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仏のいえ(2024年6月)

梅雨の時期になると思い出す、沖縄県久高島へ度々出掛けていた頃のこと。数日間の島滞在で雨が降ると気分はどうしても「残念」と思うものでした。ある日、パラパラと降り始め肩を落としている私の横で、「ゆがふー雨だね」と福治洋子さんが一言。「ゆがふ」とは沖縄で「豊か」という意味の言葉で、「豊かな雨だね」と仰るのです。植物や大地にとっては潤いの雨、いい言葉だなーと心から思ったのでした。
お寺に来て畑を住職と一緒にやらせていただくようになって、その「豊さ」は身をもって必要なものとなりました。特に種まきをした後に降る雨はありがたい雨。最近は洪水などの水害も多いので、手放しには喜ぶことが出来ませんが、時に心を落ち着かせ、潤う苔や森を美しいと思うことは多々あります。雨との関わりを感謝しながら過ごしたいものです。
一雨降るたびに作物が育ちますが、雑草もよく伸びます。この時期、法要などで近所のお寺さんと一緒になる時の話題の一つは、草刈機情報。広い境内の中で、全部きちんと手入れすることは難しいものの、気持ちいい風が通る境内になるように体力と電動機械をうまく調整できればと情報を共有する貴重な時間です。


境内や山内のお掃除のほか、いつどなたが訪ねてきてもいいように常にお花・お軸・お茶を整えることが大切だと言われています。
お軸は、季節に合わせて変えていきますが、そのお客さまに喜んでいただけるような縁のあるお軸があれば変え、お茶請けは、地元の果物や季節のお菓子を用意することもありますが、信州はやっぱり漬物文化。冬は野沢菜、夏は畑で採れた夏野菜を塩麹や酒粕に漬けておきます。新鮮な土地のものをお出しする、そんな工夫もここに来て学びました。

六月上旬、山法師の供花

今、私にとって一番難しいのはお花。須弥壇と書院、玄関のお花は常に気を使わなければなりません。副住職の浄光さんは、出家前にお花屋さんだったこともあり、生け方はもちろん、花屋で花を購入する仕方も、境内の花の生け方もよく知っています。菊は茎の太さを見てなるべく太いものを、水揚げする前の出荷されたばかりのものを買うように、カーネーションは水が上がりやすいから水切りはせずに空気中で切ること、とか、花は風に当たると早く痛むから保管するときは風の通らない場所に、、、と、花をいかに長持ちさせることを大切にしています。浄光さんの実家がある長崎県では、「上げぬ罰より下げぬ罰の方が重い」という諺があるのだそう。お供えとしてお花を飾ることは大切だけれど、お供えした花が枯れた状態で放っておくようであれば飾らない方がいい、ということ。花器の中に数種類の花を生けた時、全ての花が同じように散ったり枯れたりするわけではない。そんな時は枯れた花を取り除いて生け直すべきなのです。忙しいとついつい後回しにしたり、生けたことに執着した気持ちがあると片付けたくない気持ちが残りますが、後の手入れができないようであれば、生けない方がいいのでしょう。
大学生の頃、屋久島へ旅に行った時のこと、フェリーは明け方に港に着き、友人との待ち合わせ場所まで歩いていました。途中、墓地に足が止まりその綺麗な風景を写真に収めました。狭くもない墓地、そのお墓に供えているお花がどれも綺麗だったのです。たまたま居合わせた土地の方に、「今日はお彼岸やお盆ではないけれど、どのお墓の花も綺麗なのはどうしてですか?」と伺うと、毎朝、庭の花を採って生け変えるのはこの土地の習慣なのですよ、と答えてくださり、ご先祖さまにお花を供えることも手を合わせることもしていない自分を省みたのでした。

五月雨萩と黄花オダマキ

5月、境内の牡丹の花が咲くと、「生きている花に 枯れている枝を一本添えるだけで 花に格調が生じる」と、先生は保管していた枯れ枝を添えるのです。そして「死んでも、尚、役に立つのはいいね。そんな風になりたいね。」とも仰るのでした。牡丹の花は、保って3日、気温の高い日は1日で咲き散ることもあります。牡丹や夏のモミジアオイのような一日花は、毎日生け直すことが必要な花の一つです。

牡丹と「松籟」の軸(余語老師)

今年は、6月30日に5年ぶりの「野良着茶会」が行われました。新型コロナウィルス感染症で4年間は全ての行事が中止か縮小だったため、お茶のお稽古はしてきたものの「野良着茶会」を経験するのは初めてのことでした。この数年生徒さんが減ったため、今まで通りの三席の茶室と手作り点心という形から、お茶席は二席、点心は外注となりました。
チケットの制作と案内の発送が五月に始まり、六月初旬から山内の掃除、当日の道具やお菓子の選定、会記の作成など休みなく続きました。1週間前になると生徒さんたちも毎日集まり、境内の草取り、ガラス拭き、会場作り、合間に稽古をしながら最終的な飾り付けをしていきました。私たちだけでは手入れのできていなかった場所の草刈りや庭木の剪定も済み、行事を行うことは大変だけれど「結」の仕事を行う貴重な時間でした。

「翠竹依庭留鳳集,喬松繞户待鸞翔」弈堂禅師

本席のお軸「翠竹依庭留鳳集,喬松繞户待鸞翔」(訓読・緑の竹は、庭にあって、鳳の集いを留め住まわし、高い松の木は、家を囲んで鸞(鳳の一種)の翔くのを待ち受ける)にちなんで、本席の花は青竹に藤の実とトラノオ、ホタルブクロ。竹も松も四君子と呼ばれる高潔の象徴で、鳳・鸞は共に優れた人材を象徴するもの、高潔なところに優れた人材が集まる意味なのだそう。
約5時間、先生は本席に座りっぱなし、お客さまへ解説をしたり挨拶をしたり。お客さまも先生とお会いできて嬉しそうでした。30代で寺に戻り、茶道部を作り50年以上このお茶会を続けてきた先生はやっぱりすごい方なのだと頭が上がりません。来年はどうなるのだろうと楽しみと不安が入り混じりますが、この状況を長く活かしていきたいものです。

茶道部の大先生お二人
7月2日付 松本市民タイムス

気がつくと季節は七月に入り、蕎麦畑の白い花が一面に咲いています。そして、お盆行事や8月24日25日に行われる「信濃結集・禅の集い」の支度が頭をよぎる時節となりました。ひぐらしが鳴き始めるのももう間近なのでしょうか。どうぞ皆様、熱中症などお気をつけてお過ごしくださいませ。

いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。