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【昭和パンパン物語 第三回】GI娼婦たちの縄張りセックスバトル

終戦直後、GIたちに体を売る娼婦たちがいた──。“パンパン”と呼ばれる彼女たちは生きるため、金のために必至だった。パンパンたちはグループごとに別れており、つねに生死を懸けたシマ争いが行われていた

シマ荒らしのパンパン──
お仕置きは女性器の火箸責め


体一つで生きる女たち

 戦争に敗れた日本の国土は焦土と化し、ひとびとの心も生活も荒廃した。とくに都会では新宿、新橋、上野界隈にヤミ市が立ち、ショバ代や縄張りをめぐって地まわりのグレ者たちの斬った張ったの抗争事件も日常茶飯事だった。そして夕暮れともなると今度は街娼たちの出番だ。赤いルージュにネッカチーフ姿。タバコをふかしながら薄暗い街角にたたずみ、男たちにむかってさかんに愛想をふりまいている。

 そんな街娼たちをひとはパンパンと呼んでいた。パンパンとはインドネシア語で「女」を意味する。街娼たちの相手はおもに進駐軍、GIだ。敗戦直後、日本政府は進駐軍のための慰安所設置を決定し、業者に女性および慰安所設置を要請した。設置の目的は不逞な米兵の性欲から一般女性を保護するためというもの。要するにプロの女性がGIのセックス被害の防波堤になるということだ。
 街娼たちはGIたちのオンリーになるのが憧れだった。GIはカネ・モノがあり、気前もいいからだ。しかももし将校のオンリーになれば高級住宅のマダムにもなれる。そのため米軍基地のある立川周辺では5千人もの街娼が集まり、なかには戦争で夫を亡くした若い主婦もいたという。そうした街娼たちは単独で商売しているものもいたが大体は数十人でグループをつくり、独自の縄張りのなかで商売をしていた。

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