石塚潤一

(音楽)批評家。2002年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞。現代音楽を中心にクラシック、映画…

石塚潤一

(音楽)批評家。2002年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞。現代音楽を中心にクラシック、映画、などについて執筆。、読売新聞、音楽現代、ミュージック・マガジン、ユリイカ別冊などに寄稿。

最近の記事

篠原眞氏との会話

篠原眞個展を行った翌年の2022年5月、ROSCO(甲斐史子、大須賀かおり)が渋谷の公園通りクラシックスにて篠原眞の<ソナタ>を演奏。会場まで車で篠原氏をお連れすることになり、その車中での会話を書き留めておいたもの。主だった話は2021年の「篠原眞 室内楽作品による個展」でのインタビューで伺ったので、補遺的な話を。以下、太字は私、それ以外は篠原眞氏による発言。 この間、ジャンヌ・イスナール、安川加壽子両氏による、篠原さんの≪ヴァイオリン・ソナタ≫の録音を聴いたんですが、特に

    • 福島和夫(1930.4.11-2023.8.19)さんについての追想

      福島和夫さんは、長らく自分にとって、「謎の作曲家」だった。1970年代のはじめに作曲活動を停止し、東洋音楽研究の音楽学者となったこともあり、演奏会場で姿をお見かけすることはなかった。目にするプロフィール写真は若いころの、光が眼鏡に反射して表情が読めないものばかりで、そのことが孤高の作曲家というイメージを増幅した。極端な人間嫌いゆえに隠棲してしまった、といわれれば、そうなのかなと納得させられる雰囲気も確かにあったように思う。 もちろん、フルート作品を中心とした作品集は何種かリ

      • 鈴木治行の反復を糧に、スティーブ・ライヒの反復を再検討すること

        正直にいう。《18人の音楽家のための音楽》や《大アンサンブルのための音楽》、《オクテット》の頃のライヒには賞賛を惜しまない私だが、最近の作品はそんなに、、、だった。それでも、プログラムノートにも曲名を挙げた、近藤譲の《スタンディング》や、一柳慧の《ピアノメディア》を演奏するような、徹底的に醒めた視点で、ライヒの反復を捉え直してみると、近作の音風景も違って見えるかな、と考えた。 音楽的反復とは高揚をもたらすもの、と一般には考えられている。それでも、敢えて反復を醒めた目でみてみ

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          Steve Reich"2×5"(2008) The Rehearsal for Japan Premiere on December 7&8

        篠原眞氏との会話

          真正のポストミニマル音楽を目指す スティーヴ・ライヒ作品の解説に代えて

          ポストミニマル音楽がとにかく苦手だった。 大阪万博(もちろん前のだが)の前年に生まれた筆者ゆえ、音楽における進歩史観を妄信できる世代ではもはやない。しかしながら、戦後前衛を彩った名作の、音楽が音楽として成立し得る境界線を探る気迫であるとか、そうした探求が際立った緻密さで裏打ちされている様であるとか、数々の驚くべき成果に比べ、ポストミニマルの音楽はあまりにも貧弱に思えた。 もっとも苦手だったのはマイケル・ナイマンだ。ミニマル音楽に関する著書もあるこの作曲家は、ちょうどジェー

          真正のポストミニマル音楽を目指す スティーヴ・ライヒ作品の解説に代えて

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          Steve Reich"2×5"(2008) The First Rehearsal for Japan Premiere on December 7&8

          Steve Reich"2×5"(2008) The First Rehearsal for Japan Premiere on December 7&8

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          ポストシベリウスとしての湯浅譲二

           「僕らが若いころは、作曲学生がシベリウスが好きなどと言おうものなら、即、反動と見做されたものだよ」 と近藤譲が言う。 しかしながら、昨今、先鋭的な作風で知られる現代音楽の作曲家にも、シベリウスへの傾倒を隠さない作曲家が出てきたことは、注目に値しよう。たとえば、サントリーの国際作曲家委嘱シリーズでは、サーリアホとデュサパンが、自身に影響を与えた先達として、シベリウスの作品を紹介していた。 では、日本の前衛世代はどうだったのか、というと、アカデミズムの作曲家は、シベリウス

          ポストシベリウスとしての湯浅譲二

          ミニマリズムとその周辺~スティーブ・ライヒを中心に~

          昨年5月に開催した「ミニマリズムとその周辺」(この回の曲目解説はこちら)の第2弾。今回はミニマル・ミュージックといえば、のスティーヴ・ライヒにスポットを当てたプログラム。中でも、2本のエレキギター、エレキベース、ドラム、ピアノを、同じ編成を事前録音したものと対峙させる『2×5』は、ライヒの諸作の中でも最もポップな味わいをもつ異色作。今回が日本初演という貴重な機会となる。更に、ケージ・フェルドマン以降のアメリカ実験音楽を代表する作曲家:ジェームズ・テニー、ライヒの影響下から自ら

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          特別養護老人ホームの即興音楽家たち 音楽家 野村誠の試み      

