映像/ナレーション/音楽 そしてイメージ ~マルグリット・デュラスを経由し 鈴木治行へと至る途(みち)~

注)2008年に執筆したものです。

■ビデオデッキが無かったあの頃

最近、ビデオテープが手に入らない。というのも、筆者はあるメーカーの特定のビデオテープを愛用していたのだが、ハードディスクレコーダーやDVDレコーダーといったデジタル機器の普及に押されて、大規模な家電量販店においてもビデオテープの取り扱いは随分と減ってしまった。それゆえ、決してビデオテープが見つからないわけではないのだが、筆者が求めるものが見つかることはまず無い、という仕儀となるわけだ。まあ、デジタル機器を使えばビデオデッキで録画するより数倍美しい映像で記録出来るし、コマーシャルなどのカットも容易なのだから、それも時代の趨勢というものだろう。かくいう筆者も、手元に残しておきたいテレビ番組は、パソコンを使ってキャプチャ(録画)し、必要に応じてDVDに焼くようになった。

しかしながら、家庭用のビデオデッキの価格が1万円を切り、デジタル機器を含めた何らかの録画装置がほぼ全世帯へと普及している現状は、ビデオが無かった筆者の少年時代からすれば夢のようですらある。思うに、筆者の世代(1969年=昭和44年生まれ)は、家庭用のビデオデッキが普及する以前に少年時代を過ごした最後の世代と言えるのではないだろうか。

日本ビクターがVHS規格の開発に成功したのが1976年。ゆえにビデオデッキは決して存在しなかったわけではない。ただ身の回りになかっただけなのだ。市場に出回り始めた頃のビデオデッキは高価で、そう簡単に手が出るものではない。ビデオがない頃には、テレビで放送される番組は基本的に一期一会で、再見するには再放送を待つしかなかった。だが、殆どの番組は再放送されることがなく、たまたま観た番組から強い印象を受けたとしても、その反芻は己の記憶の中で行うしかない。印象を反芻しているうちに自らの思い入れが介入し、元の番組とはかなり違ったものとして記憶に定着してしまうこともしばしばあった。

ならば録音してみるのはどうだろう? 筆者の世代ならば、ビデオデッキには手が出なくとも、ラジカセ(ラジオ・カセットテープレコーダー)なら大抵の家にあった。これを使ってテレビ放送の音声を録音することを試みた者は決して少なくないはずだ。画面の録画は不可能でも、せめて音声を録音することで、お気に入りの番組の断片だけでも手元に残し、印象を反芻する手がかりだけでも得ようと考えた、というわけである。

1980年頃にはアニメーション映画の「ドラマ盤」なるレコードが売られていた。それは、現在でも見かけるような、映画で使われた音楽のみを集めて収録したアルバムではなく、文字通りの「サウンドトラック」、つまり映画に付随する音声すべてを収録したアルバムで、大抵は2枚組だった(今日、そうした商品は存在しない。なぜなら、DVDを映像抜きで再生すれば事足りるからだ)。映画もまた、上映期間が終わってしまえば、再見するには名画座での再上映やテレビ放送を待つしかない。せめて音声だけでも、というファンの希求はそうした商品を生み出したすほどに強いものであった。

■映像と音声との間に

というわけで、筆者の手元にもかつてテレビで放送された映画やドラマなどの音声を録音したカセットテープが幾つか残っている。「ドラえもん」から小津安二郎まで。だが、こうして映画/映像の音声のみを録音したテープを繰り返し聴き、それこそ暗記し口三味線で再現出来るほどになると、今度は映像を含めて映画を見直す機会があった際に、ちょっとした違和を感じることがある。というのも、映画の音声というものは、映像と完全に同期しているようで、実は映像との間に小さなズレを意図して組み込んでいる場合があるからだ。こうした映画と音との微妙な関係については、NHKのテレビドラマ「ちりとてちん」や、山中貞雄の「人情紙風船」に絡めて、過去の連載分にて詳述しているのでご一読頂きたい。

(現在リンク切れで、再建作業中です。少々お待ちください)

