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本橋信宏のダークツーリズム『東京裏23区』第1回【世田谷区編】セレブ住宅地には死の影が…


三軒茶屋駅前の闇市跡を歩く筆者

『全裸監督』原作者・本橋信宏が路地裏のダークゾーンを歩く旅。東京23区の光と影、“住みたい街”の正体とはーー『東京裏23区』(大洋図書刊)より抜粋してお届けします。

二子玉妻は欲情する

「3万、買うでしょ?」
 ダルビッシュに似た20歳前後の青年が公園で人妻に声をかけてきた。
 ここは世田谷区二子玉川。
 東京23区のなかでもっとも人口の多い区(約87万人、2位練馬区71万人、3位大田区70万人)であると同時にもっとも住みたい区でもある。だがセレブの街にも意外な闇歴史が棲息していたのだ。
 私と連載担当・早川和樹副編集長は金曜日の午前、二子玉川を訪れ〝金妻〟に接触した。
「ベビーカーの奥さんたちが多いねえ」と私。
「二子玉マダムはマウンティングの勝者ですからね」と、早川副編。
 ベビーカーはドイツ製、フランス製といったがっしりした上級品が目立つ。
 日本オリーブオイルソムリエ会員限定フェアが開催中で、さまざまな高級オリーブオイルが並んでいる。
 平日の午前中にもかかわらず、人混みがラッシュ状態だ。
 若い人妻が目立つ。
 不思議なことに太った女はほとんどいない。
 ベビーカーを押している30代後半のママに接近、人妻に迫る不倫話を聞き出そうとしたら冒頭の言葉が返ってきた。
「そのダルビッシュ似の彼に声かけられたことをお茶飲み友だちのマダムたちに言ったら“あら、買わなかったの?”って言われました(笑)。あのなかで(男を)きっと買ってる!」
 ママはたまプラーザ住まい。
「『金妻』のタイアップで他の路線にTBSが話をもちかけたけど、断られて東急にもっていったんですよ。だから『金妻』のおかげでいまのたまプラーザブームがある。知り合いのテレビプロデューサーが教えてくれました」
 二子玉川は東急田園都市線・大井町線が通る通称二子玉で有名な世田谷区南西部の郊外型都市だ。
 二子玉が一躍、若妻たちに人気を博するようになったのは、“金妻”で有名なドラマ『金曜日の妻たちへ』(1983年・TBS系)が大きい。
 世紀をまたぎ、人妻の欲情が渦を巻く。
 タワーマンションが林立する。
「最近、ここから飛び降り自殺があったらしいです」と早川副編集長。
 どんな街でも悩みは尽きない。

表札のない街

 二子玉から切り通しを抜けて上野毛の超高級住宅地に。
 この地には東急創始者・五島一族の豪邸がある。
 緑が豊富で静謐、壁が延々とつづく。
 不思議なことにこれだけの超豪邸なのに、大きな玄関に表札がない。
 いや、超豪邸だからこそ表札がないのだろう。
 地元では超有名な人物だから表札を出す必要もなく、防犯上からも苗字を出すことを控えているのだ。
 環状八号線(カンパチ)沿いにはラーメン二郎、社民党ポスターもある。
 東京オリンピックが目前に迫った1964年8月24日、この街で暮らす高島忠夫・寿美花代夫妻の第一子が殺害される、という痛ましい事件がおきた。
 犯人は住み込みで働く17歳の少女だった。少女は高島夫妻の大ファンだったが、第一子ができてから自分に冷たくなったと錯覚し、愛情を独占しようと第一子を殺害したのだった。俳優の高嶋政宏・政伸の兄になるはずの子どもの不幸な死だった。
 高島忠夫は1990年代後半、鬱病を発症。闘病生活を送る。
 愛児の殺害と鬱病の発症とは関係ないはずだが、つい思い出してしまう。
 2019年6月26日13時1分、老衰のため、自宅にて88歳で死去。

「所ジョージ死刑」事件

 私たちは世田谷区の高級住宅地・成城を訪れた。
 最近この地に暮らす所ジョージの事務所兼遊び場「世田谷ベース」に「所ジョージ死刑」という落書きが書かれたことが報道された。成城の超一等地にゆったりしたスペースを持ち得た人物をやっかみ半分で見ている人間がいるのだろう。人間は嫉妬する動物だ。
 所ジョージは私の中学の2年先輩であった。1969年秋、文化祭でギターの弾き語りをおこない、ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン川』の替え歌で『柳瀬川』というコミックソングを歌った。「やなせーがわ水きよくー ちょろちょろ流れゆくー」。体育館中大爆笑。すでに天才の萌芽があった。
「ああいうのはすぐ消えていくよ」
 訳知り顔の知人が所ジョージの行く末を占ったが、とんでもない、すぐに消えるどころか、日本のショービジネスでもっとも成功した人物になった。
 テレビ放送の調査・測定を行うニホンモニターが、平成30年間の年度別CM年間起用社数1位を集計したところ、男性部門が7度の年間王者となった所ジョージ、女性部門が6度の年間女王に輝いた上戸彩だった。
 複数の外国車を収容するどでかいガレージをつくり、修理工場や遊び場までふくめた総合レジャー施設を、成城のど真ん中につくることができたのも当然であった。
「やなせーがわ水きよくー ちょろちょろ流れゆくー」というコミックソング風替え歌ののりで芸能界を遊泳してきた。自然体が身を助けた。

