに信頼される自分がいる。でも家に帰ったら殴られる自分がいて。そのギャップが苦しかった」

 建城さんは背が高く、小柄というわけではない。やり返そうと思わなかったのだろうか。

「『可哀想だな』より、『こうはなりたくない。血がつながってるからこそ、こうはなりたくない。絶対こうならないぞ』って思って、やり返さなかった」

 1年間共に生活をしても、彼は母親から愛情を感じたことはなかった。

「僕のことを大切に思っていると感じたことはないし、もちろん言葉で言われたこともなかった。愛情じゃないんだろうな。愛情がなかったから、そういう言葉が出なかったんだろうなって思ってる」

 長年、願った息子との生活。
 彼と過ごせなかった18年間を、この母親は埋めたかったはずではなかったのか?

母親が再婚。義理の父からの暴力が始まった

 建城さんが卒業する年の1月に、母親から結婚報告を受けた。母親と同じ職場の介護士の、3つ年下の男。建城さんに相談もなく、いきなり結果だけ伝えられた。卒業したら3人で住むことを提案された。
 年下の男は「本当のお父さんと思ってくれていいから」と言った。挨拶程度の会話を2回交わしただけの彼に対して。

「母親ですら母親と思えないのに、知らない人にいきなりそう言われて気持ち悪かった。"家族"に対する感覚のゆるさ・甘さが合わないと感じた。きっと、この人は痛い経験をしてこなかったのだろうな、人の痛みが分からないから、安易にこんな言葉を言えるのだろうなって思いました」

 18年間施設で過ごした彼にとって、”家族”という言葉は安易に口にだせるものではない。「父親と思う」なんてありえなかった。

 度々、年下男がシェアハウスに来るようになった。
 母親は我が子である建城さんのことを、この年下男に愚痴っていた。それを聞いた年下男は、その愚痴を拡大解釈する。
 母親がいない時、年下男が彼の部屋に入ってくるようになった。

「『そういうことするやつには罰を与えなければ』っていきなり言ってきて、殴ったり蹴ったりするようになった。なんで殴るか聞いたら『母親のことを守りたいからお前を殴る』って。聞かなきゃよかった。もう意味が分からないし会話が通じなくてショックだった」

 建城さんは腕で、顔と頭は守った。つまり、この時も彼はやり返さなかったのだ。

「戦わなくていい、立ち向かわなくていい問題だと思ってた。あと2ヶ月経てば僕は家を出る予定だったから。耐えて、逃げれば済む問題だと思ってたんです」

 耐えればいい。で済まない出来事が起きた。

あの日、人生が終わっていたかもしれなかった

「その日、僕は凄く体調が悪くて1日中寝込んでました。そのことを、母親が義父に愚痴っていた。
 母親が仕事に行った後、義父が部屋に入ってきた。ドアが開くカチャって音がしたと思ったら、『学校行け!』って怒鳴られました。『体調悪いんだけど』って言い返したらドンって音がして、、。音がした方を見たら包丁が刺さってた。お腹の辺り。あの時は流石に死んだと思った。
 その後のことはあまり覚えてない。とりあえずスマホだけ持って走って逃げた。駅のホームに入って、やつが追いかけてきていないことを確認した後、友達に『助けて』と電話した」

 布団にくるまっていたおかげで、包丁の刃は体には当たらなかった。
 その後、友人と学校の先生に相談した。警察は呼ばなかった。この時の彼はもう、ただただ母親と義父と縁を切りたい一心だった。卒業までは家に帰らなかった。
 家に帰ってこない建城さんに、母親は何も言ってこなかった。自分の再婚した男が、息子に包丁を向けた事を知らないらしい。

 高校卒業の1ヶ月前、引っ越しの日。建城さんはシェアハウスに荷物を取りに行った。

──母親とその男は何か言ってました?

「いや、顔は合わせたけど、全く会話はなかった。2人とも真顔で。いや、本当にあの人たち何だったんだろう。全くわからない。まあ、結婚したあの2人にとって僕は邪魔だったんだと思う」

 この男は人に献身的に尽くす仕事をしているというのに、家では子どもに暴力を振るい包丁を刺すまでに至ったのはなぜなのだろうか。
 肉体的・精神的ストレスが強いと言われている介護職。それなのに低賃金は何年経っても変わらない現状。様々なストレスや満たされない自己肯定感を埋めるために、自分より若くて弱い立場にある子どもに暴力を振るったのだろうか。

 建城さんは引っ越し後の住所は母親にも、もちろん義父にも伝えなかった。戸籍も分籍した。
 今、戸籍には彼の名前が1人だけだ。

新曲は「あなたが寂しい時、悩んだ時、不安な時、それに寄り添うために書いた曲」

ラッパーを続けた先に、姉たちに会えることを願う

 建城さんは、ラッパー活動の中で児童養護施設出身者ということを公表している。

──児童養護施設は武器として売っていくのですか?

「売っていきます。お涙頂戴だって思われることも確かにある。でも、自分の過去を語れずに何が語れるんだって思ってる。過去すら語れない人に未来も今も語らせたくない。ストレートな表現がより伝わりやすいのがラップ。そうやって表現してたら、自分の思いが伝わる環境がどんどんできていった。それで、安易だけど、有名になれば姉2人に会えるかもって思ってます。母と父はどうでもいい。でも姉2人は、完全に親の都合だけで会えなくなっちゃったから。連絡とる手段もない。それなら有名になっちゃおうって」

 彼はまだ21歳だ。インタビュー中、何度も彼は「僕、運がいいんです」と言った。
 その言葉の意味を、何度も考えている。

答えは 与えられないけど
きっと 神様もわからないけど
僕でよければ聴くよ いくらでも
話したいことだけを 話してよ

(建城a.k.a.TRICKTRIGGER 「メーデー」より)

建城(タテキ)a.k.a.TRICKTRIGGER
横浜の児童養護施設出身のラッパー。2024年7月に「メーデー」を新曲リリース・MV公開。2〜3年後に初のワンマンライブを行う予定。
https://www.youtube.com/@tatekia.k.a.tricktrigger

著者プロフィール
田淵未来(たぶち・みらい)
児童養護施設経験ライター。兄の自死から毒親育ちと気がつき、親への遺恨をペンに乗せて綴る。毒親経験者からインタビューをしている。副業ナース。
X@bucchi_____
instagram@tabuchi_mirai_iceland_l

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