要約するならば、「映画やテレビドラマのリアリティや物語性に奉仕するために、音声は映像と伴走しつつもあえてそれと(微妙に)距離を取った形でつけられる場合がある」、ということになるだろうか。しかし、この「距離」一つにしても表現者の立ち位置は様々。リアリティに奉仕することに特化することも出来れば、この距離に着目して新しい映像表現を生み出すことも出来るだろう。たとえば、「僕の伯父さんの休暇」以後のジャック・タチの作品は、後者に属するということになるし、タチをフランスのネオリアリズムの始点と評したジャン=リュック・ゴダールもまた、映像とは別の論理でもって音声を裁断/構成する作品を数多く世に送り出している。そしてさらに一人、マルグリット・デュラスの名を、映画の音声を映像の引力圏ギリギリのところまで飛翔させた作家として挙げなくてはならない。

マルグリット・デュラス。1914年にフランス領インドシナ(現在のベトナム)で生まれた彼女は、一般にはまず小説家としてその名を知られている。ベストセラーとなった自伝的小説「愛人/ラマン」が、1992年にジャン=ジャック・アノー監督により映画化され、その大胆な性描写も含めて大いに話題となったことをご記憶の方もいらっしゃるだろう。さらに一部の方は、この映画の出来に関してデュラスとアノーとの関係が相当危ういものとなったことをご存知かも知れない。デュラスは作家活動の傍ら、その生涯(1996年没)に少なからぬ映画作品を制作した映画監督でもあり、残された作品は、エンターティメントの範疇にあるアノーの作品とはかなり毛色の違ったものだった。

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マルグリット・デュラス「私はなぜ書くのか」書影から

■マルグリット・デュラスの「アガタ」

たとえば、彼女の1981年の監督作「アガタ」では、映像と音声/ナレーションとの間に実に興味深い関係が構築されている。映画の登場人物は二人。海辺のホテルに滞在している男性と女性が一人ずつで、この登場人物の声と思しきナレーションから、どうやら二人は兄妹でありながら愛人関係にあるということがわかる。しかしながら、画面の中の人物が声を発することは一度たりともなく、終始発話はナレーションに拠っているため、観客にはナレーションの声が本当にこれらの登場人物のものであるかを確認する術はない。画面は思わせぶりに男女の姿を映しているけれど、この2人はナレーションとは全く関係ない人物だという可能性もあるわけだ(エンド・クレジットまで観ると、このナレーションの声は登場する2人の俳優のものではなく、特に女性のナレーションはデュラス本人によるものだということが判明する)。

そう考えて観ると、この映画には随分おかしなことが多い。そもそも、ナレーションによれば季節はどうも夏らしいのだが、画面に映る海はどう見ても冬の海。しかも、画面には「海辺」ということを唯一の共通項として、コンビナートの聳える工業地帯や、巨大な干潟の画が前触れもなく挿入されたりもする。波の音を含めた環境音の音量も意図的に調整されており、本来聴こえるべき音が意図的に消去してあったり、場面から想定できるものとは明らかに異なったバランスで鳴らされたりする。

ではこれはデタラメなのか?いや決してそうではない。この映画の作りに素人臭いところは一切無く、映像と音声との距離一つにしても、ある場所では映像に寄り添い、ある場所では思い切って離れる、という具合に、常に厳密な計画の上での制作が行われていることは明らかである。ではデュラスは観客を混乱させようとしているのだろうか?この点については、半分正しく半分間違っているというのが妥当なように思う。

リアリティを身上として、音響を映像へと徹底的に寄り添わすならば、観客には特定の音響と映像との関係が唯一無二のものとして刷り込まれてしまう。観客に出来ることといえば、その自明な関係を前提として受け止めた上で、映画上で展開する物語に没入する以外にない。没入出来ないような映画ならばそれは失敗作ということだ。しかしながら、映画が映像と音声を独立に記録できるメディアであることに気付けば、この独立性を生かした表現も可能であることに気付く。ただ、そうした表現の先にあるのはリアリティではありえない。人間の目と耳が脳を通じて連動している以上、リアリティはその連動を前提としてしまうのだから。