セレブタウンの犯罪

 2016年度、東京23区でもっとも犯罪件数が多かったのが意外なことに、世田谷区だった(2位新宿区、3位江戸川区)。
 犯罪はスラム街で多発する、という固定観念があるが、犯罪は高級住宅地を避けて通るわけではない。
 成城からほど近い祖師谷公園の一戸建てで、2000年12月30日夜発生した世田谷一家殺害事件はいまだに未解決だ。両親と幼い長女(8)・長男(6)までも殺害するという陰惨極まりない事件であった。
 この事件最大の謎は、犯人の動機である。
 物盗り説、怨恨説、快楽殺人説……。
 動機は定かではない。
 私も現場を何度も訪れているが、少なくとも犯人はこの付近の土地勘があった人間だろう。現場を訪ねるたびに私は物盗り説に傾いていく。もっとお金がありそうな大豪邸を狙うはずだ、という意見もあるが、カネがありそうな家を狙うのではなく、侵入しやすい家を狙うのが物盗り犯の心理である。
 学者、有識者というのは経済力が豊かで、カネが無いことのリアルな切迫感というのを味わったことがない。貧すれば鈍す、と体感したことがない。
 それゆえに単純な物盗り犯説を唱えることは稀である。
 私たちが訪ねたとき、被害者宅はブルーシートがかぶさり、簡易交番ボックスに警官がひとり監視していた。事件解決に至る有力情報提供者には最高額2千万円が支払われる。警視庁最重要案件である。
 世田谷区ほど高級住宅地が存在する区はない。代沢もそのひとつだ。
 2002年10月25日、石井紘基民主党衆議院議員が代沢の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され殺害された。犯人は出頭した右翼構成員、動機は金銭トラブルだった。だが、この動機には謎が多すぎる。一説にはカバンの中にありながら消えた書類は巨大組織の不正問題追及の資料だったという。
 事件現場は奥まった一画にあり、近くには東急線が走っている、極めてわかりにくい場所にあるために、犯行は綿密な計画をもっておこなわれたことがうかがわれる。
 1978年1月10日、経堂駅に近いアパートの一室で清泉女子大4年生の女子大生が暴行殺害された。
 犯人は第一発見者の現職警官だった。勤務中の警官による暴行殺人は警視庁はじまって以来の大不祥事とされ、北沢署署長は引責辞任、警視総監も辞任という事態に陥った。
 以前から女子大生に目を付けていた20歳巡査の性欲が昂進し過ぎての性犯罪だった。犯人の警察官は鹿児島県出身、鹿児島県といえば警察制度をつくった川路利良の出身地であり、明治期から警察は鹿児島県閥が幅をきかせてきた。立身出世するなら警察官に、という気風が鹿児島では根強かったのだが、犯人はその前に暗い欲望をかなえてしまった。
 私たちが訪れたときは事件から39年がたっていた。
 事件現場となったアパートは更地になり駐車場に変わっていた。犯人が勤務していた経堂駅前派出所はいまだに駅前にある。
 真夏の日差しを浴びながら中年の警官が道を尋ねた区民に指し示していた。

世田谷一家殺人事件現場

ミイラと闇市

 庶民派の街も世田谷区にはたくさんある。
 2017年4月6日、世田谷区船橋の希望ヶ丘団地でミイラ化した嬰児の遺体が発見された。おむつをつけたまま30年以上経過していたとされる。
 家賃未払いで立ち退きを要求されていた70代の借り主の部屋での出来事であり、埋葬されたミステリーがひょっこり顔を見せた。
 死亡したものの手放す気になれず、そばに置いていたのだろうか。
 団地には80代以上の老齢者が目立つ。希望ヶ丘という地名と事件の悲哀さが皮肉に響く。

希望ヶ丘団地

 日が落ちかけるころ、私たちは渋谷からほど近い三軒茶屋に到着した。
 江戸時代に3軒のお茶屋があったことが地名の由来になった。
 ここ三軒茶屋も世紀をまたぎ現在も闇市の名残を留める商店街が生き残っている。246号と世田谷通りの三角地帯に闇市が存在していた。
 闇市は人が集まる駅周辺に突如出現した小売店の集合体であり、終戦直後、物資の多くは配給品だったために、闇市で売られる商品は横流しやGHQ兵士が小遣い稼ぎで持って来たものが多く、非統制品であったことから闇市の名前がついた。
 巨大な闇市としては、東京の場合、渋谷、上野、池袋、新橋、新宿といった巨大ターミナル駅周辺にできた。終戦から1952年までGHQが日本を占領していたので、日本警察とGHQの二重権力状態にあった。日本の警察がもっとも力の及ばなかった時代であり、闇市の誕生も警察力が弱まったからできたものだった。
 落花生の文字が躍る豆菓子専門店のオヤジに尋ねてみたら、この地で70年やっているという。黒糖ビーンズ250円。
 路地裏を歩くと突然、角から見知らぬ男がヌッとあらわれた。
 三軒茶屋のキャロットタワー展望室から、はるか下界の灼熱の世田谷区を見おろした。
 平和な遠景が陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。

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本橋信宏(もとはし・のぶひろ)
1956年埼玉県所沢市生。早稲田大学政治経済学部卒。私小説的手法による庶民史をライフワークとしている。『ベストセラー伝説』(新潮新書)、『歌舞伎町アンダーグラウンド』(駒草出版)など著書多数。80年代のアダルトビデオ業界を描いた『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)がNETFLIXでドラマ化、全世界配信され記録的大ヒットとなる。