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人は言葉をつむぎ、言葉は人をつなぐ

私は人に会うたび、「いろんな人がおるなあ」と思う。
一人として同じ人はいない。
それは現実もnoteも一緒で、noteには「いろんな文章があるなあ」と思う。

今日も今日とて、まだ10代の方の(もう20代かな)素晴らしい文章に出会った。
誠に勝手ながら引用させていただく。

この貫禄のある感性と言葉遣い、いとおかし。
こういう出会いが、noteの、インターネットの魅力なのかもしれない。

noteを始めたことで、
自分の思いを発露したり、整理したり、はたまた異なる思考や文化に出会ったり、それをまた綴ったり、
とにかく「言葉」と向き合うことが多くなった。
人が発する「言葉」によく触れるようになった。
仕事以外はずっとそのことを考えているし(ちょっと言い過ぎ)、
おかげで趣味のゲームもやらなくなったくらい。
そして、その時間が楽しくて早い。

これまでも、読書は好きだし、映画もセリフを覚えているものも多い。
しかし最近は、特に社会人になってからは、ゆっくりと「言葉」を発し、「言葉」を吟味する機会は格段に減った気がする。
代わりに、小難しい経済用語や、薄っぺらなメール、魂のないセールストークには爆発的に触れてきた。
社会人になるって、魂を殺して歯車になることなのかと、
うわべだけのあいさつや社交辞令で日常をこなしていくことなのかと、
そう思った。
魂の会話とか、それこそ映画のような感動するセリフに、社会では出会えないのか。

でも、いざネットの世界に飛び込めば、みんな結構思い思いのことを言っているじゃないか。
私だってそうだが。
いかに、普段の自分が自分を殺しているのかがよくわかる。
匿名でないといえないことも、みんなあるよね。

そして、そういった本音の「言葉」が人を引き寄せて、感性を刺激したり、人生を振り返らせたり、クスリと笑わせたり、時に涙を誘うのだ。

そう、「言葉」には力がある。と思う。

不覚にも、デジタルネイティブ世代だというのに、これまでSNSには無縁だった自分が、noteに出会って気づいた、小さな発見。

こんなにも「言葉」が集まって、そこに人が集まる場所があるんだなあ。

私にとっては居心地がいいし、必要な人にはきっと必要な場所だ。

これからも素晴らしい「言葉たち」に出会えることを期待して。
自分も少しでもいい「言葉」を発信できるように。
ぼちぼちやっていこう。


サポートをしていただけるようなことがあったら踊り狂います。 どこかの誰かの何かに届けばいいな。