デュラスの映画は、ナレーション・音声・映像を独立に扱い戯れさせることにより、人々が自明のものとして捕らえていた映画の/感覚のリアリティに裂け目を入れ、この引き裂かれた状態の中で、観客がありったけの想像力でもって映画を補完することを求めている。ゆえに、ナレーションを2人の登場人物と結びつける補完も、逆に無関係と考える補完も、そしてデュラスの企みを上映時間の全てを使って考え続けるようなメタレベルの観点に立つような補完も、全てがあり得、そしてデュラスの意図に沿っていることになるだろう。このことゆえにデュラスの作品は、表現者がリアルを重ねて一つの物語を押し付けてくる創作の作法とは、明らかに異なった位相へと至ることが出来たのだ。

■デュラスから鈴木治行へ 鈴木治行の「語りもの」

こうしたデュラスの表現の作法に大きな感銘を受け、これを音楽作品で追求している日本人の作曲家が一人いる。1962年生まれの鈴木治行(すずき・はるゆき)である。通常は「現代音楽の作曲家」と分類される鈴木であるが、諏訪敦彦の3本の映画作品「M/OTHER」「H-Story」「不完全なふたり」の音楽を担当するなど、映画音楽家としてもユニークな仕事を続けてきた。鈴木の映画ついての造詣は音楽界随一であり、映画に纏わる評論活動も数多い。そんな鈴木は、1998年以来、自身が「語りもの」と呼ぶ、ナレーションと小編成の器楽アンサンブル(曲によっては、さらに歌唱や事前に準備された環境音・電子音などが加えられることもある)のための作品を断続的に発表しているが、これらは、デュラスが映画で行った試みを音楽において実行したかのような、世界音楽史上類例のない作品群となっている。

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鈴木治行(2020年9月)

各曲のタイトルは、「浸透-浮遊」「伴走‐齟齬」「陥没-分岐」といった、およそ音楽作品には似つかわしくないものばかり。が、聴覚的な印象は概ねソフトで、ジャズ的な和音が支配的な作品もあれば、ポピュラーソングの断片が現れる作品もある。それは、鈴木の狙いが、デュラスが映画で行ったように、言葉と音楽がそれぞれ孕むイメージを対照し、それらの齟齬を様々な手法で現前させる点にあるからに他ならない。上記のデュラスの作品に関する解説は、一部を改めさえすれば、そのまま鈴木の「語りもの」についても当てはまってしまうのである。テレビのワイドショーを一瞥すればわかるように、特定のナレーション(とそれが背負うある種の感情)は、特定の音楽といとも簡単に結びついてしまい、現代の私たちはその関係を疑おうとはしない。本当は、「長調を明るい、短調を悲しい」と考える感覚すら自明のものではないというのに。鈴木はその強固な関係に意図して亀裂を入れていく。私たちが普段耳にするような耳当りの良い音楽を意図して素材とするのは、これによって生まれるイメージの亀裂を際立たせるための戦略でもあるのだ。

また、こうした素材ゆえに、鈴木の「語りもの」にはその先進的なコンセプトにも関わらず、郷愁にも似た叙情が作品のそこここから顔を出すことになる。そういえば、鈴木もまた、かつてテレビで放送される映画の音声をテープに録音し、繰り返し聴いた経験を持つのだという。筆者はそのことを知ったとき、鈴木が作曲家でありながら、音楽と環境音もセリフも等しく素材として愛で、独自の音空間を構成するに至った秘密の一つに行き当たったように思った。音楽/音響をナレーションと伴走させつつ、巧みにその距離を多様化していくというコンセプト、そしてこれを叙情的な佇まいの中に結晶化する方法を、鈴木は雑音混じりのサウンドトラックの中から掴み取って来たのだ。それゆえに、真にこの作品群を聴くべきは、音楽ファンよりも映画ファンであろうとも思う。

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鈴木治行「語りもの」(GRAMoPHONE 2 / HEADZ 120)

筆者は今、30年近く前に録音したテレビ音声のカセットテープと、届けられたばかりの鈴木の作品集を交差させるように聴き続けている。そして、かつては映像を観ることで初めて知覚することが出来た齟齬が、音だけで構成された鈴木の作品の中に自然体で息づいていることに驚かされ続けている。

(鈴木の「語りもの」を集めたCDは、2008年8月20日にリリースされた。これは今でも、amazonなどの通販サイトを頼れば入手することが出来るだようだ。)

初出:「そら飛ぶ庭」2008年8月

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