          #2008年にサイト「そら飛ぶ庭」に寄稿したものの再録です。 ■21世紀の即興音楽    即興演奏というものをご存知だろうか。ロマン派から近代のクラシックの音楽のように、譜面にびっしりと演奏すべきことが書き込まれている音楽ではなく、あたかも「無から有を生む」ように、その場の感興を即座に形にしていくような演奏のあり方。多くの方にとって、即興といえばまずジャズの演奏だろう。アドリブソロが白熱しつつ、テーマを巧みに変奏していく。これは当然、譜面に細かく指示されているわけではないか

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          電子音楽的作曲家がオーケストラ曲を作曲するとき湯浅譲二の生誕80年を祝う

          #2009年8月12日に、湯浅譲二の生誕80年を祝うコンサートが開催され、これに関連して書かれた文章の再録です。 武満徹と湯浅譲二 同世代の武満徹に比べ、湯浅譲二が紛れもない日本を代表する作曲家として認知されたのは、かなり遅くになってからのことだったように思う。芸術ジャンルを跨いで多くの知己があり、尺八と琵琶とをソリストとしてニューヨーク・フィルハーモニックと共演させるという、極めてキャッチーな代表作(ただし、武満がこの作品:「ノヴェンバー・ステップス」で実現したことは、

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          「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」を切っ掛けに考えた幾つかの物事について

          「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」(漆畑奈月、小室敬幸)を読了。吹奏楽というガラパゴス化した世界を外の聴衆へと啓く、といった意気込みのようなのだが、終始、ガラパゴスの論理と言葉とでつづられた対談、というのが正直なところ。なぜ、ここまで吹奏楽コンクールを軸に展開しなくてはならないのか。 日本の吹奏楽界がコンクール(全日本吹奏楽コンクール)を軸に回っていることは論を俟たない。子供(≒未成年、くらいのつもりだが)というものは社会的な尺度をもたず、それゆえに、よほど老成でもしていな

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          近藤譲インタビュー 「線の音楽」のはじまりとこれから

          聞き手、採録 石塚潤一。2023年5月7日、Skypeを利用してのインタビュー。太字が近藤譲氏の発言。なお、近藤譲氏発言のうち、()で括った箇所は、石塚による注釈。 ****** 秋山邦晴(批評家 1929-1996)さんの著書『日本の作曲家たち 下 戦後から真の戦後的な未来へ』(音楽之友社 1978)に、先生の幼少期の写真が何枚か収録されています。先生は、ご両親が音楽畑の方だったのではないようですね。   全然違います。父親は石油会社のサラリーマンで、母親は高校中学の英

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          レコード芸術休刊に思うこと

          日本で最初にLPレコードがリリースされたのは、レコード芸術創刊の前年である1951年で、ブルーノ・ワルターのベートーヴェン「第九」が2300円で売り出された。 当時の大卒初任給(公務員)は5500円。むろん、日給ではなく月給。つまり、LPレコードとは、大卒公務員が月収の4割強を払って買う高級品だった。月収の4割というと、家計に占める重みは、もはや家賃と変わらない。1枚のレコードを買うということは、住むところ(のランク)と引き換えにこの一枚を買う、という、血走ればこその消費行

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          <コンポージアム2023>関連公演 近藤譲 合唱作品による個展 詳細

          今年のコンポージアムでは、東京オペラシティリサイタルホールで関連公演が2つ開催されますが、その何れもをTRANSIENTで主催いたします。 こちらは合唱作品による個展です。合唱作品は、近藤譲が「線の音楽」の方法論に拠らない音楽を書いている稀少な分野で、日本語の歌詞が旋律線をマーキングするが故に可能となった、極めて複雑な対位法による音楽が一部の楽曲で展開します。 このような楽曲は、コンポージアムの他の演奏会では聴けないもので、このコンサートを聴かねば、近藤譲作品の全体像はつ

          <コンポージアム2023>関連公演 近藤譲 合唱作品による個展 詳細

          <コンポージアム2023>関連公演 近藤譲 室内楽作品による個展 詳細

          <コンポージアム2023>関連公演 近藤譲室内楽作品による個展、の詳細をこちらに発表いたします。今回は庭園想楽を共催にお迎えし、若手を中心に演奏家を集めました。その結果、これからの音楽界(現代音楽界に限定されない)を背負って行くであろう、優秀な方々が集いました。貴重な機会となるかと思います、ぜひご来場ください。 プロデューサーノートにも書きましたが、近藤譲の創作に於いて楽器編成の選択は相当に重要で、これゆえに固定された編成(弦楽四重奏など)のみによる個展よりも、楽器編成の大

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          近藤譲 合唱作品による個展 出演者プロフィール

          西川竜太 Ryuta NISHIKAWA (指揮) 1972年生。東京藝術大学在学中、声楽科有志と共に、1人1パート編成の声楽アンサンブル「ヴォクスマーナ」を創設し、指揮者に就任。2011~16年「湯浅譲二・松平頼暁 合唱作品による個展」、2018年「八村義夫 生誕80年祭」、2022年「鈴木治行 合唱作品による個展」を企画・指揮。「秋吉台の夏2013」現代音楽セミナー&フェスティバルに招聘講師・演奏家として参加。クール・ゼフィール(男声)、(混声)、暁(女声) の指揮者。

          近藤譲 合唱作品による個展 出演者プロフィール