「らしさ」論

最近、サウナに興味があったりジム通い再開させてみようかと思ったり。
体重落ちなくなっちゃったなあ〜。

この前上司から中々で経験きない、けど目立つ仕事の依頼を貰った。
ノリノリで快諾した私はいい意味で「らしさ」がなくなったなあ、と染み感じる今日この頃。

そんな事を思ってた時、ふと、母の友人(女性、仮にAさんとします)とその娘さんの話を思い出しました。
Aさんは大病を患い、入院をしていました。
御見舞に行った娘さんは、Aさんの姿を見ると泣いてしまったそうです。
そとき、Aさんは「泣くんじゃない!あなたらしくもない。しっかりしなさい」と娘さんに言ったそうな。
確かに、Aさんの娘さんが泣いている姿は「らしくない」という言葉がしっくりきます。
成績優秀、スポーツ万能、学生時代は生徒会長もやっててリーダーシップもあるし、今は日本の最前線的な場所でバリバリ働くキャリアウーマン…な娘さんで、しっかりしてて芯の強いイメージの人なのです。お母様の仰る「らしくない」は傍から見れば当然のことかもしれません。

私は想像しかできないけれど、
なんで娘さんが泣いたかと言えば、怖くて不安で辛くて、母であるAさんにどうしてあげることもできない自分に腹が立って、悲しかったから泣いたんじゃないかと思います。いくらしっかりしてて強く見えても、こういう感情を持ってないわけではないのです。

この話を聞いて、私は率直に「らしくなく」人前で泣くことも必要なんじゃないかなぁ、ましてや他の誰でもない、お母様の前なら、余計にいいんじゃないかなぁ…と思ったのです。

Aさんサイドからすると、自分が側にいなくても、確りと人生を歩んで欲しいっていうメッセージだったかもしれないから「らしくない」を一概に否定はできないけれども。

仮にシンプルにAさんが本当に「らしくない」と思ってたとしたらどうだろう。

娘さんがお母様であるAさんの「らしくない」を前向きに受け止められたならいいのだけれども。
ただ、「らしくない」が呪いになって自分の気持ちや行動に制限をかけちゃったり、逆にオーバーワークになっちゃったりしたらしんどいよなあ。

多くの人にとって自分の人生のあらゆる場面に登場する親は、子どものことをとても理解している、と思っている(実際に私も思ってた)けれど、実際はそんなことは無いのでは。

…もしかして、相手のことを理解している、と思っている人からこそ「らしくない」発言が生まれるのかしら…?

「らしさ」を決めつけているのは自分自身ではなく、周りの人なのかもしれませんね。

そう考えると、親ですら、子どもである自分の見たことのない一面があるのだから「らしくない」一蹴してしまうのはもったいない。
その一面が人様に迷惑をかけたり、不快にさせるようなものであればそれは論外ですが。

ギャップとは違うんだよなあ〜
キャップは意外な一面をみて、その一面がプラスに働くことが多いけど、なんとなく「らしくない」はマイナスなイメージなんだよな〜
言葉の中に「無い」が入ってるからかなー。不無否未はマイナスイメージだからなあー。

たぶん、一面をみた他者が「自分のイメージを否定された」と思うのが「らしくない」に繫がるんだなー。
「らしくない」と思われたく・言われたくなくて「らしく」するのは相手を否定しないってことなのかもしれない。優しいなあ。

なるべく、自分の感情や感性は「らしさ」に振り回されないで生きて行ければいいし、相手の色んな一面を引き出せるようになりたいなあ〜と思ったのでした。

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